第四十一話 くらくらり
「たでーま」
「あ。おかえりなさい、タツキさん。⋯⋯腕、本当に大丈夫なんですか?」
「傷は塞いで貰ってきたし、下手に動かさなきゃ大丈夫。短剣もネムのバフ有りなら片手で振れるしな」
心配げな表情のネムを安心させるよう、短剣を鞘ごと振り回してみせる。
「ま、無理はしないし気にすんな。空の魔石の有効性次第じゃ状況も好転するだろうしさ」
額に浮かぶ汗を拭い、地面に腰を下ろす。
すればネムが倉庫から出てこようとするので、俺はそれを右腕で制した。
根性で何とかすると意気込んでみたものの、やはり痛いものは痛い。いざ戦闘となれば大きなハンデを背負ってしまう事になる。
ネムの役割はバフを絶やさぬ事。であれば、無理に魔獣達と戦う必要性は薄いのだ。
俺の居るこの場所は、真っ直ぐ行けば突き当たりとなる一本道。
もし気を抜いていたとして、複数の魔獣に囲まれる可能性はほとんど無いと言えるだろう。
「強いて言えば、俺らも逃げ場は無いわけだけど」
魔獣自体の戦闘能力は極端に高いわけでもない。
獲物を求めてやって来るのを一匹ずつ仕留めていけば、そこまで負担にはならないはずだ。
「⋯⋯⋯⋯くぁ」
それにしても、まだまだこれからだと言うのに押し寄せてくる眠気が鬱陶しい。
どうやら出血が思った以上に俺の体力を蝕んでいたようで、意識に若干のノイズがかかっている。
「ダメだな、座ってたらきっと寝ちまう。アドレナリンだかドーパミンだかが切れちまったのかね」
戦闘中は眠気なんて無かった。
いわゆる興奮状態にあったのだろう。その時に身体が覚えていた分の疲労感が一気に今頃になって押し寄せてきた感じだ。
立ち上がって、身体を伸ばす。
左腕を庇いながら柔軟体操をしつつ、時折目をぱちぱちと瞬かせる。
身体を動かせさえすれば目も覚めると思うのだが、下手に体力を追加で消耗するのもなぁ。後が怖い。
「⋯⋯とか思ってたら、早速」
大通りに繋がる方面から魔獣が顔を覗かせた。
察するに、俺が最初に仕留めた三匹が復活でもしたか。
となれば一匹ずつ相手をするのは難しそうだ。せめて前後で挟まれないよう、上手く立ち回ろう。
気だるさを押しのけて足を踏み出し、右手に短剣を構える。
瞬間──ひゅるりと、疾風ひとつ。
「え⋯⋯」
「──いやはや、私のいない間にいったい何があったのでしょうかねぇ、この街は。タツキ君、説明をお願いしてもよろしいでしょうか?」
俺とネムの師匠筋である男、ロヴィスカル。
彼が俺の目の前にまで歩み寄った時には、その背後に居たはずの魔獣が赤い霧と化していて。
「⋯⋯タツキ君?」
あまりに一瞬の出来事。
どうやって仕留めたのかが全く分からず呆けている俺に向けて、ロヴィスカルが再度名前を呼ぶ。
「おあっ、説明っすね。了解っす」
身近な人物の実力を垣間見た気分のままに、俺は口を開くのだった。
┅
「変異ウルフ、ですか。ふむ⋯⋯」
ロヴィスカルは神妙な面持ちで呟いた。
今この状況に陥るまでの出来事の中からより情報価値の高い要素を掻い摘んで説明したところ──彼は何やら思い当たる節があるような素振りを一瞬見せたかと思いきや、困ったように首を振り。
「ただ赤いだけのウルフ種ならば、世界中を探せば数多く存在しますが。しかし、幾度となく復活するという特性があるとなると⋯⋯ええ、少なくとも私は見たことがない」
「えーと。"ロヴィスカルさんは"ということは、誰か知り合いにあの魔獣を見た人が?」
「さて、どうでしょうねぇ。ただ一つだけ分かるとすれば──」
質問を受けたロヴィスカルは、ちらりと俺の方を見てから軽く頷いて、
「分かるとすれば、変異ウルフの群れがまさにタツキ君の言う"赤霧の魔物群"⋯⋯古き魔物であるという事、でしょうか」
変異ウルフの正体、その唯一の手がかりとも言える情報が信ずるに足りうるものだと、彼は告げた。
「え、マジですか。ロヴィスカルさんってその辺詳しかったり?」
「ははは。⋯⋯実は私、人には言えぬ事情がありまして。かつてこの世界で起きたと言われる大戦争、その前後の知識ならば多少は持っているのです」
普段と変わらぬ笑顔で話すロヴィスカル。
そんな彼に対し、そもそもこの世界について未だに詳しくない俺はただ単純に頷き返す、その一方。
「大戦争って、まさか千五百年以上も前に起きたとされるあの戦争ですか!?」
隣で話を聞いていたネムは、口に手を当て驚愕していた。
「ええ、はい。あまりに凄惨たる結末を向かえ、歴史の闇に葬られてしまったとだけ伝わるあの戦争です」
「二人ともちょっと待って、えーっと⋯⋯」
「ん? ⋯⋯ああ、申し訳ない。話が少し逸れていましたね、本題に戻しましょうか」
「えっ」
違う。そういう意図で待ってくれと言ったわけじゃない。二人の口にしていたワードが気になっていただけなんだ。
だが、確かに優先して話すような内容とはまた違う。
歴史の勉強はまた別の機会にして、今は目先の問題の解決策を探すべきだろう。
「⋯⋯さて。タツキ君から聞いた話によれば、件の変異ウルフから発生する霧は空の魔石に閉じ込められるとのこと。であるならば話は簡単。その状態から復活するにせよしないにせよ、魔石ごと檻にでも入れてしまえば安全ですからねぇ」
「言われてみればっ⋯⋯!」
どうして気が付かなかったのか。
魔石に吸収させたまま、いつ復活するかと警戒しながら過ごす必要なんて無いのだ。
指先ほどの大きさの魔石であれば、持ち運ぶのも実に簡単。気を失ったハムスターを運ぶよりも楽な仕事である。
「よっしゃ。そうと決まれば早速──あだっ」
「君は絶対安静ですよ、タツキ君。辺りの薄暗さも相まって分かりにくいですが、顔色が明らかに悪い。立っているのも辛いでしょう?」
ロヴィスカルの仕留めた魔獣から出来た赤い霧を魔石に吸収させようと前に出たところ、額を軽く小突かれて止められてしまった。
「あと三十分もすれば、日は沈み切ります。そうなれば必然的に戦闘の場は暗闇の中。件の魔獣がウルフとしての特性をしっかりと有するのであらば、地の利はあちら側に傾きますよ」
「うっ。そんなに変わるもんですかね」
「ええ、とても変わりますとも。ただでさえ君の身体は冷えてしまっていますからねぇ。状況的には不利も不利、言ってしまえば死にに行くようなものです」
地面に落ちている空の魔石を拾い上げながら、ロヴィスカルは俺を諭す。
そのままゆっくりとした動作で、未だ漂ったままの赤い霧に近付いて魔石をかざし、
「なるほど、確かに魔石へと霧が吸収されている。⋯⋯ネムさん、貴方はタツキ君を連れて冒険者組合の方へと戻って下さい。その際はタツキ君にかけている付与魔法を解除し、余った魔力を他の冒険者達へのパスの維持に利用すること。分かりましたね?」
と、俺達がどう動くべきかを口にする。
「そうなってしまうと、この辺りの防衛は⋯⋯」
「私にお任せ下されば。無論、索敵も出来ますので見逃すことはありませんよ。ご安心を」
「ロヴィスカルさんが残ってくれるのなら安心ですね。タツキさん、可能なら先にギルドの方へ戻ってもらっても──」
何故か、ネムの言葉がそこで途切れた気がした。
「⋯⋯⋯⋯あ、れ」
──ぐらり。
唐突な目眩に、俺はふらつく。
駄目だ。足に力が入らないし、瞼も重い。
気力を振り絞って何とか耐えていたが、体力の限界はとうに来ていたようだ。ダセェなぁ。
「────さん!? 大丈夫で──」
「──君。よく頑張──」
段々と遠のく意識の中。
背に感じる誰かの腕が温かい。
俺は、二人の声を聞きながら微睡みの底へと落ちていった。




