第5章「勇者たちの失敗」
「こんなはずがない!」
勇者レオンの怒声が、洞窟に響いた。
目の前には角鼠が三匹いる。
駆け出し冒険者でも倒せる低級魔物だ。本来ならガレスが一振りで片づけ、メルダは詠唱すらしない。
その角鼠に、勇者パーティーは半刻も足止めされていた。
「ちょこまか逃げやがって!」
ガレスの大剣が地面を削る。角鼠は足の間を抜け、ふくらはぎへ噛みついた。
「ぎゃあっ!」
「動かないで! 《聖なる癒やし》!」
リリアの杖から白い光が飛ぶ。
光はガレスではなく岩壁へ当たった。
「どこ狙ってんだ!」
「あなたが動くからでしょう!」
メルダが火球を放ち、最後の一匹を焼いた。爆風が洞窟内へ広がり、全員が咳き込む。
以前なら起きなかったことばかりだった。
レオンが踏み込む場所には、なぜか足場があった。ガレスが大剣を振るう瞬間、仲間は自然と範囲から離れていた。リリアの回復は傷ついた者へ吸い寄せられ、メルダの魔法は味方を避けた。
それを四人は、自分たちの才能だと思っていた。
「ジュンがいないせいよ」
メルダが小さく言った。
レオンが振り返る。
「何だって?」
「彼が抜けてから、おかしい。疲労回復が遅い。魔力の戻りも半分以下。さっきの角鼠だって、普段ならあんな動きは――」
「無能一人に、そんな力があるものか」
「でも事実よ」
「僕の指揮に逆らうのか?」
メルダは杖を握った。
「確認したいと言っているだけ」
「確認なら済んでいる。鑑定結果は効果不明。つまり役に立たないスキルだ」
「効果がないんじゃなく、分からないのよ」
レオンの顔が赤くなる。
リリアが二人の間へ入った。
「今は先へ進みましょう。黒竜を倒せば、全部はっきりするわ」
レオンは鼻を鳴らした。
「そのとおりだ。僕たちは勇者パーティーだぞ。荷物持ちがいなくなった程度で弱くなるはずがない」
彼らは低級洞窟を抜けるだけで、すべての回復薬を使い切った。
外へ出る頃には日が暮れていた。いつもなら野営地が整い、火が起こされ、温かい食事が待っていた時間だ。
「薪は?」
リリアが尋ねる。
「俺に聞くな」
ガレスは傷ついた脚を投げ出した。
「食事は誰が作るんだ」
ガレスが焚き火の跡を顎で示す。
「あなたが作れば?」
リリアが冷たく返した。
「聖女様の仕事だろ」
「どうして私が!」
メルダは黙って乾燥パンをかじった。ジュンが残した荷物表を取り出す。
そこには四人の食料、薬、装備の状態が細かく書いてあった。注意事項の最後に、見慣れた文字がある。
『無理をするな。危なくなったら撤退すること』
追放されると知る前に書いたのだろう。
「馬鹿みたい」
メルダは紙をたたんだ。
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
翌朝、レオンは予定どおり黒竜の谷へ向かうと宣言した。
誰もよく眠れていなかった。
焚き火は夜半に消えた。見張りの順番を決めた者がおらず、四人とも誰かが起きていると思い込んだ。朝には荷物袋が食い荒らされ、保存食の半分を野鼠に奪われていた。
「ジュンなら結界を張っていた」
リリアが漏らす。
レオンの眉が動いた。
「その名を出すな」
「事実でしょう。水も残り少ないわ」
「谷に川がある」
メルダが地図を開く。
「この季節は毒素が流れ込む。ジュンの注記にも書いてある」
「なら浄化すればいい」
「リリアの魔力は昨夜から戻っていない」
三人の視線が聖女へ集まる。
リリアは杖を握り、試しに水筒へ浄化魔法を使った。白い光は一度灯り、すぐ消えた。
「体調が悪いだけよ」
「全員、同じ日にか?」
メルダの問いへ誰も答えない。
ジュンがいなくなった穴は、一つの仕事ではなかった。夜営、物資、魔力、判断。互いをつないでいた無数の小さな糸が、まとめて切れている。
ただし、三年間で身につけたものまで消えたわけではない。
メルダが簡易鑑定をかけると、四人の基礎能力は追放前と変わっていなかった。ジュンと戦った日々に伸びた体力も、覚えた技も残っている。消えたのは疲労軽減や魔力回復、攻撃を正しい位置へ導く補助だった。
「歩ける足は残ってる。今まで誰かに支えられていたと認めれば、自分で立てるはずよ」
メルダの言葉を、レオンは聞こうとしなかった。
それでもレオンは引き返せなかった。
黒竜より、間違いを認めることのほうが怖かったからだ。
メルダは反対した。ガレスの傷が治っていない。回復薬もない。それでもレオンは聞かなかった。
「ここで戻れば、ジュンが必要だったと認めることになる」
彼が漏らした本音を、三人は聞いた。
谷の入口には、黒竜ではなく甲殻蜥蜴が一頭いた。
そこへ着く前に、四人は三度道を間違えた。
レオンは地図を持っていたが、ジュンが書いた地形の注意を読まなかった。雨で道が消えた場所では方角を失い、メルダの探知魔法も魔力不足で半径百歩しか届かない。
ガレスが苛立って木を蹴り、眠っていた毒蜂を起こした。
これまでは、そんな失敗さえ大事にならなかった。
ジュンの幸運補正で蜂の巣は空だった。毒を受けても状態異常耐性が働いた。道を外れれば、彼が先回りして正しい道へ誘導した。
今は一つの小さな失敗が次の失敗を呼ぶ。
昼を過ぎた頃、ガレスの足から毒が回り始めた。リリアの解毒魔法は弱く、メルダが残り少ない薬を使った。
「何でこんなことになった」
ガレスが呻く。
「自分で巣を蹴ったからよ」
「前は平気だった!」
その言葉に、全員が黙った。
前は平気だった理由を、誰も口にしたくなかった。
メルダだけは、その夜から記録を始めていた。
ジュンがいた日の魔力消費。食料の減り。負傷回数。魔物の行動。彼が抜けたあとの数字と並べると、偶然では済まない差が出る。
「これを王宮へ出す」
野営地で告げると、レオンは帳面を奪った。
「勇者の能力を疑う資料を作る気か」
「原因を調べる資料よ」
「同じだ」
帳面を火へ投げようとした手を、リリアが止めた。
「待って。もし本当にジュンの力なら、連れ戻せばいい」
「追放したのは僕たちだぞ」
「謝れば――」
リリアの声が弱くなる。
荒野へ食料もなく置いた。死亡報告へ署名した。謝罪だけで戻ってくると思うほうが、彼を人ではなく便利な道具として見ている。
それでも彼女は、戻らないかもしれないとは言えなかった。
「聖女である私が頼めば、聞いてくれるわ」
その言葉で、メルダは目を閉じた。
以前のリリアなら『私が』と先に言った。今は『聖女である私』という肩書きで、人の心まで動かせると思っている。
ガレスは痛みに脂汗を流しながら笑う。
「戻ってきたら、一発殴って上下関係を教えりゃいい」
誰も、ジュンが何を望むかを聞こうとしない。
メルダは焼かれかけた帳面を取り戻し、外套の内側へ隠した。
この記録だけは残す。
四人が失敗した証拠ではない。一人の働きを、最初からなかったことにしないために。
甲殻蜥蜴と出会った時点で、四人はすでに半分負けていた。
岩より硬い甲羅を持つ中級魔物。これまで何度も倒している。
「僕一人で十分だ」
レオンが聖剣を抜いた。
金色の光をまとって斬りかかる。いつもなら甲羅の継ぎ目へ自然と刃が導かれた。今日は数寸ずれ、硬い背を打つ。
腕が痺れた。
甲殻蜥蜴の尾が横薙ぎに襲う。レオンは避けたが、後ろのリリアへ直撃した。
「きゃっ!」
リリアが岩壁へ叩きつけられる。
ガレスが怒鳴り、大剣を振るう。傷ついた足がもつれた。魔物の顎が肩へ食らいつく。
骨の折れる音がした。
「リリア! 早く治せ!」
「分かってる!」
リリアが立ち上がり、杖を向ける。
「《聖なる癒やし》!」
白い光がガレスを包んだ。
傷口は閉じない。流れる血も止まらなかった。
「もう一度だ!」
「《聖なる癒やし》! お願い、どうして……《聖なる癒やし》!」
杖の宝珠にひびが入る。
これまで一度も失敗しなかったリリアの回復魔法は、ガレスの傷を治せなかった。




