第6章「捨てられた村」
廃村は地図よりもひどい有様だった。
三十軒ほどあった家は半分が焼け落ち、井戸には蓋がされている。畑は枯れ、道を雑草が覆っていた。村を囲む柵は、人が一人通れるほど大きく破れていた。
「屋根は残ってたな」
ジュンは一番ましな家を見上げた。
「穴が七つあります」
「数えなくていい」
扉を開けると、鼠が逃げた。中には壊れた机と椅子、藁のなくなった寝台がある。
アザリアが部屋の中央へ立つ。
「命じてください」
「何を?」
「星を落とせば、すべて平らになります」
「家までなくなるだろ」
「新しく作るほうが早いかと」
「俺たちだけで作るのか?」
アザリアは沈黙した。できないとは言わないあたりが怖い。
二人は掃除から始めた。
最初に見つけたのは、壁へ刻まれた背比べの線だった。
日付と名前が並んでいる。一番下は三歳、一番上は十四歳。最後の日付だけ、刃物で乱暴に削られていた。
「ここにも人が暮らしていた」
「生命反応はありません」
アザリアの答えは正確で、残酷だった。
ジュンは床板の下から布包みを見つける。中には木彫りの人形と、母親らしい手紙があった。
『東へ逃げます。帰れる日まで、家をお願いします』
誰へ向けた手紙か分からない。
「勝手に使うのは悪いかな」
「持ち主は戻ってきません」
「分かってる」
アザリアはしばらく考え、木彫りの人形を窓辺へ戻した。
「帰ってくる者がいなくても、帰れる場所は残せます」
「そうだな」
家を直す目的が、雨をしのぐだけではなくなった。
壁の煤を落とし、窓へ板を打つ。背比べの線は消さずに残した。ここにいた者たちの暮らしへ、新しい暮らしを重ねるために。
夕方、最初の火を起こすと、空き家だった部屋へ橙色の光が広がった。
アザリアは炎を見つめ、小さく言った。
「ここは、墓ではなくなりました」
ジュンが瓦礫を運び、アザリアが重力で屋根を持ち上げる。割れた梁を組み直し、穴へ板を打った。
昼には、雨をしのげる程度の家になった。
井戸の蓋を外す。底に水はあったが、動物の死骸が浮いている。
「これでは飲めないな」
「水だけ空へ持ち上げます」
アザリアが井戸をのぞき込む。腐った水が細い柱となって上がり、球になって浮かんだ。
「向こうへ捨ててくれ。ゆっくり」
「理解しています」
水球が飛んでいき、村外れの岩へ激突した。岩が粉々になった。
「ゆっくりの定義を明確にしてください」
その日の課題が一つ増えた。
井戸をさらい、地下水が溜まるのを待つ。ジュンは罠を作り、小鳥を二羽捕まえた。アザリアは昨日と同じく、焦げた肉を黙々と食べた。
ジュンは道端で拾った木の椀へ肉を入れた。裏の歪な星は泥を落としても残っている。古い仲間との旅は終わったが、この椀まで過去へ置いてくる必要はなかった。
「嫌なら食べなくていいんだぞ」
「嫌いではありません」
「顔が無だ」
「いつもどおりです」
食後、アザリアが鍋を借りたいと言った。
料理に興味を持ったらしい。ジュンは残った肉と食べられる野草を渡し、井戸の修理へ戻った。
しばらくして、背後が昼のように明るくなった。
振り向く。
家の屋根を突き破り、小さな星が浮いていた。
「アザリア!」
「火力の調整に失敗しました」
「鍋は?」
「蒸発しました」
少女は両手に焦げた野草を載せて立っていた。
ジュンは額を押さえたあと、笑い出した。
「なぜ笑うのですか」
「いや。世界を壊せる堕天使にも、できないことがあるんだな」
「次は成功します」
「次は俺が隣にいるときにしよう」
「共同作業ですね」
アザリアがわずかに胸を張る。妙なところで嬉しそうだった。
夕方、ジュンの《星界感知》が複数の生命を捉えた。
村の西。人間が九人。うち三人は子どもだ。追う者が十六人。馬に乗り、武器を持っている。
「行こう」
「誰かは不明です」
「追われてる。子どももいる」
「理解しました」
二人は西門の跡へ走った。
荒れた道を、ぼろ布をまとった人々が逃げてくる。最後尾の男は脇腹から血を流していた。小さな女の子を背負い、それでも足を止めない。
後ろから馬蹄が迫る。
「止まれ! 領主様の土地から逃げた罪人ども!」
先頭の騎馬が弓を引いた。狙いは、子どもを背負う男の背中。
矢が放たれる。
ジュンは走りながら手を伸ばした。
空気が重くなる。
矢は男へ届く寸前で地面へ落ちた。
> 《重力耐性》と《星界感知》の統合理解を確認。
>
> スキル《重力操作・微》を獲得しました。
「今のは……俺が?」
「私の権能を理解した結果です」
アザリアが答える。
盗賊たちが二人に気づいた。
「何だ、お前ら!」
「その人たちから離れろ」
ジュンは道の中央へ立った。
「正義の味方か? 二人で俺たち十六人を止めるって?」
「一人でいい」
アザリアが前へ出ようとする。ジュンは腕で止めた。
「俺がやる」
「危険です」
「新しい力を覚えたい。それに、全部任せたら俺はまた荷物持ちだ」
アザリアは不満そうだったが、下がった。
「死なないでください」
「努力する」
「約束してください」
「約束する」
ジュンは古い剣を抜いた。
盗賊が一斉に笑う。五人が馬で突っ込んできた。
以前なら避けるだけで精いっぱいだった。今は馬の筋肉に流れる魔力まで見える。蹄が地面を離れる瞬間、進路も分かった。
先頭の馬の前脚だけ、重くする。
馬がつんのめる。ジュンは横を抜け、剣の柄で乗り手の顎を打った。二人目の槍をかわし、石突きをつかむ。軽く引くと男が馬から落ちた。
三人目の剣を受ける。
ひびの入った刃が折れた。
「もらった!」
盗賊が笑う。
ジュンは折れた剣を手放し、相手の手首へ掌を向けた。
「重くなれ」
男の腕が地面へ落ちる。肩が外れ、剣が転がった。それを拾う。
折れた古い剣の柄から、髪の毛ほど細い黒い筋が伸びた。筋はジュンの手首を伝い、拾った剣の柄へ沈む。戦いの最中だったジュンは気づかなかった。
残る二騎が左右から迫る。
ジュンは二人の間に立ったまま動かなかった。
ぶつかる直前、自分にかかる重力を軽くする。跳ぶ。二人の槍が空を切り、馬同士が衝突した。
着地と同時に剣を振るう。馬ではなく、鞍の革だけを切った。
五人が地面に倒れるまで、十秒もかからなかった。
残りの盗賊から笑みが消える。
「化け物だ!」
「失礼だな。昨日まではレベル一だった」
逃げようとした盗賊たちの足が止まった。
アザリアが指一本で、彼らの周囲だけ重力を強めている。全員が地面へ這いつくばった。
「一人で戦う約束は、五人までです」
「そんな条件あったか?」
「今、追加しました」
盗賊を縛り上げ、難民たちの傷を手当てした。
難民たちは、すぐには廃村へ入ろうとしなかった。
ベルグが皆を代表して尋ねる。
「助けた代わりに、何をさせるつもりです」
「家を直して、畑を耕してほしい」
「収穫の何割を?」
「皆が冬を越せる分を残して、余れば交換に使う」
「あなたの取り分は?」
「同じ食卓で食べる分」
誰も信じなかった。
領主は土地を貸す代わりに半分を取り、守る代わりに子どもまで働かせる。それが彼らの知る常識だ。
「契約書を作れますか」
ベルグが言う。
「文字を読めない者もいる」
「なら、全員が聞く前で約束する。嫌になれば出ていける。借金を理由に縛らない。子どもは働く前に学ぶ」
アザリアが星を七つ浮かべ、言葉を空へ刻んだ。
「破れば?」
「皆で俺を追い出してくれ」
ベルグは初めて笑った。
「追放されたばかりの人が言うと、洒落になりませんね」
緊張がほどける。
難民たちは自分の足で村の門を越えた。救われて運ばれたのではなく、条件を聞き、残ることを選んだ。
子どもを背負っていた男はベルグと名乗った。元は南の農村で畑を耕していたが、税を払えず土地を追われたという。
「あいつらは領主の兵です」
「盗賊じゃないのか」
「鎧を脱げば、やってることは同じです。逃げた農民を連れ戻して、鉱山へ売る」
ベルグは唇を噛んだ。
「助けていただいた礼は必ずします。でも、俺たちには何もない」
「なら、ちょうどいい」
ジュンは背後の廃村を指した。
「俺たちも何もない。人手があれば、屋根の穴くらいは塞げる」
「ここへ住んでいいんですか」
「俺の土地じゃないから、許可する立場でもないけどな」
ベルグの背中から降りた女の子が、アザリアを見上げた。
「お姉ちゃん、羽がある」
大人たちが緊張する。黒い翼は不吉だと教会が説いている。
アザリアは身じろぎもしなかった。拒絶されることに慣れきった顔だった。
女の子は翼の先へ触れた。
「きれい」
アザリアの瞳が揺れる。
「これは、黒いです」
「お空も夜は黒いよ。お星さまが見えるから、夜のほうが好き」
千年前、彼女から星の読み方を教わった人々も、同じように笑ったのかもしれない。
アザリアは膝をつき、女の子と目を合わせた。
「名前は?」
「ニナ」
「ニナ。星を見たいですか」
「うん!」
アザリアが手を上げる。昼の空に淡い星が七つ灯った。
難民たちから歓声が上がった。
その夜、廃村には久しぶりにいくつもの火がともった。
井戸水で煮た野草の汁を分け合い、壊れた家へ家族ごとに寝床を作る。温かい食事とは言いにくい。それでも誰も不満を口にしなかった。
ジュンは村の中央で、今後に必要なものを書き出した。
食料。薬。種。農具。木材。防壁。
ないものばかりだ。
「領主になるのですか」
隣へ座ったアザリアが尋ねた。
「ならない。助け合うだけだ」
「ベルグたちは、あなたを指導者として見ています」
「まだ出会って半日だぞ」
「私は出会って二日です」
「それで命を預けるな」
「嫌です」
即答された。
「自由になったんだから、嫌なことには嫌と言っていい。でも俺に従う必要もない」
「私が従いたい場合は?」
「それは……」
ジュンが答えに詰まると、アザリアがほんの少し笑った。
初めて見る笑顔だった。
翌朝、井戸のそばでセレスティアル・レコードが勝手に開いた。
白紙だった二枚目のページに紫色の文字が浮かぶ。
> 共同体の形成を確認。
>
> 経験値分配対象が十名へ増加しました。
>
> 第二記録領域を開示します。
文字の下に、長い紫髪の女性が描かれていく。
無数の文字に縛られた彼女は、閉じていた目を開き、ページの内側からジュンを見返した。
> 第二堕天使の生命反応を確認しました。




