第30章「勇者の最後」
「なぜだ」
ジュンは警戒を解かなかった。
「王は僕に、消去が終われば新しい大陸の勇者にすると言った」
レオンが笑う。以前の自信に満ちた笑いではない。
「ようやく分かった。僕も使い捨てだ。お前を捨てた僕が、今度は捨てられた」
「それで改心したのか」
「まさか」
レオンはジュンを睨む。
二人の間には、三年間が横たわっていた。
共に魔物へ挑んだ日。勝利を喜んだ夜。レオンが初めて勇者と呼ばれ、誰より喜んだのはジュンだった。傲慢さだけが彼のすべてではない。
「昔、お前は人を助けた」
ジュンが言う。
「川に落ちた子どもを、鎧のまま飛び込んで救った。覚えているか」
「勇者として当然だ」
「あのときは、誰も見てなかった」
レオンの視線が揺れる。
「いつから称号のために戦うようになった」
「黙れ。お前に僕の何が分かる」
「分からない。だから今、聞いてる」
レオンは答えなかった。
王国は彼を選び、勝ち続けることだけを許した。負ければ価値を失う。弱さを見せれば別の勇者へ取り替えられる。その恐怖へ、レオンは他人を見下すことで耐えた。
理解しても、したことは消えない。
「罪を帳消しにはしない」
「望んでいない」
「でも今日、人を救うなら、その行動は認める」
「上から物を言うな」
レオンは吐き捨てた。けれど、鉄剣を握る手から余計な力が抜けた。
「今でもお前が嫌いだ。僕より強く、僕が欲しかったものを全部持っている」
「なら、どうして来た」
「僕は勇者だと名乗った。せめて一度くらい、勇者の仕事をする」
完全な善人にはならない。それでも逃げずに来た。
ジュンは北側の避難を任せた。
北には切り立った谷があり、避難路は荷車一台分しかない。五千の兵を持っていても、命令だけでは住民を動かせない。
レオンは馬を降りた。
「勇者様、先に貴族を!」
王国の役人が叫ぶ。
「子どもと病人が先だ」
「身分の順序がございます!」
「今日、身分は大陸を支えない」
役人を押しのけ、自分で荷車の車輪を持ち上げる。かつてならジュンへ命じた仕事だった。
泥が鎧へつき、手の皮が破れる。
ガレスもいた。投獄先から避難のため出され、最初は不満を漏らしていた。
「何で俺が農民の荷物を」
「嫌なら置いていく」
「俺をか?」
「そうだ」
レオンが冷たく返すと、ガレスは黙って荷を担いだ。
強者へ媚びる性格は変わらない。それでも、その力で老人を一人運べば命は助かる。
ジュンは遠くから避難の流れを見た。
改心は美しい言葉ではなく、泥の中で目の前の仕事を続けることなのかもしれない。
「命令するなよ」
「指揮に入ると言っただろ」
「そうだったな」
レオンは苦い顔で走った。
正午、空に白い輪が開く。
消去の光が大陸中央へ集まり始めた。
「固定杭、起動!」
七本の炎が地面へ突き刺さる。セフィラの術式が大陸全土を覆い、ミレイアの根が地割れをつなぐ。アザリアが重力を押さえ、ラミナが最後の一点を選ぶ。
「七本目、ここ!」
見ずに指した場所へガルネアが槌を振り下ろした。
大地の揺れが止まる。
だが、天界の光は消えない。
エルディスが空から現れた。白翼はぼろぼろで、仮面もない。
「命令は止められなかった。管理者は大陸とともに私も消す」
「それでも知らせに来たのか」
「違う方法を見せると言ったな。見届ける」
光が落ちる。
皆の魔力を集めても押し返せない。ジュンは黒剣《昇星》を掲げ、光を切り開いた。
刃が軋む。
背中から六枚の翼が開き、同化が進む。自分の名前がまた薄くなる。
「ジュン、戻って!」
「まだティアネを起こしてない!」
地下へ続く道は、光の中心にある。
レオンが避難を終え、戻ってきた。
戻る必要はなかった。
北側の住民は安全圏へ入り、兵も撤退を始めている。ここから逃げても誰も責めない。
それでもレオンは来た。
「怖くないのか」
ジュンが聞く。
「怖い。聖剣があった頃は、怖くないふりを剣が助けてくれた。今は手が震える」
鉄剣の切っ先は小さく揺れている。
「逃げてもいい」
「それをお前が言うのか」
「選べると言ってる」
レオンはしばらく鉄剣を見つめた。
「僕は何度も、選ばれた勇者だと言った。でも一度も自分で選んでいなかった。王が行けと言う場所へ行き、民が期待する顔をした」
顔を上げる。
「今は、自分で戻ってきた」
「そうか」
ジュンはそれ以上褒めなかった。
過去を許す言葉も与えない。ただ、自分で選んだ一歩を事実として受け取った。
レオンには、それで十分だった。
「そこを通ればいいんだな」
「何をする気だ」
「借りを返す」
鉄剣一本で光へ飛び込む。勇者の力はほとんど残っていない。それでも彼の身体には、ジュンが与えた成長の一部が残っていた。
> 旧共有対象の限界突破を確認。
レオンの剣が一瞬だけ聖剣より強く輝く。
光に裂け目が開いた。
「行け!」
「レオン!」
「僕を許すなよ!」
白光が彼の身体を貫いた。
倒れながら、それでもレオンは笑っていた。
「弱いまま生きるのは……思ったより、悪くない」
二射目の白光がレオンへ落ちる。
届かないはずの距離で、光の軌道がわずかに曲がった。
「させません」
エルディスだった。翼を半分焼かれながら、処刑術式の残りを自分の槍へ引き受ける。槍は砕け、彼も膝をついた。
ミレイアが地面へ手を当てる。
「命の音がある。弱いけど、消えてない!」
レオンは動かなかった。それでも大地を伝う鼓動が、一度、確かに返った。
「連れていけない」ジュンは拳を握る。
「分かってる」ミレイアが答えた。「だから覚えておく。戻る道を作るために」
レオンの責任は、ここで死んで終わるものではない。
生き残れば、剣を持たずに償う日々が待つ。その残酷さを、彼自身が選んだ。
ジュンたちは裂け目へ飛び込む。
背後で道が閉じる直前、レオンの鉄剣が地面へ落ちた。




