第8章「偽りの死亡報告」
老教師の杖に炎が集まる。
「答えろ。八神ジュンだな」
「人違いです」
「嘘が下手だ。メルダの実技試験を見に来るたび、廊下で同じ顔をしていた」
ジュンは教師の名を思い出した。
「ノルド先生」
「やはりな」
「俺はこの学園の学生じゃありません」
「メルダの付き添いで何度も来ていただろう。廊下の壊れた術灯を黙って直した。私の講義を扉の外で聞き、学生より正確な質問をした」
ノルドは杖を下げなかった。
「勇者からは、黒牙狼の群れに襲われ死亡したと報告があった。遺体は魔物に食われ、回収できなかったとも」
「俺は荒野へ置き去りにされました。食料も水もなしで」
老人の眉間に深いしわが刻まれる。
「証拠はあるか」
「ありません。四人対一人です」
「だから死人にされたか」
ノルドは机の引き出しから、封蝋された報告書を出した。
レオンの署名。リリア、ガレス、メルダの連署。討伐地の地図には、ジュンが死んだとされる場所へ赤い印がある。
「これは写しだ。原本は王宮へ送られた」
「メルダまで署名したのか」
「筆跡は本人のものだ。ただし最後の一画が逆に跳ねている」
ノルドは古い答案を並べた。メルダは学生時代、教師へ気づいてほしい誤答に同じ癖を残していた。
「助けを求めた?」
「あるいは、強要された証拠を残した。本人に聞くまでは断定できん」
ジュンは報告書を握りつぶしかけ、手を止めた。
四人全員が笑って自分を捨てたと思うほうが、憎むには楽だった。一人でも迷った者がいるなら、単純な敵にはできない。
「この癖を知っている者は?」
「私と、同じ組だった学生が二人。証言させるなら守る必要がある」
アザリアが報告書を光へ透かす。封蝋の下に、肉眼では見えない文字が浮かんだ。
『地下。七番。記録』
学園地下の第七書庫。
偽りの死亡報告は、ジュンを消すための紙であると同時に、メルダが残した細い道だった。
勇者が仲間を追放し、危険な場所へ捨てたと知られれば評判が落ちる。黒竜討伐を前に、王国も醜聞を望まない。
死亡報告なら、ジュンが戻ってこない限り反論されない。
「ノルド先生。俺が生きていることは黙っていてください」
「交換条件は?」
「ありません」
「なら断る」
「どうして」
「教師は生徒へ、対価なく知識を渡すものだ。交換条件を出されるほうが腹立たしい」
ノルドはようやく杖を下ろした。
アザリアが一歩出る。
「信用できません」
「そちらの女性は?」
「仲間です」
「恋人です」
二人の声が重なった。
ジュンがアザリアを見る。
「違う」
「商人に聞きました。男女で旅をし、互いの生命を預ける関係です」
「その商人に詳しく聞き直したほうがいい」
ノルドが咳払いをした。口元が笑っている。
「事情はともかく、ここから先は禁書庫だ。教師でも許可なく入れん」
「先生は何をしていたんです?」
「許可なく入ろうとしていた」
「信用できそうです」
ジュンが言うと、アザリアは納得していない顔をした。
ノルドは勇者一行の報告に疑問を持ち、学園長の保管庫から写しを盗んだという。書類には王国印と教会印が押され、死亡日時は追放された当日の夕刻になっていた。
「なぜ、そこまで調べたんです」
ジュンの問いに、ノルドは古い杖を見た。
「君が直した術灯を覚えているか」
「廊下の?」
「学園長は予算不足を理由に三年放置した。君は付き添いで来ただけなのに、梯子を借り、半刻で直した。その灯りで夜まで学ぶ学生がいた」
ノルドは地下の暗い天井を見上げる。
「役に立つ者と、評価される者は同じではない。教師を四十年やれば嫌でも分かる。君の死亡報告を読んだとき、紙のほうが嘘だと思った」
「俺自身は疑わなかった。役に立たないと言われて、そうかもしれないと」
「なら教師として一つ教えよう」
老人は杖の先でジュンの胸を軽く突いた。
「評価は他人がつける。価値は他人だけに決めさせるな」
アザリアが深くうなずく。
「良い教師です」
「君に認められると、千年分の重みがあるな」
ノルドは笑った。ジュンはその言葉を胸にしまった。
ジュンがまだ生きていた時間だ。
「この報告を書いたのはレオンではない」
署名の筆跡が違う。
「王国の記録官だ。レオンは口頭で報告し、王国が整えたのだろう」
「国まで隠しているのか」
「勇者は国の希望だ。荷物持ち一人の命より、傷のない英雄譚を選んだ」
ジュンは写しをたたんだ。
腹は立った。けれど、王都で名誉を取り戻すより先にやることがある。
「セフィラという名を知っていますか」
ノルドの顔色が変わった。
「どこでその名を」
「この下にいる」
「伝承では、最初の魔法を人へ与えた大罪人だ。学園の創設者でもある」
矛盾した二つの肩書だった。
「教会は大罪人と呼び、学園は名を隠して知識だけ受け継いだわけか」
「教師になった者だけが知る。地下に何があるかまでは、学園長しか知らん」
三人で禁書庫へ入る。
本棚が迷路のように並び、紙と革の匂いが満ちていた。最奥の床に、巨大な文字盤がある。
刻まれた文章は読めない。文字ではなく、形だけを真似た模様だった。
「言葉を持たない者には開けられない」
ジュンは棚の本を調べた。題名の最初の文字だけ色が薄い。順番に拾うと一文になった。
『知りたいと願う者へ、扉は開く』
声に出す。
文字盤が左右に割れ、地下へ続く階段が現れた。
「答えを隠す気があるのかないのか」
「彼女は、見つける過程を好みます」
階段を降りるほど、紫の魔力が濃くなる。
最下層は巨大な書庫だった。壁も床も天井も本で埋まり、無数の文字が空中を泳いでいる。
中央に紫髪の女性が浮かんでいた。
文字の鎖が手足を縛る。閉じた瞼にも黒い一文が刻まれていた。
『知識を渡す者は、知る権利を失う』
ジュンが近づくと、床から炎の壁が噴き上がった。
学園の守護術式だ。
アザリアが消そうとするのを止める。
「俺が解く」
炎の中には、何千もの術式が重なっている。一つずつ読み、魔力の流れを追う。レベル42になっても知らない文字は多い。ノルドへ意味を尋ね、アザリアには天界式の構造を聞いた。
知るたびに、《無限昇華》が熱を持つ。
術式の中心に同じ命令があった。
『封印対象を外へ出すな』
ジュンは床へ指を置き、一文字を書き足した。
『封印対象を外へ出すな、命を』
対象をセフィラから、彼女を消そうとする命令へ変える。
炎が左右へ割れた。
> 新しい知識を獲得しました。
>
> レベルが42から48へ上昇しました。
>
> スキル《術式読解》を獲得しました。
「見事だ」
ノルドが息を吐く。
だが、封印へ手を伸ばしたジュンの前へ、一人の魔術師が降り立った。
赤茶色の髪。紺のローブ。かつて何度も背中を預けた女性。
メルダが杖を構え、震える声で言った。
「本当に、生きていたのね。ジュン」




