第32章「第八の堕天使」
白紙へ黒い翼が描かれた。
七人のものとは違う。星、文字、雷、炎、生命、影、大地。すべての色を含んだ八枚の翼。
中央へジュンの姿が現れる。
> 第八記録対象――八神ジュン。
>
> 種族――人間。
>
> 人間該当率――12%。
>
> 新規分類――堕天使。
「俺が、堕天使?」
「生まれつきではありません」
アザリアがページに触れる。
「天界に逆らった者。天罰を受けても意志を曲げなかった者。私たちを救い、罪を分けた者」
「堕天使という分類は、種族ではなかったのね」
セフィラが続ける。
「天界が管理できなくなった者へ貼る名前だった」
ラミナの見た未来。八枚の翼を持つジュンは、七人を救った結果として生まれる。
特別な血も、神の魂も関係ない。
救う選択を続けたから、ここへ来た。
ノクティアがジュンの影をのぞく。
「名前は戻ってる。でも、中身が薄い」
「地上へ帰るまで持つか?」
「皆で持たせる」
ティアネがジュンの頭へしがみついた。
「家族だから」
七人の手が触れるたび、記憶が固定される。
アザリアの手から、初めて食べた焦げ肉の味が戻る。
セフィラからは、学園地下で言い争った声。ラミナから、見えない一秒を迎えた震え。ガルネアから炉の熱、ミレイアから土と薬草の匂い、ノクティアから夢の中の約束、ティアネから半分にしたパンの甘さ。
どれもジュン一人の記憶ではない。
地上へ戻る途中、ジュンは自分の前世の住所を思い出せなくなった。
駅の形は浮かぶ。雨の匂いもある。だが家までの道を曲がるたび、景色が白く抜ける。
「忘れたくない?」
ノクティアが尋ねた。
「分からない。忘れたら楽になる気もする」
「楽にするために消すのは、天界と同じ」
小さな手がジュンの指を握る。
「つらいまま持つか、誰かへ話して軽くするか、自分で決めて」
ジュンは七人へ、前世の話を始めた。
安い缶コーヒー。満員電車。雨の日に滑りやすかった横断歩道。残業帰りに寄った店。救った少年の顔は覚えていないこと。
華やかな人生ではない。語るほどの冒険もなかった。
それでも七人は途中で遮らず、知らない言葉を質問した。ティアネは電車を巨大な鉄の蛇だと理解し、乗りたいと騒いだ。
「いつか作るか」
「ガルネアが?」
「何で俺を見る。まあ、面白そうだけどよ」
忘れていく故郷が、新しい約束へ形を変えた。
ジュンがジュンである証拠は、失わない記憶の量ではない。失ったあとも、何を大切にしたかを聞いてくれる人がいることだった。
「人間ではなくなるのが怖い?」
ラミナが尋ねる。
「怖い」
「私たちと同じになるのは?」
「それ自体は怖くない。俺が俺でなくなって、皆を傷つけるのが怖い」
アザリアが正面へ立つ。
「そのときは止めます」
セフィラが眼鏡を押し上げる。
「私が術式を解く」
ラミナは左右で色の違う瞳を細めた。
「私が一秒前に知らせる」
ガルネアが槌を肩へ担ぐ。
「俺が武器を壊す」
ミレイアはジュンの胸へ手を当てた。
「私が心を治します」
ノクティアが影から顔を出す。
「夢から引きずり出す」
最後に、ティアネが両腕を広げた。
「ティアネがぎゅってする!」
七人の答えに、ジュンは笑った。
人間性とは、一人の中へ閉じ込めて守るものではないのかもしれない。誰かが自分らしさを覚え、見失ったときに返してくれる。
「頼りにしてる」
第八の堕天使という名は、孤独な宣告ではなくなった。
地上へ戻ると、消去の光は止まっていた。
石になっていた巨人族も目を覚ました。
千年ぶりの太陽に目を細め、足元の人々を踏まないよう身を縮める。ティアネはジュンの肩に座り、大声で一族へ紹介した。
「新しい家族!」
巨人たちが一斉に膝をつく。大地が揺れた。
「やめてくれ。地面がまた割れる」
緊張していた人々から笑いが起きる。
笑えなかった者もいる。
千年前の戦で家族を失った記憶を受け継ぐ集落の者たちは、巨人族を天災の名で語ってきた。目覚めたドルガの前へ、斧を持った男が進み出る。
「あんたらが歩けば、俺たちの家は潰れる」
「そのとおりだ」
ドルガは言い訳をせず、斧の届く高さまで片膝をついた。
「ゆえに歩く場所を教えてほしい。知らずに壊したものは直す。知って壊したなら、裁きを受ける」
男は斧を下ろさなかった。だが振り上げもしなかった。
「北の谷なら、人は住んでない。岩山が崩れて道も塞がってる」
「道を開けば、通ってよいか」
「まずは一本だ。話はそれからだ」
和解ではない。最初の仕事が決まっただけだ。
ジュンには、そのほうが信用できた。
ニナがティアネへパンを持ってきた。
「半分こしよう」
「半分?」
ティアネはパンとニナを交互に見た。食べ物を分けるという概念と、食欲が激しく戦っている。
「……ちいさいほう、あげる」
「ありがとう」
ニナが笑うと、ティアネも笑った。
七人目が加わった瞬間は、世界を揺るがす儀式ではなく、一つのパンを分ける時間になった。
ジュンはそれがうれしかった。
第八ページの意味が何であっても、この光景を間違いとは呼ばせない。
大陸は残った。各地の固定杭から歓声が伝わる。
レオンも生きていた。エルディスが最後に光をそらし、瀕死で救ったという。
「借りを作るつもりはなかった」
「私も、規定外行動を一度試しただけだ」
エルディスはそう答えた。
勝った。
誰もがそう思った。
空に、見たことのない文字が並ぶまでは。
> 七記録の開示を確認。
>
> 第八変異個体を確認。
>
> 現文明は管理可能域を超過しました。
>
> 世界初期化を開始します。




