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放置されたい私と何も知らない旦那様  作者: 鉤咲蓮
四章 それぞれの正体

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20/22

20.今ここに伝説の再来を




 壮観だった。


 青白い大火は幻想的なまでに美しく、まさに「聖火」の名が相応しい。

 見る者の肌がぞわりと粟立つほど神秘的な迫力があった。ずっと見ていたら無意識の内に引き寄せられ、そのまま中へと吸い込まれてしまいそうな――魅惑の炎。


 風が吹いている。

 誰もが魅入られ楽隊すらも手を止めてしまい、広場は一瞬、静寂に包まれた。

 直後、割れるような拍手が起こる。


「本当に青い炎だ、なんて美しい!!」

「号外を出すぞ、急いで連絡だ!」

「聖火だ!信じられるか、俺達は今伝説を見てる!」

「メルテンス様、ありがとうございます!」

「ゼイルの象徴だわ、年に一度と言わずにずっとあってほしい…!」

「生きている内に真の聖火を見られるなんて、ああ、感謝致します!」

「ヘンドリカ様!メルテンス伯爵家に幸あれ!」


 熱狂的に声を上げる人々と違い、感動に心を震わせる人々とも違い。

 レオン・エーヴェ――ユリウス・ヴィンケルは、冷静な目で「別の動きをする者」がいないか見ていた。全員が炎に夢中な今この時こそ、見られたくない物事は進めやすいものだろう。

 騎士も、民も、顔と名前の知られたスリの常連すらも、炎に見惚れている――しかし。


 幻惑の魔法を使うユリウスにとって、「色が変わる事」は何ら珍しいものではなかった。

 魔法ではなく、何か材料を使って化学反応を起こしているなら余計にだ。ゆえに、視線を奪われるほど熱狂する事などあるはずもない。

 どうやらこの隙にと悪事を企む者はおらず、そしてユリウスと、炎の仕組みを知っているだろう夫人の他にもう一人だけ、極端に平静な者がいた。


 シーラが連れている女性だ。

 彼女の親族なのか同じ髪色をしているが、その目は炎ではなく自分達の、特にシーラの周囲を見ている。まるで護衛だ。


 ――…いや、本当に護衛の可能性もあるか。


 少なくともあれは、悪意や害意を持って周りを確認している様子ではない。

 つまり、自分がその女性を注視していても仕方がない。


 すぐに他へ視線を移したレオンの鼻に、嗅いだ事のない匂いが届いた。

 葉を燻したような、土が混ざったような。好ましいわけでも、不快と顔をしかめる程でもない匂い。聖火の再現など本当に可能なのかと聞いた時、テイセンは確かに「少し変わった匂いがした」と言っていた。


 風が吹いている。

 ヘンドリカ・メルテンス伯爵夫人は、晴れやかな顔で笑っていた。


「――これほどの大きさで見るのは、私も初めてです。今日この日を発表の場として、本当に良かった……!火祭りが終わるまで、皆さんどうぞ楽しんでください!」


 広場には歓声と拍手が響き、ヘンドリカは民衆に手を振りながら退場する。

 やがて拍手も静まってがやがやとした賑わいに変わり、楽隊が軽やかな曲を奏でていた。


 集まっていた観衆は聖火を遠巻きに囲むように形を変え、顔を輝かせる者もいれば、まだ信じられないと首を振る者、不思議そうに風を嗅いでいる者、気にせず屋台へ向かう者と様々だ。

 非日常的な青白い炎は、時折パキリと燃料が割れる音をさせながら燃え上がっている。


「すごい時に来られたわね、プリスカ。聖火を見られるなんて」

「ご希望なら、いつでも青い炎をお見せしますが。」

「あはは!そうね、貴女ならできてしまうけれど」

 楽しげな声で笑い、マリアンネはシーラの姿で歩き出した。

 祭りの間しか売らない事を示す「特別」、「限定」の文字があちこちの店で掲げられている。


 二人は実の姉妹のように仲良く店を巡った。

 道端でショーをする曲芸師にはコインを渡し、店番中の顔見知りには「サービス」と買い物におまけをつけられたり、呼び止められて談笑したり。

 聖火の香りはまだ届くのねと言いながら街を見回し、ゼイルが初めてだと言う家族連れに道を教えて、マリアンネは満足そうに微笑んだ。


「働くのも楽しいけれど、こうしてお祭りを見て回るのも楽しいわ、やっぱり。」

「お嬢――…、シーラが楽しそうで、私としても何よりです。」

「貴女も普段働きづめだから、息抜きになればと思って。」

「ありがとうございます。私に関しては、仕事も趣味のようなものですが。お嬢様の顔の良さが、何より魅力的な職場で…」

「はいはい、もう……。」

 プリスカ・ホルテル。

 マリアンネの顔が良いという理由で雇い主を変えた女だ。

 元はフランセン子爵を邪魔に思った男に差し向けられた刺客だが、夜中にたまたまトイレへ行きたくなったマリアンネと鉢合わせ、今に至る。


「いつかもっと美人が現れたら、そちらへ行くのではないでしょうね?」

「今となってはありえませんね。私はお嬢様のお心までも、大変気に入っておりますので。…シーラ。貴女にはいまいちピンとこない話かもしれませんが。」

「こないけれど、そのお嬢様は幸せ者だろうと思うわ。」

「そうなら、嬉しいですね。」

 気になった食べ物を少しずつ買ってつまみながら、そろそろ折り返して広場へ戻ろうかと話し合う。

 近くで「きゃあ」と声がして振り返ると、足元を土鼠(つちねずみ)が数匹駆けていった。普段は森の土の中で暮らす、仔猫サイズの魔物だ。肉は微妙な味だが、漬物にするなら酒のあてになる。

 マリアンネがぱちりと瞬いた。


 風が吹いている。


「魔物?下級とはいえ…」

「ゼイルではよくあるのですか?」

「いいえ、滅多には――」


 カンカンカンカンカン!

 砦の方向から警鐘が鳴り響いた。はっとして見上げた先、物見台からは煙が出ていない。嫌な汗が滲む手を握り締め、マリアンネは物見台を見つめている。

 煙が立ち昇り始めた。


 赤色。


 ひゅっと喉が鳴った瞬間、轟音がして砦から土煙が上がり、物見台が傾いた。

 周囲から、否、街中から悲鳴が上がる。


「お嬢様、これは…」

「緊急避難!プリスカ、声掛けと誘導を手伝って!上級の魔物が街に向かってるわ!」





 人が多い分、広場はとんでもない騒ぎになっていた。


「エリーサベト!」

 部隊長の一人が誰かを探しながら叫び、離れた位置から「こっちです、バイエンス隊長!」と女性騎士が叫び返す。

 人がごった返す中、彼女は街灯をよじ登っていた。


「【飛べさえすれば、何でもいい】!!」

 背中に六枚の羽が現れ、それが羽ばたくと彼女の身体を一気に上空へ持ち上げる。

 鳥のそれとは似つかない、まるで金属の板のような羽だった。エリーサベトの目には襲撃を受けている砦と、既に何か侵入したのだろう街の各所、そして眼下に広がる混乱が映った。


 押し合いへし合いしながら砦と反対方向へ急ぐ者、家に荷物を取りに走る者、店の商品はなぎ倒され、転がった物に躓いた人が他の人に蹴り飛ばされ、煙の意味を知らない観光客は戸惑い、パニックになり――


「静まれぇ!!」


 巨大なハンマーで舞台の端を豪快にぶち壊し、桃色の髪の女性騎士が声を張り上げた。

 驚いた人々が足を止めると、広場に僅かな静寂が訪れる。百五十センチもないだろう小柄な彼女は、ダンと力強く舞台を踏みしめた。


「急げば怪我人と死人が増えるだけだ!!余計な荷物持つんじゃねぇ、パニクった自分を信じるな、騎士の誘導に従え!!」


 よく通るその声で、民衆もいくらかは冷静さを取り戻したようだ。

 配置されていた騎士達の誘導も通りやすくなり、焦りは見えるが、ある程度は整理された人の流れができていく。


「ったく…」

「口が悪いですよ、アルテナさん。」

「お前は手が悪いだろ、キスト。」

 そう呼ばれたのは穏やかな顔立ちの騎士だ。

 まだ青年と言える若さで、さして力もないように見える。その下に組み敷かれているのはヘンドリカ・メルテンス伯爵夫人。


「だって、この人笑ってるし。」

「ふ、ふふふ。楽しい火祭りも、あの人が愛したこの領地も、街も、全部終わりだわ!」

「ッ――夫人!!」

 そこへ詰め寄ったのは部隊長の一人、テイセン男爵だ。

 普段快活に笑っている彼が、今は恐ろしいほどの怒りに顔を歪めている。


「貴女は、貴女はまさか、知っていたのか!!聖火が魔物を引きつける事を!!」

「この地ではかつて、青い炎によって魔物を滅した……そんな伝説が残るほど()()()()()()()()()()人前に姿を現したと思いますか。」

「…おびき寄せたと言うのか、当時の人々が――聖火を使って。」

「ふふっ、何を焦るのです。誰もが望んでいたではありませんか、伝説の聖火を蘇らせたいと。喜んでくださいな、ほら――今ここに、伝説の再来は成ったのです!」

 あの炎が魔物を呼んでいる。

 騎士達の目が一斉に聖火へ向いた、そんな中で。


「ちょっと待て、レオン!!」

「っ――はい。」

 近くにいた人々の誘導を後輩に任せたレオンは、聖火に目もくれず砦の方角に向かおうとしたところだった。

 駆け出した足を止め、上司であるバイエンスのもとへ戻る。いつも不機嫌そうにしている彼は三十代前半で、黒に近いネイビーブルーの長髪を後ろへ流して一つに結っている。


「【これを不足と知るべきだ。違うのか?】」


 バイエンスが一つ手を叩く。鞘に収まった剣が空中に現れた。

 彼が持つ能力、倍化の魔法だ。拍手をするように幾度か叩けば、その度に剣が増えていく。


「討伐トップのお前が何体殺せるかにかかってる。特に街中のはぶっ殺せ」

「わかりました。」

「あっ、じゃあ僕のこれ使ってください!――【捕まえてあげよう、もちろん君のためさ】!」

 キストがぱちんと指を鳴らすと、しっかりした革製のベルトがレオンの前に落ちてきた。

 剣の束をぎちりと巻いて留めていると、ふわふわのオレンジ色の髪の女性騎士が駆けてくる。


「小隊長、私のもっ――【軽やかに生きましょう、どこまでも】!」

 彼女は胸の前で組んでいた手を、剣の束に向けてパッと広げた。

 ずしりと重かったそれが、軽く背に担げる程度の物になる。


「ありがとう。キスト、ソフィー。では隊長、行ってきます。」

「おう。」

「お気をつけて~」

 へらりとレオンを見送って、キストは聖火に目を戻した。

 固有魔法で水を操る騎士が対応しているが、消えるどころか縮まる気配もない。顔を地面に抑えつけられ、髪も乱れたヘンドリカが笑う。


「残念ね、水じゃ消せないのよ。」

「そうなんだ。どうしたらいいかな?僕、女性を拷問するのは気が進まなくて。」

「うふふ、私も答えるのは気が進まな――ギャァッ!!」

「やらないとは言ってないよ?」

 指を一本、折っただけだ。

 バイエンスやアルテナ達は既に、ヘンドリカを見てもいない。

 それぞれ部下への指揮、エリーサベトが持ち帰った情報の共有と対応に努めている。


「な、何をすっ、るの。い、いぃたい、痛い…ッ」

「そうだね。早く正しい答えを言ったら?指はあと十九本もあるよ、夫人。」

「ヒィッ!?――し、知らない!知らないの、本当よ!!」

「爪剥がれる方が好み?」

「いやぁあああ!本当、本当なの!小さければ空気を遮断して消せるけど、あんな大きくなったらもう、無理なのよ!!だから火祭りでやったんだもの!!」

 どうやら嘘はついていないらしい。

 祭りのため、縦横に組んだ木枠すらも燃料の一部とした聖火はごうごうと燃え盛っている。


 ――なるほど確かに、あれを遮断するのは難しい。


 しかし聖火が元凶なら、消さない限りは消耗戦を強いられるのはこちらである。

 魔法で取り出した手枷を夫人に嵌めるキストの耳に、「どけ!」と叫ぶ声が聞こえた。近付いてくる。逃げる民衆から飛び出してきたのは、騎士団の文官だった。


 騎士達はろくに話した事もないが、長く勤めている男でもうじき定年退職予定である。

 ヘンドリカに向かって駆け出した彼は、近くにいた騎士にすぐさま止められた。


「ふざけるな、ふざけるなぁ!俺は聞いてないッ、聞いてないぞ夫人!俺の暮らしはどうなる、あんたに今までさんざん協力してやった結果がこれか、ふざけるな糞女!!俺は知らない、俺は聞いてなかった!!無実だぁあ!!」


 何か共謀していたようだ。

 喚き散らす文官も捕縛されたが、魔物騒動がきちんと終わらねば、裁くどころか刑務所に入れてやる事もできない。


 ドォン、と遠くから地響きがした。

 砦の方角から空へ一閃、淡い緑色の光が迸る。アルテナが舌打ちした。


「司令が聖具持ち出すレベルのが来てるじゃん。…まーじでヤバイぜ、これ。」




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