第7章「魔法を与えた罪人」
紫髪の女性は、ページの中から口を動かした。
『聞こえるかしら、無登録の坊や』
声は頭の内側へ直接響いた。アザリアが即座にジュンの前へ立ち、黒い翼で本を遮る。
「セフィラ」
『久しぶりね、アザリア。千年ぶりの挨拶が怖い顔だなんて、寂しいわ』
「彼へ術を使わないでください」
『会話の術よ。相変わらず冗談が通じないのね』
女性は笑った。鎖の代わりに彼女を縛る文字が動き、細い首へ食い込む。
『時間がないの。天界が私の記録を消し始めた。会いたければ急いで』
「場所はどこだ」
『私の罪が生まれた場所。人が魔法を学ぶ場所よ』
ページへ建物の輪郭が浮かぶ。
王立魔法学園。
王都の東区にあり、王国中の魔術師を育てる場所だ。メルダもそこの首席だった。
『地下七階。禁書庫のさらに下。鍵は言葉を持たない者には開けられない』
「具体的な入り方は?」
『自分で考えて。知識は、与えられるより見つけたほうが身につくものよ』
女性が片目をつむる。
『それから坊や。彼女の針を抜くのは、少し待ちなさい。あなたの器は――』
紫の文字が乱れた。
ページに黒い染みが広がり、声が途切れる。
> 第二記録対象への消去処理進行率:61%
ジュンは本を閉じた。
「王都までは急いでも四日かかる」
「私が運べば半日です」
アザリアが両腕を差し出す。
「抱えて飛ぶ気か?」
「最速です」
「俺はいいとして、村はどうする」
盗賊を捕らえたことで、背後にいる領主へ村の存在が知られた。九人を置いていくわけにはいかない。
話を聞いたベルグは、残ると言った。
「ここを捨てたら、また一生逃げることになる。あなたたちが戻るまで、俺たちで守ります」
「無茶だ」
「あなたほどじゃありません」
返す言葉がなかった。
ジュンはセレスティアル・レコードを開き、経験値分配を確認する。昨夜からベルグたちの名前が並んでいた。
「ベルグ、壊れた柵の前へ立ってくれ」
村人たちを集め、短い訓練を始めた。
足運び。槍の構え。複数人で一人を囲む方法。ジュンが勇者一行で覚えた基礎を教えるたび、本から淡い光が流れた。
> 知識共有を確認。
>
> 対象九名のレベルが上昇しました。
農具を持つ手に力が宿る。負傷していたベルグの脇腹が、目に見えて塞がった。
「俺たちまで……」
「これが俺のスキルらしい。強くなるのは俺だけじゃない」
教えれば育つ。一緒に働けば育つ。レオンたちが異常な速さで昇格できた理由も、これなら説明がついた。
役に立っていた。
その事実に胸が熱くなる。同時に、三年間誰も気づかなかったことが痛かった。
アザリアが袖を引いた。
「ジュンは、嬉しそうではありません」
「少し悔しいだけだ」
「彼らに認めさせますか」
「いや。もういい」
口に出して、ようやく本当にそう思えた。
レオンに認めさせるためではない。ここで生きようとする人を守るために使う。
二日分の水と食料を用意し、ジュンとアザリアは村を出た。
「帰る場所を守っていてくれ」
「はい!」
ベルグたちの返事が重なる。
帰る場所。
自分で言った言葉が、妙にくすぐったかった。
アザリアに抱えられて空を飛ぶ案は却下した。目立ちすぎる。代わりに重力で身体を軽くし、街道を走った。
一日で王都近くへ着く。
ジュンは旅商人の服を買い、髪を茶色く染めた。アザリアの翼は星の光で隠せたが、銀髪と整いすぎた顔は隠れない。
露店で地味な外套を選ぶ。
「これをかぶってくれ」
「視界が狭まります」
「目立たないためだ」
「ジュンは私を見ていました」
「似合うか確認しただけだ」
「目立っていますか」
「かなり」
アザリアはなぜか満足そうにフードをかぶった。
商人組合の通行証を借り、二人は王都へ入った。門にはジュンの手配書はない。代わりに、勇者パーティーの黒竜討伐を祝う旗が並んでいた。
門番の詰所には、死亡者一覧が貼られていた。
ジュンの名もある。
死因は『勇者を守り、名誉の戦死』。その横へ小さく、遺族への補償支払済みと書かれている。ジュンに遺族はいない。
「誰が受け取ったんだ」
「王国が自分へ払ったことにしたのでしょう」
アザリアの声が冷える。
通りでは吟遊詩人が勇者の歌をうたっていた。北方へ向かう四人の英雄。荷物持ちの男は黒牙狼を引きつけ、勇者たちへ先へ進む道を開いたことになっている。
まだ起きてもいない戦いだ。
聴衆は涙を流し、子どもは木の剣でレオンの真似をする。
「訂正しますか」
「今はセフィラが先だ」
ジュンは歌から背を向けた。
怒りがないわけではない。自分の人生を勝手に終わらせ、美談の一部にされた。
けれど、生きていれば訂正できる。封印の中で名前ごと消されるセフィラには、今しかない。
優先するものを自分で選ぶ。それは追放前にはできなかったことだった。
「もう倒したことになってるのか」
討伐予定日は三日後だ。王国は成功を疑っていないらしい。
学園の納品業者に紛れ、構内へ入る。荷車には村で採った薬草を積んだ。嘘を最小限にするのが潜入の基本だ。
検品係が薬草を一本手に取る。
「品質が高すぎる。どこの農園だ?」
経験値分配を受けた村人が育てたため、同じ野草でも魔力が濃い。
「東の小さな開拓村です」
「聞いたことがない」
「地図にもまだ載っていません」
嘘ではない。係は怪しみながらも荷車を通した。
アザリアは構内へ入ってすぐ、噴水の前で足を止めた。水を空へ吹き上げるだけの魔法を、学生たちが得意げに見ている。
「水を上へ運ぶことが授業になりますか」
「普通は重力へ逆らうだけでも難しい」
「井戸の水を運んだとき、ジュンはゆっくりと言いました」
「速さの問題じゃない」
学生が杖を振り、水柱を一尺高くした。仲間が拍手する。
アザリアはしばらく見たあと、自分も小さく拍手した。
「弱いって言わないのか?」
「努力していました。結果だけで価値を決めてはいけないと、ジュンから学びました」
千年封印された彼女も、地上で少しずつ変わっている。
ジュンは嬉しくなり、頭を撫でようとして手を止めた。
「触れても?」
「はい」
許可を聞かれたアザリアは、授業を見るときより嬉しそうに目を細めた。
王立魔法学園は、白い塔を七本つないだ巨大な建物だった。中庭では学生が火球を飛ばし、教師が点数をつけている。
アザリアが足を止めた。
「あれは魔法ですか」
「そうだ」
「弱いです」
「聞こえるから」
近くの学生が傷ついた顔をした。
納品口から地下倉庫へ進む。ジュンの《星界感知》には、さらに深い場所から紫色の魔力が見えた。
地下二階で鉄扉に阻まれる。
『関係者以外立入禁止』
扉の文字へ触れると、セレスティアル・レコードが震えた。
「言葉を持たない者には開けられない、か」
文字の順序を入れ替える。
『関係者、外へ。立入禁止以外』
意味を失った術式がほどけ、鍵が開いた。
「セフィラらしい仕掛けです」
アザリアが呟く。
「知っているのか?」
「七人で話したことは多くありません。ですが彼女は、天界の命令文へ勝手に読点を足し、百年分の処刑を無効にしました」
「気が合いそうだ」
地下七階へ降りる。
禁書庫の前には、年老いた教師が一人立っていた。
「納品場所を間違えました」
ジュンが頭を下げる。
教師は眼鏡を押し上げ、彼の顔をじっと見た。
「髪を染めても、骨格までは変わらんな」
杖の先がジュンの喉へ向く。
「お前は、勇者パーティーが死亡発表を出した男ではないか?」




