第四十五話 旅は楽しめ
地球において、紀元前の頃より存在する乗り物──馬車。
とてつもなく長い歴史を持つ馬車であるが。しかし、現代日本に住まう人々の中で実際に乗ったことがあるのはごく小数といっても差し支えないはずで。
「うっ⋯⋯ぉおお! 揺れる揺れる揺れる! 怖ぇ!」
「スピード、落とした方が良いですか?」
「いや大丈夫、これはこれで楽しい⋯⋯⋯⋯いってぇ!? 頭打ったぁ!?」
当然のごとく、俺も馬車は初めての経験であった。
親の運転する車や自分で操縦する自転車くらいにしか乗ったことのない俺にとって、サスペンションも何も付いていない大型の乗り物はレベルが高すぎたようだ。
地面に転がる石ころひとつで車体が跳ね上がり、その度にどこかしらを打ち付ける。既にあちこちアザだらけだ。
「ネムぅ⋯⋯次の街までどんくらいだ⋯⋯?」
「もう、さっきからそればかりですねタツキさん。あと一時間もすれば着きますよ?」
「一時間か。死んだな俺」
もう笑うしかなかった。
俺とネムが目指すのは、ヘルメス領の東南端。勇者村へと続く大橋が架かる、ルーケンブリッグと呼ばれる街が今日の目的地だ。
だが、俺達の居た冒険者の街であるミステリアからルーケンブリッグへと向かうには、街を二つ経由する必要があり。その上、街と街との間はだだっ広い平原が続いている場所ばかり。
現にミステリアを出てから第一の中継点である街までの距離は、実に三十キロメートルを超えている。
着いたとして、そこから更にルーケンブリッグまでは七十キロメートル近く。次いで、そこから続く大橋を丸一日かけて渡ればようやく勇者村である、とのこと。
結果、想像以上の遠さに思わず気が遠くなってしまうのも無理はなく。
「⋯⋯うぷ」
ぐわんぐわんと揺らされる脳は悲鳴をあげ、危うく朝飯をリバースしてしまいそうに。
「そうだ! 前にネムが使ってたリラックスする魔法、かけてくんねぇ?」
「えっと、変異ウルフと戦っていた時の魔法ですか? ⋯⋯残念ですけど、あの魔法って酔いには効かないんです」
「マジかぁ⋯⋯」
望みは潰えたか。
そう絶望した矢先、
「せめて私が回復魔法も使えれば良かったんですが。大抵の回復魔法なら、怪我の治癒ついでに酔いだとかも覚めるので」
「⋯⋯なるほど、回復魔法か!」
解決の糸口が見えてきた。
俺は足元に置いてある荷物の中から、とある大きめの水筒を取り出して開く。
ただ、中身は水ではなくて。
「頼むぜドラ、回復してくれ」
蓋を開ければ、ひょこりと顔を覗かせるクスリソウモドキが一匹。散歩がてら旅行のお供として連れてきた、ペットのドラであった。
俺が回復魔法をお願いすると、ドラが淡く桃色の光を放つ。
「すっげ。一気に楽になってくわ⋯⋯」
クスリソウモドキという種族の能力なのだろうか。
このドラという仲間は、軽い傷程度であれば塞いでしまう程の回復魔法が使えるのだ。今までにも何度かお世話になっている、優秀な能力だった。
ペットですら魔法を使えるというのにも関わらず、俺ときたら。
そんな事を思っていた時期もあったなー、なんて思いつつ。
「さんきゅー、ドラ。ご褒美にこの野菜スティックをやろう」
酔いを覚ましてくれたドラへと餌を渡す。
嬉しそうに根っこ状の両手で持って齧り付くドラを膝の上に乗せ、続けて視線は御者台に座るネムの方へ向け。
「ていうかさ、よく馬車なんて操縦出来るよな。この世界じゃ幼い間に習ったりするもんなのか?」
今朝、初めて馬車へと乗り込んだ時から思っていたことを口にした。
するとネムは前を向いたままの姿勢で小さく笑い、
「私の故郷はサラマンドラ王国の中でも北の方にあるんですが、かなりの田舎なんです。広大な畑ばかりしかないという土地柄上、馬車を使わなければ移動もままならなくて⋯⋯」
「へぇ。田舎が交通面で不便になっちまうのはやっぱどこの世界でも一緒なんだな」
「タツキさんの地元も田舎の方なんですか?」
「いや、爺ちゃんと婆ちゃんの家。俺の地元はなんつーか、普通の街って感じ」
ギリギリ郊外にあるような住宅街に、俺もリキヤも家族と共に住んでいた。
田舎と呼ぶにはそれなりに発展しており、かと言って都会と呼ぶには建造物に年季の見て取れるような場所だった。
はてさて、勇者村とはどちらの雰囲気に似通っているのか。
「⋯⋯そういや、リキヤも後から来るって言ってたんだよな。いつ合流する気なんだよアイツ」
『蹴りの勇者』だなんて呼ばれている、俺の友人。
彼も何やら勇者村へと用事があるらしく、後々に俺達へと追いつくつもりだと意気込んでいたが、既に相当な距離が開いているはず。
「ま、いいか。空でも走ってくんだろ、多分」
今考えたら凄いなアイツ。同じ人間とは思えねぇ。
これが勇者の力かなんて思いつつ、俺達の向かう先には同じような芸当が出来る人物が少なからず居るのだろうな、と頭を搔く。
「なんだろ。すっげーアウェイ感」
いや、別に気にすることでもないんだが。
俺は俺で面白おかしい毎日を送れているし、それなりに幸せだ。むしろ一介の勇者として大層な能力を持たないぶん、期待やら責任やらとは縁遠くなるのだから有難い節もあるわけで。
⋯⋯こういう事を考えてしまっている時点で、やっぱ心の奥底では勇者として召喚された人達を羨ましがっている部分があるんだろうな、俺。
首をぶんぶんと左右に振り、面白くない思考回路をリセットする。
その代わりに、
「折角の旅行だもんな。楽しまなきゃ勿体ねー⋯⋯ってことで、ネム! 馬車の操縦、教えてくんねーか?」
ナーバスになる暇があるなら、出来ることを増やせ。"自分にしか出来ない事"なんて無くとも、人生は存分に楽しめるのだから。
「御者のやり方ですか? もちろん、全然いいですよっ! 実を言うと、御者台に一人で居るのって結構寂しいんですよね⋯⋯」
「確かに、言われてみりゃずっと前向いてなきゃダメだもんな。とりあえず一旦馬車停めてくれ、俺も前に行くから」
「分かりました。座る場所、左に寄せておきますねっ」
「了解」
ルーケンブリッグまではあと半日もあれば着くはずだ。
それまでの間にやり方だけでも覚えれたら上々という所か。
「そういや結局、原付とかの免許も取らないうちにこの世界に来ちまったからなぁ。ツーリングとかしてみたかったぜ」
速度が落ちていく馬車の中で、ぼうっとそんな事を考える。
「──タツキさん、降りていいですよー?」
「ん、待ってなー、ドラも連れて向かうわ」
荷物を座席の後ろに固定し、ドラを抱き上げ馬車から降りる。
周囲を見渡せば、そこは平原と呼ぶにはやや起伏の多い、でこぼことした丘陵地帯だった。
燦々と降り注ぐ日差しに目を細めながら、右側から回るようにして馬車の前方へ向かい、そのまま御者台へと俺とドラは乗り込む。
「おっ、しっかりとクッションも敷いてあるのな。意外と横幅もあっていい感じの場所じゃねーかよ、御者台ってのは」
「時と場合によっては御者が二人必要になることもありますから。特注の馬車でもない限り、オーソドックスな馬車であればこの広さが普通なんです」
「へぇ、そりゃ好都合だ。教えて貰いやすくて助かるな」
言いながら、椅子へと深く腰掛ける。
当然のごとく視界は高く、見晴らしが良い。地平線の奥まで続く緑の丘は、風を浴びる度にざわざわと揺れていた。
「じゃ、レクチャー頼むわ。この手綱を握れば良いのか?」
「ですです。その革製の持ち手を握る時は、手から離れてしまわないように手首へ括りつけて──」
さて、勇者村へと向かうとしよう。




