第34章「人間に戻る方法」
七人は何も言わなかった。
沈黙の間にも初期化は進んでいた。
遠い山が輪郭から薄れ、海の波が一つずつ停止する。セレスティアル・レコードの表示には、消去までの数字が静かに減っていた。
ジュンが七人へ尋ねたのは、正しい答えではない。
正しさだけなら簡単だ。七人と引き換えに何百万の命を救う。数字へすれば迷う余地はない。
だが、その数字にアザリアの不器用な料理は入らない。セフィラの笑い声も、ラミナが自分で選んだ一歩も。ガルネアの木馬、ミレイアの叱る声、ノクティアの強がり、ティアネが分けたパンも記録されない。
一人を数字に変えた瞬間、天界と同じになる。
「もし消去しか方法がなければ、それでも嫌だと言うかもしれない」
ジュンは正直に言った。
「俺は世界中の人を知っているわけじゃない。皆を選びたい気持ちには、きっと偏りがある」
「偏りがあるから、人なのよ」
セフィラが答える。
「誰も同じ重さでは愛せない。だから話し、違う重さを持つ人と支え合う」
アザリアはジュンの右手を握り、ラミナは左手へ触れた。残る五人も輪を作る。
「八人で偏れば、少しはまっすぐになります」
アザリアの理屈に、皆が笑った。
その笑いが、第三の選択を探す力になった。
消去を選べとは言わない。拒めとも言わない。ジュンが一人で決めないと誓ったことを、全員が覚えていた。
「皆の考えを聞かせてくれ」
最初に口を開いたのはアザリアだった。
「私は消えたくありません。ジュンと生きたい」
「私もよ」
セフィラが続く。
「でも、世界中の命より自分を選べとは言えない」
「未来は選択で変わった」
ラミナが白い空を見る。
「提示された二つ以外を探したい」
ガルネア、ミレイア、ノクティア、ティアネもうなずく。
「決まりだ。全員で生きる方法を選ぶ」
消去の文字へ剣を突き立てた。
選択肢が砕ける。
黒い道の先に、天界の門が開いた。
天界は美しかった。
美しすぎて、息苦しかった。
道幅はすべて同じ。木の枝は左右対称。花びらの数にも違いがない。風は一定の間隔で吹き、水面には決められた大きさの波だけが立つ。
ティアネが道端の実を一つ取ろうとすると、枝が手の届かない高さへ逃げた。
「採取予定にない生命は触れられない仕組みね」
セフィラが術式を読む。
ガルネアは石畳の一枚へ槌を入れた。初めて小さな欠けができる。
すぐに白い光が集まり、傷を修復した。
「何も壊れねえ場所じゃ、何も作れねえ」
ミレイアが花へ触れる。花は香りを持たない。虫を呼ぶ必要がなく、種を作る必要もないからだ。
「生きている形をした、止まった場所です」
ジュンは地上の街を思う。
曲がった道。壊れては直す屋根。焦げた鍋。喧嘩の翌日に同じ食卓へ戻る人々。
不完全だからこそ、変われる。
天界の美しさを見て、地上へ自由を返す決意はさらに強くなった。
道の途中で、七つの扉が現れた。
アザリアの前には、命令だけを待てば誰も失望させない部屋。セフィラには、まだ知らない答えがすべて書かれた書庫。ラミナには、失敗のない未来が一本だけ続く庭が開く。
ガルネアの扉の奥では、決して壊れない武器が炉から生まれていた。ミレイアには誰も病まない森。ノクティアには孤独を感じない永い眠り。ティアネには、千年前の家族が全員そろった食卓。
管理者が、彼女たちの傷へ用意した答えだった。
「入れば、本当に会える?」
ティアネが食卓を見つめる。母に似た巨人が大皿を運び、父が手を振っていた。
ジュンは引き止めなかった。
「選ぶのはティアネだ」
少女は一歩だけ扉へ近づき、匂いを吸い込む。そして振り返った。
「あれ、ティアネの好きなものしかない」
「いい食卓じゃないか?」
「家族なら、ときどき嫌いな豆も出すよ」
扉が閉じる。
セフィラも書庫から一冊を抜いたが、中身を開かず棚へ戻した。
「答えを得るまでの迷いまで奪う本は、知識ではないわ」
ラミナは庭の一本道へ背を向ける。
「見えない場所に、私の明日がある」
七人は完璧な救いを選ばなかった。
傷が消えなくても、自分で歩ける不完全な現実を選んだ。
白い島々が青空へ浮かび、銀の水が空を上へ流れている。花は枯れず、建物には傷一つない。
生き物だけがいなかった。
中央の宮殿で、管理者が待っていた。
顔も性別もない、白い人影。声は何千人もの声が重なっている。
『八神ジュン。取引を提示する』
空中へ二つの姿が映る。
一つは人間へ戻ったジュン。昇星の街で歳を取り、穏やかに死ぬ。
もう一つは七人。再び封印され、夢も見ずに眠る。
『契約を切断すれば、お前の人間性を復元する。七記録対象は再封印とし、世界初期化を停止する』
「七人はいつ解放される」
『世界が安全になったとき』
「誰が判断する」
『管理者』
「なら、永遠に来ない」
管理者の周囲へ過去の世界が映る。
『自由な成長は争いを生む。お前が救った者も、いつか他者を傷つける』
「そうかもしれない」
『お前は間違う』
「間違うだろうな」
『ならば管理を受け入れよ』
「間違えるから、誰かと考える。傷つけたら止めてもらう。やり直す」
ジュンは七人を見た。
「大切な人を見捨てて人間でいるくらいなら、俺は化け物でいい」
『選択を確認』
管理者が手を上げる。
ジュンの八枚の翼が内側から崩れた。
七人の記憶が濁流となり、自分の名前も過去も洗い流す。ノクティアの精神共有が切れ、つないだ手の感触が消える。
「ジュン!」
誰かが呼んでいる。
それが自分の名だと、もう理解できなかった。




