第三十四話 価値観のすれ違い
「赤霧の魔物群⋯⋯なるほど、確かに特徴も一致するね。変異ウルフの侵攻が雪崩のように止まらない事の説明もつくよ」
先程まで俺が持っていた本をぱらぱらと捲りながら、ユノが頷く。
「仮に記されている内容が真実なら、早急に対応策を探さなくてはいけない。街へ向けての避難警報は既に出してあるけれど⋯⋯追加で討伐隊を派遣したとはいえ、今のペースで魔獣が増え続けられれば侵攻を止めるのは難しい」
「この街が飲み込まれるのも時間の問題、ってことですか?」
「残念ながら。何せ東の森で異常が起こってからまだ二日だ。時間も人手も、何もかもが足りなかった」
街に影響を及ぼしてしまった事を不甲斐なく感じているのだろう、ユノは歯噛みしながらに呟いた。
人手が足りない、か。
どこの世界も同じような問題に悩まされているらしい。
「あの、私にも手伝えることはありますか?」
ネムがユノを真っ直ぐと見据え、言う。
実に彼女らしい、純粋な優しさからくる質問だ。
「⋯⋯Dランク以下の冒険者には、魔獣の群れが門の内側に侵入した際の対処を頼むことにしているよ。志願してみるかい?」
「は、はいっ。お役に立てるかは分からないですけど、街を守るためですから。タツキさん、私、行ってきます」
「行くってお前、いくら最前線じゃないとはいえ危ないだろ。相手は巨大ウルフだぞ」
「うっ⋯⋯」
いくらなんでも、俺やネム程度の実力で戦うには無謀だろう。
ましてやネムは攻撃魔法を生物に向けて放てないのだ。もし狭い通路で囲まれようもんなら、確実に死ぬとしか思えない。
ロヴィスカルが居ない中、得体の知れない相手との戦いに身を投じるのは余りにも危険すぎる。
「俺らもさ、逃げた方が──」
「嫌ですっ!」
ぴしゃりと言葉を遮られた。
「別にタツキさんにも命を賭けろだなんて言いません。でも、私はこの街の冒険者ですから」
「あっ、おい」
「騒動が終わったら、また一緒にクエストを受けますから⋯⋯⋯⋯では、先に行ってます」
ネムは立ち上がり、部屋を去ってしまう。
俺は、その背中をただ呆然と見送ることしか出来なかった。
「⋯⋯ったく、何なんだ。街のピンチにこそ勇者の出番とかじゃねーのかよ」
「はは、自らの危険を顧みず人々を救う勇者へと憧れを抱く冒険者は多い。むしろ憧れたからこそ冒険者になった人が多い、とも言えるかな」
「憧れ、ですか」
理解出来ないわけでは、ない。
俺だって憧れがあったからこそ冒険者になったのだ。剣に触れ、魔法に触れ、少数ながらも魔物と対峙してきた。
だが、そのどれもこれもがロヴィスカルの補助あってのもの。今まで積み重ねてきたのは単なる命綱ありの練習に過ぎないのだろう。
しかしやはり練習は練習。いつまでも補助輪付きの自転車は漕いでられないのだ。
「さて、キミはどうするのかな。組合側の意見としては、是非ともこの場に残って欲しいのだけれど」
「ここに? ⋯⋯ああ、水晶玉」
俺の目が届く範囲でしか使用しない約束だったな、そういえば。
「どーするべきかなぁ」
ちらり、と。
ネムの去っていった扉と水晶玉の間で、視点を往復させた。
┅
冒険者組合から出てすぐの広場、その端のベンチにて。
「うう、つい勢いで飛び出してきちゃいました⋯⋯」
ネムはむむむと唸りながら、困ったように広場中央の噴水を──眺めるふりをしつつ、その奥にある冒険者組合への入口を見ていた。
理由は当然、建物内に置き去りにしてしまったパーティメンバーが気になってしまうから。
「私が憧れた冒険者は、迫る危機なんかに顔を背けず立ち向かう人なんです。ごめんなさい、タツキさん」
今回の出来事は単なる価値観のすれ違いだと、彼女は何だかんだで理解している。
片や街を守るためと言って無謀にも命を懸けようとし。もう片方はパーティメンバーの命を危機に晒すまいと、馬鹿な考えを否定した。
どちらが悪いとも言えないし、どちらかが引かねば収まらない意見のぶつかり合い。友人同士や家族同士、果てには国同士ですらよくある些細な諍いだ。
「魔獣を倒して、街を守って、問題が全部片付いたら⋯⋯もう一回タツキさんに会いに行きましょう」
当然ながらネムだって死にたくは無い。
けれど、どれだけ微力であろうとも誰かの力になれるならば、それでいい。それがいい。
「⋯⋯」
ふと、ネムは辺りを見回した。
人の往来は激しい。皆が皆、西の方へと駆けていく。
母親らしき女性に連れられた小さな子供。走れぬ老人を背負って代わりに走る大人の男性。
彼らは避難警報を受け、どこか安全な場所へと向かう気なのだろう。
せめて彼らが無事に逃げ切れるようにと、ネムはこっそり祈りながら。
「街の東側で待機した方が良いですね。頑張らなきゃ」
ベンチから立ち上がって、人の流れとは逆に進む。
時々すれ違う、「東は危険だぞ」と教えてくれる優しい人達にはぺこりと小さく頭を下げつつ──東へ東へと歩くこと、四十分ほど。
組合のある広場から東端までの距離は微妙に遠く、追加で五分ほど歩かなければ件の門には辿り着かない。
だが、今はこの場所で待機する事がネムにとっては一番都合が良かった。
「見晴らし、よし。⋯⋯わあ、凄い人数の門兵さんです」
外壁近くの、小高い丘の上。
建物の隙間を通し、兵隊の集まる門付近の様子を伺える数少ない場所だ。
何故そんな場所を知っているのか。それは彼女がかつてソロで採取依頼ばかり受けていた時期に、クスリソウの採取がてらこの辺りを通ることが多々あったからだ。
その時の名残とでも言えばいいのか。東側の外壁周辺における地理を、ネムという少女は他人より少し知っていただけに過ぎない。
「太陽の位置からして、あと三時間くらいで暗くなるでしょうか。それまでには街灯のある所に移動しておきたいですね」
残念ながら、今のところネム以外の冒険者らしき人影は見当たらず。
しかしそれでも彼女は悲観に暮れまいとして、自らの頬をぺちぺちと叩くのだった。
┅
「さて、と。私も魔獣の侵攻を食い止めに向かうとするよ。その間全体の指揮は任せたよ、デイシャ」
「私がですかー?」
「ああ。彼から預かった魔道具で戦況を逐一確認できるとすれば、適任だろう」
「うーん⋯⋯まあ仕方の無い事ですしねー。承知しましたー」
「助かるよ。ありがとう」
ユノは口角を少し上げる。
「ではでは早く向かってあげて下さい、ギルドマスター。思いのほか魔獣の侵攻も早いですし、このままだと日が暮れる前には兵隊の方々とぶつかる事になりそうですー」
「任せたまえよ。どのような不測の事態があろうとも、被害は最小限に抑えてみせるさ」
紫のポニーテールを揺らしながら、オフィスから出ていくギルドマスターをデイシャは見送り。
そのまま視線を落とし、水晶玉のその奥──タツキがつい先程まで居たはずの場所を見やる。
「冒険者というのは難儀な職業ですよねー。あなたもそう思いませんかー?」
それは傍からすれば、誰もいない席に向かって話しかけているかのような奇妙な絵面となっていて。
「うーん、反応はなしですかー」
タツキが自分の代役として置いていった一匹の小さな魔物を前に、取り残されたデイシャがいつも通りの間延びした口調で独りごちた。




