第三十六話 事前準備
「うぅん、間近で見ると流石に多いね。まるで魔物の大量発生⋯⋯いや、同じようなものか」
平原のど真ん中、百は超えるであろう程には異常な数の赤い狼達の眼前に凛と佇むユノ・ヘルメス。
サラマンドラ王国ヘルメス領、冒険者の街ミステリアにて冒険者組合の長を務める彼女を端的に表現するならば、"凄腕の水魔法使い"だろう。
その魔法の腕前は、ひとたび右腕を指揮棒のように振るえば雨が降り、左腕を鞭のようにしならせれば湖が出来るなどと冒険者達のあいだではもっぱらの噂だった。
事実か否かは全くの不明であるものの、噂は尽きず。
話に尾ヒレが足されに足され、水滴一粒でドラゴンを倒しただなんて話題が流行った事もあるような、そんな人物こそがユノ・ヘルメスであり。
「ギルドマスター! そろそろ陣営の保持に限界が来そうでさぁ!」
「了解したよ。少し本気で魔法を使うから、三十秒後に全員全力で退避だ。⋯⋯参ったね、このままだとまた変な噂が流れてしまう」
現に、噂通りの事も出来るのではと思ってしまうほどの実力を持つ人物であった。
「三十秒後ですね、分かりました! ──おい、お前ら聞いたか。三十秒だ、三十秒したら全力で逃げろ、ギルドマスターの魔法に巻き込まれちまうぞぉー!」
ほんの一瞬、場がどよめく。
狼狽えと期待が半々くらいに混ざった感情が、そこに居る複数人の冒険者達には見て取れ。
対するユノの表情は、余計な噂が立つことを嫌がるかのように半ば呆れたようなもの。
「さて、準備を始めようか。『霧の世界』」
彼女が魔法を唱えると、魔獣の群れを包み込むようにして微細な水の粒が霧を形作った。
「殺したとしても十分足らずで復活する。もしも魔法で殺してしまえば、復活の際に時々増える。数が増える条件までは分からないけど⋯⋯厄介な魔獣だよね、キミ達」
かと思えば、徐々に霧が晴れていく。
水の粒子が空中で集まり、水滴になり。水滴は雨のように地面を濡らして、最後には平原に巨大な円を描いた。
「準備完了。さあ、発動させようか」
直径四十メートルはあるであろう範囲の、巨大な魔法陣。
自らの魔法で生み出した水を媒介として現れたソレは、ユノが魔力を込める度に輝きを強め、
「──『大津波』」
ほんの一瞬、淡く青い光を放った直後。
幾匹もの魔獣を全て飲み込む規模で大地から天へ向け水の奔流がほとばしり、まさに津波のごとき轟音と共に魔法陣の内側にいたもの全てを空高く巻き上げた。
「魔法で仕留めるのがいけないのなら⋯⋯こうすればいい。『魔法解除』」
パチンと鳴らされる指先。
するとどうだろう。巨大な水柱は突如消え、宙には足場を完全に無くした魔獣のみが残される。
当然、重力に引かれ落下を開始する魔獣達。
「ふぅ。私の魔力量でもさすがにキツいね、この規模は。次に同じ魔法を打つとするなら、三十分くらい魔力を回復させねばいけないな」
「うおぉ! さすがギルドマスターだぜ、"王国一の水魔法使い"の名は伊達じゃねぇ!」
次々と地面に叩きつけられては赤い霧と化していく魔獣を前に、冒険者達も興奮を抑えきれないようで。
「気を抜いてはいけないよ。なにせ、私の魔力はすっからかんだ。その上で、ほら⋯⋯」
ユノが指さすのは、森のある方面。
「続々と新たな群れがやって来ているからね。あの数を止めるのは⋯⋯さすがに厳しいかもしれないね?」
「なっ⋯⋯どんだけ湧いて出てくんだよコイツら!? クソっ、行くぞお前らぁ!」
討伐隊として動いていた高ランクの冒険者が隊列を組み、侵略をせき止めんと攻撃を続ける。
走って、斬って。走って、蹴って。
当然ギルドマスターであるユノも、魔法を使わずに応戦を続けてはいるのだが。
「包囲網も既に限界、かな」
防波堤の端から、ほんの数匹の魔獣が駆け抜け。
──本格的な防衛戦の火蓋が、ついに切って落とされた。
┅
「件の魔獣が来たぞ! 全兵、構えっ!」
ビリビリと大気を震わすような大声が門の方から聞こえてきた。
どうやら戦いが始まったらしい。門の前に陣取っていた兵達は、かけ声を上げながらに武器を構えている。
「──街まで辿り着いた第一波。規模はどんくらいだぁ?」
「──さぁな。門兵が狩れなきゃ、俺ら冒険者が狩るだけだ」
「──ふはっ、確かにそりゃそうだ!」
一方その頃、冒険者達は思い思いの時間を各々過ごしていた。
武器を研ぐ者、腕を組んでじっと東を見つめる者。
仲間同士で激励し合う者、いつでも戦えるように準備運動をする者。
そんな彼らを横目に、俺は。
「ネム、俺達は実力的にも後方待機だ。戦闘経験の少ないヤツが前にいても邪魔になっちまう」
「むう⋯⋯分かってますよ。そもそも今回の魔獣は魔法で倒しちゃダメだって聞きましたから、私の出る幕なんて初めから無いですし」
「なら良いんだけどさ。また一人で突っ走ろうとすんのは無しだぜ?」
「う、その節はご迷惑をおかけしました⋯⋯」
街中を走り回ること一時間以上。
とうとう俺は探し人を見つけ、他の冒険者達が集まる広場にて合流していたのだった。
「でもでも、そんなに無茶する気も無かったんですよ?」
「大量のウルフを相手に一人で向かおうとしたこと自体が無茶だっての。せめて他の冒険者に招集でもかけるとか出来たろ。⋯⋯まぁ過ぎたことだし、結局は頼れる先輩達も居るみたいだから良いんだけどさ」
本当に一時はどうなるかと思った。
走っても走っても中々見つからないし、最悪ネムが見つからないままに魔獣の群れがやって来ようものなら俺は補助魔法無しで相手をしなければならず、限りなく百パーセントに近い確率で死ぬこととなっていた。
しかも、だ。ネムがいた場所は街道からは見えにくい位置にあるだけで、実は気付かぬうちに何度かネムの近くを通り過ぎていた。
その事実が後から分かった時に、溜まりに溜まっていた疲労感が押し寄せてきたのは言うまでもない。
「──お二人さん。隣、失礼するぜ」
と、不意に左横から声がかけられた。
「ん? ⋯⋯あ、ヘルガルさん。どうかしました?」
振り向いてみれば、そこには見知った顔。
金属鎧のヘルム部分を左手に持った熊人が、俺の隣に腰掛けた。
「いやぁな、少しばかり嬢ちゃんの力を借りたくてよ」
「わ、私ですか」
「ああ。補助魔法を使えるんだろ? 嬢ちゃん自身に負担が無けりゃで良い。あっちのヒヨっ子らにもかけて貰いてぇんだ」
言いながら、他の冒険者達を親指で指し示すヘルガル。
「えっ、支援系の魔法ってそんな一気に沢山にかけれるもんなの?」
「使用者の地力次第ですね。当然多くの魔力が必要ですし、仮に魔力が足りたとしても、維持するにはかなりの集中力が不可欠ですから」
「ほー」
魔法の使い手が集中を乱したら効果って途切れるもんなのか。初めて知った。
「軍隊所属の支援職とかになってくると、対象の人数が多すぎて魔法の効果を切らさないためにその場を動けなくなっちまうらしいぜ。嬢ちゃんは何人くらいならいけそうだ?」
「どうでしょう、まとめて複数人に補助魔法をかけるなんてやった事ないですし。というかそもそも私は攻撃職になりたかったので⋯⋯」
支援役として期待されることが微妙なのか、ふいとネムは目を逸らす。
「⋯⋯でも、どうせ攻撃魔法は放てないですし。仕方ないです、今回ばかりは支援職として頑張ります」
「おう、悪ぃな嬢ちゃん」
しかし、思ったよりすんなりとネムは後方支援の立場を承諾。
もう少しごねる可能性も心配していたが、杞憂だったらしい。
「じゃあ早速頼むぜ。魔獣の群れはすぐそこだからな、いつこの街に入り込んできてもおかしくはねぇからよ」
言外に込められた"気を引き締めろ"とのヘルガルによるメッセージに、俺は頷きで返した。




