第4章「レベル1からの異常成長」
白い目から光が落ちてきた。
遺跡の天井など、最初から存在しなかったかのように貫く光だった。アザリアがジュンの腰を抱き、一足で広間の端へ跳ぶ。
直後、二人がいた場所へ白炎が突き刺さった。
黒い石床が音もなく消える。底の見えない穴だけが残った。
「今のが抹消処理か」
「初級のものです」
「初級でこれか」
ジュンは喉を鳴らした。
白い目が動き、逃げた二人を捉える。次の光が集まり始めた。
「アザリア、あの目は壊せるか?」
「可能です。ただし地上も消えます」
「却下だ」
「では、閉じます」
アザリアは黒い翼を広げた。傷ついた翼から銀の粒がこぼれる。彼女が右手を握ると、空間そのものがきしんだ。
重力が上へ向かう。
砕けた石床が浮き、遺跡を貫いた穴を逆に昇っていく。岩、土、地下水。莫大な質量が白い目へ殺到した。
目は光を放つ。岩塊は次々に消えたが、照準がそれた。
「今です。走って」
二人は通路へ飛び込んだ。
背後で遺跡が揺れる。アザリアは片手を後ろへ向けたまま、崩れる天井を重力で支えていた。
「出口はこっちです」
「分かるのか?」
「星が見えます」
壁しかない場所で言う台詞ではない。だが今は彼女を信じるしかなかった。
突き当たりに見えた壁へアザリアが手を伸ばす。石が外へ弾け、夜の荒野が開けた。
二人が地上へ転がり出た途端、穴が塞がる。
空を見上げる。
白い目はもうなかった。円形に割れた雲だけがゆっくり閉じていく。
ジュンは息を吐き、仰向けになった。
「助かった」
「私の力が足りませんでした。完全であれば、あの程度は」
「地上ごと消すのは助けたと言わない」
「難解です」
アザリアが真顔で首をかしげる。ジュンは思わず笑った。
「少しずつ覚えればいい。俺もこの世界のことを全部知ってるわけじゃない」
「あなたは二十五年も生きています」
「どうして年齢を?」
「契約したときに見えました」
ジュンの笑みが固まった。
「ほかには?」
「雨の日。白い線。小さな男性を押すあなた」
「男の子だ」
「小さな男性」
「まあ、間違いではないけど」
前世の記憶まで流れたらしい。だが、アザリアの表情に詮索する気配はなかった。
セレスティアル・レコードを開く。赤い警告は消え、ジュンの情報が表示された。
> レベル:42
>
> 最大レベル:測定不能
>
> 共有対象:アザリア
>
> 天罰同化率:3%
同化率。その文字を見た途端、背中の奥に針を刺されたような痛みが走った。
「どうしました」
「少し痛んだだけだ」
アザリアの目が細くなる。
「先ほど、傷を軽く扱わないよう要求しました」
「覚えてる。大した痛みじゃ――」
「要求を撤回します」
「そうか」
「命令します。痛いときは痛いと言ってください」
「命令になったのか」
千年ぶりに自由になった少女は、意外に頑固だった。
ジュンは観念して背を向ける。アザリアの冷たい指が服越しに背骨をなぞった。
「魔力が集まっています。私の翼と同じ構造です」
「翼が生えるってことか?」
「現時点では不明です」
不安を煽らないようにしているのだろう。無表情でも、声のわずかな硬さで分かった。
「天罰を返せる方法を探そう」
「必要ありません」
「俺にはある」
アザリアが黙る。
「あの針を全部抜けば、翼も治るんだろう?」
「あなたへ移ります」
「なら、移した後で消す方法を探す。セレスティアル・レコードには、まだ読めないページがある」
「なぜ、そこまで」
「見えてしまったからだ。痛いのを知っていて放っておくと、寝覚めが悪い」
「私は千年、眠っていました。寝覚めは悪くありません」
「そういう意味じゃない」
アザリアは数秒考えたあと、小さくうなずいた。
「人間の言葉は複雑です」
夜明けまで歩き、岩山の陰で休んだ。
眠りに落ちたジュンは、知らない夢を見た。
星降る丘で、銀髪の少女が人間の子どもへ指を差し出している。
『あの星は、旅人を北へ導きます』
『お姉ちゃんは迷わないの?』
『私は星を知っていますから』
『でも、行きたい場所がないときは?』
少女は答えられない。
夢がそこで終わる。
目を覚ますと、アザリアがすぐそばでジュンを見ていた。
「私の記憶を見ましたか」
「たぶん」
「契約の混線です。閉じる方法を探します」
「嫌じゃない。ただ、勝手に見て悪かった」
「謝るのは、あなたなのですか」
「君の記憶だから」
アザリアは理解できないものを見る顔をした。天界では、契約者が従属者の記憶を見ることに許可など要らなかった。
「行きたい場所は決まったか?」
「まだです」
「俺もだ。なら一緒に探そう」
千年前の問いへ、初めて答えが一つ増えた。
ジュンは眠る前に周囲へ罠糸を張った。アザリアはその様子をじっと眺めている。
「眠らないのか?」
「必要ありません」
「それでも休んだほうがいい」
「命令ですか」
「提案だ」
隣の平らな岩を叩く。アザリアはそこへ座ったものの、横になろうとはしない。
「封印中、夢を見たか?」
「同じ夢を繰り返しました。私が星の読み方を教えた人々が、空を見上げています。天界は彼らの町を焼きました」
淡々とした声だった。
「私が教えなければ、彼らは死ななかった」
「天界が焼かなければ、死ななかった」
「記録上、原因は私です」
「記録が何だ。そこに選んだ人の気持ちは書いてあるのか」
アザリアは答えなかった。
ジュンは目を閉じた。久しぶりに誰かの隣で眠るのに、不思議と警戒はなかった。
目覚めると、肩に黒い翼がかけられていた。アザリアは座ったまま遠くを見ている。
「ずっと見張っていたのか?」
「休めという提案には従いました」
「座ってただけだろ」
「休息の定義を明確にしてください」
朝食はなかった。二人で荒野を進み、小角兎を見つける。ジュンが石を投げると、狙いどおり額へ当たった。
狩りの前、アザリアは兎をじっと見ていた。
「かわいいと思うか?」
「小さな角があります」
「感想が事実だけだな」
「千年前、人間の子どもが同じ生物を抱いていました。次の日、鍋に入っていました」
「たくましい子どもだ」
「泣きながら食べていました」
ジュンは投げかけた石を下ろした。
「食べにくくなった」
「空腹なのでしょう?」
「そうだけど」
「なら私が倒します」
アザリアが指を上げる。小角兎の頭上に小さな星が生まれた。
「待て。それだと肉が消える」
星を止め、結局ジュンが仕留めた。
命を奪うことへ慣れすぎない。それでも生きるために食べる。前世の店で切り身を買っていた頃より、異世界ではその距離が近い。
解体しながら、ジュンは短く手を合わせた。
アザリアも真似る。
「これは命令ですか」
「感謝だ」
「では、覚えます」
彼女は未知の習慣を一つずつ、自分で選んで覚え始めていた。
身体能力が昨日までとは違う。遠くの呼吸まで聞こえ、どちらへ逃げるか筋肉の動きで分かる。
仕留めた兎を解体していると、アザリアが見つめてきた。
「食べるのですか」
「食べないと死ぬ」
「面倒です」
「人間だからな」
火を起こし、肉を焼く。塩はない。固くて獣臭かったが、空腹には十分だった。
アザリアへ串を差し出す。
「私は食事を必要としません」
「必要かどうかじゃなく、食べてみるか?」
彼女は肉とジュンを見比べ、口を開けた。
「自分で持てるぞ」
「食べさせる行為では?」
「違う」
アザリアは串を受け取り、慎重にかじった。無表情のまま二度、三度と噛む。
「どうだ?」
「焦げています」
「悪かったな」
「ですが、嫌いではありません」
その日の昼、二人は街道の分岐へ着いた。
北へ行けば、レオンたちが向かった魔境。南なら王都。東の荒野には、地図上で捨てられた村が一つある。
帰る場所のない自分たちには、廃村がお似合いかもしれない。
「東へ行こう。屋根くらい残ってるだろう」
「ジュンが行くなら」
「命令じゃない。アザリアは、どこへ行きたい?」
問われた少女は、初めて困った顔をした。
「考えたことがありません」
「なら、ゆっくり決めよう」
その夜、二人が東へ向かう頃。
遠く離れた王都の神殿で、死者を記録する魔法石に異変が起きた。
勇者レオンの報告に従い、《八神ジュン・死亡》と刻まれた石だ。
銀色の亀裂が名前を横切る。
神官が息を呑んだ直後、魔法石は内側から粉々に砕け散った。




