第五章(四)
「ところで、此処はどの辺りだ?」
「さあ・・・。よく分からないけど、五稜郭からは北に向かったよ。潮の匂いもするからこのまま行けば海に出られる筈だ」
「鹿部村の方か・・・。 まだまだだな・・・」
土方は辺りを見渡し、ふうと溜息を一つ吐いた。
「土方さん、これからどうするんだ?」
「 ・・・ 」
馬上の土方を見上げると、遠くを見つめている。
「明日、夜明けと同時に箱館は火の海となる。五稜郭が陥ちれば、箱館や辺りは皆、新政府軍に恭順して、旧幕府軍の残党狩りが行われる。この辺りは敵だらけになるぞ」
「 ・・・。 分かっている。だが、今日明日はまだ大丈夫だ。その通達が出るのも10日後くらいだろう。この3日で遠くへ行ければ、問題ない」
「でも・・・」
「光月、お前、この蝦夷の地をどこまで知っている?」
「え? ・・・。 あ、ちょっと待って」
急に司は思い出すと、上着のポケットに手を入れた。
北海道は、ライブで訪れる以外には来た事がない。ましてや、寒さの苦手な司は、ここに長居しようと思った事もない。それ故、地形くらいは分かるが、それ以外の事は全くと言っていい程知らなかった。そこで、ここ北海道に来る時に、珍しくポケットに入るサイズの小さなガイドブックを買っていた。
「あった。 ・・・、これ」
司はガイドブックを出すと、何のためらいもなく土方に渡した。
「何だ、これは?」
珍しそうに、だが、カラーの写真を捲るたびに驚いたように見ていた。
「ガイドブックだよ。えーっと、観光案内みたいなヤツ」
「凄いな、これはっ! ・・・ っ!?」
とあるページに目を留めると、釘付けだ。それを見ていた司は思わず「しまったっ!」というように息を呑んだ。恐らく函館のページを見てしまったのだろう。
現代での函館は、幕末の歴史の史跡の宝庫だ。
「そうか・・・。 やはり俺は死んだのか。 それにしては・・・、う~~む、いや、おもしろい。 これはおもしろいっ!」
突然土方は勝ち誇ったように大きく頷くと、嬉しそうに司を見下ろした。
「光月、俺は見届けるぞ。 俺達新選組、いや、ヤツ等維新の志士達の屍を越えてこんな日本になるのなら、それをこの目で生きて、生きている限り見届けてやるぞ。 ・・・、 志 誠の花に咲きにけり 桜巡りて 君に会うかな。 俺達新選組のやって来た事も無駄じゃなかったって事だ。死んでいった隊士達も無駄死にじゃなかったって事だ。 ・・・、また、いずれ会おうぞ」
「えっ? ひっ、土方さんっ!?」
突然土方は、手綱を引くと、馬の腹を蹴って背を向けてしまった。
「光月、礼を言う。 この本はもらって行くっ!」
馬の背から振り向いて言うと、更に馬の腹を蹴った。
カツっ カツっ・・・
同時に走り出して行く。
「ええーーっっ!? 土方さんっ 待ったっっ!!」
慌てて司は追いかけようと走り出したが、さすがに馬の足にはついて行けない。
土方の姿は、桜の花びらの中をどんどん小さくなって行く。
さーっと、風が吹くと目の前を淡いピンク色が覆った。
思わず司は息が詰まりそうになって目を閉じた。
そして、再び目を開けた時、本当に息が詰まりそうになる程息を呑んでしまった。
と、同時に全身に打撲の痛みが走る。
・・・っつぅ・・・
「ああっ、良かったぁ・・・」
一瞬顔をしかめてしまったが、安心したような晃一の声が聞こえ、見覚えのある顔が4人、自分を囲んで見下ろしているのが見えた。
司は状況が全く掴めず、瞬きを数回すると、頭を動かし、辺りを見渡した。
「ここは・・・?」
どう見ても病室だ。
病院独特の消毒の匂いも鼻に衝く。
腕からは点滴も伸びているし、どうやら頭にも包帯が巻かれているようだ。
間違いなく自分は病院のベッドの上にいた。
「あのまま崖を落ちたんだ。俺達、司をクッションにしてたみたいで、かすり傷で済んだんだけど・・・。ホント、悪ィな」
心配そうに覗き込んだ晃一が申し訳なさそうに言った。秀也とナオも、同じように「ごめんな」と、言った。もう一人のメンバーの紀伊也は、別の場所から駆けつけたようで、ホッと安堵の息を吐いている。
「司、大丈夫か?」
余りにも呆けたような表情の司に、紀伊也が再び心配そうに覗き込んだ。
いつもならここで晃一に、嫌味の一つでも言うところなのだろうが、今日はほとんど放心状態なのだ。
「司?」
「あ・・・、ああ、大丈夫。 ・・・、あれ? あの時、どうしたって?」
「重症だな・・・」
秀也が溜息をついた。
展望台で、ハチの襲撃でパニックになり、柵を越えて飛び降りたはいいが、勾配がきつく、3人はそのまま団子状態で転げ落ちてしまった。そして、何かの拍子に崖を転げ落ちて司は気を失ってしまったという。しかも、一人だけ遠くまで落ちてしまったようだった。救急車でこの病院に運ばれ、検査もしたが、異常はなかった。が、あれから半日、意識を失くしたままだったのだ。他の3人も擦り傷と打撲で手当てを受け、駆け付けた紀伊也と共に司の病室で待っていたという事だった。
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「はぁ・・・。それにしちゃ、エライ目に遭ったな」
今朝、退院し、何とか痛み止めを打って、会場入りした司は大きな溜息を一つ吐いた。そして、ホールの中央の客席に座ってステージを見つめた。
ステージでは今夜行われるライブの準備で、スタッフが入念なチェックをし、秀也とナオと紀伊也も楽器のチェックをしている。
「ホント、悪かったと思ってるよ」
隣に座った晃一が謝った。
「なぁ、晃一」
「ん?」
「オレ、あの時、土方さんに会ったよ」
「えっ!?」
ポケットから土方と交換した壊れたライターを出した。
「夢かなって、疑ったんだけど、このライター持ってたし、ガイドブックもなくなってたから・・・」
司は、昨日、崖から落ちてから遭った事を晃一に話した。
「土方さん達を見届ける為?」
「うん。 そう土方さんに言われた時、よく分からなかったんだ。けど、よく考えたら、オレ達が会った人って、その、何だ? 最期が不明で生存説がある隊士だったろ? 幹部が本当に死んだかどうか分からないって、余り有り得ないもんな。生きていて欲しいって願っていたのか、それとも、新選組が何処かで生きてるって願っていたのか、よく分からないけど、藤堂さん、原田さん、それに土方さんが、生きたいって、言ったのをオレ達が見届ける為にタイムスリップしちゃって、あいつ等と会ったんじゃないかって」
司はそう言って、ライターを目の前にかざした。
「すげぇ、へこんでるな」
覗き込んだ晃一が感心したように言った。
「土方さんって、ちゃっかりしてるな」
「え?」
「だって、未来のガイドブック、持ってったんだろ?」
晃一は言うと、傷だらけの壊れたライターを見つめた。
「やっぱり、土方歳三だよ。すげぇよ、あの人。 幕末の維新に殴り込み入れやがった新選組の鬼の副長だよ。 きっと、何処かで維新後の日本を見届けてるぜ」
そう言って、ライターの向方を見つめた。
「そうだな」
司もライターを高々かざすと、その向方にある宙を見つめた。
山肌を埋め尽くした淡いピンク色の桜を思い出す。
『遅咲きの桜』 土方はそれを新選組に譬えたのだろうか。土方が桜吹雪の中で詠んだ詩は、あのガイドブックのせいだろうか。資料上の土方の辞世の句と違い、力強さや、未来を感じる。誠の旗を掲げて京の町を闊歩したあの頃の自信に満ちてもいるようだ。
土方歳三や新選組は、幕末の動乱にまみれて、結果的には滅んでしまったが、今も何処かで彼等のその熱い魂は、生き続けている。そう思った。
〈完〉
最期まで読んで下さり誠にありがとうございました。
なるべく史実に沿うように努力はしましたが、あくまでフィクションです。