第28章「最後の堕天使」
ノクティアが黒い染みへ指を差し込んだ。
「消える速度は遅くできる。でも止められない」
自分の影を糸にし、薄れた名前へ縫いつける。
「どれくらい持つ?」
「七日。長くて十日」
セレスティアル・レコードの七枚目が開いた。
小柄な茶髪の少女が、大陸を支えるように眠っている。
> 第七堕天使ティアネ。
>
> 封印地点:大陸中央基盤。
>
> 警告。解除に伴い地殻固定が失われます。
「封印そのものが大陸を留めている」
セフィラが地図へ線を引く。
「天界はティアネの《空間固定》を使い、大陸を一枚につないだ。解放すれば七つに割れる」
「別の支えを作ればいい」
ガルネアが腕を組む。
「大陸サイズの武器なんざ作ったことねえぞ」
「できないとは言わないのね」
「当たり前だ」
昇星の街の地下に作戦室を開いた。
ガルネアと職人が固定杭を設計する。セフィラと学園から密かに来たメルダが術式を組む。アザリアは必要な重力を計算し、ラミナは崩壊する場所を探す。ミレイアは大地そのものへ生命の根を張る案を出した。ノクティアは各地の領主の夢へ入り、警告を届けた。
壁一面の地図には、昼夜を問わず印が増えた。
王国の検問所から、荷車を一台だけ見逃すという符丁が届く。学園では、かつてジュンを疑った教師が禁書庫の複製を送ってきた。北の傭兵団は報酬を要求したが、半額を先払いすれば命令には従うと言う。聖騎士の一部は教会の目を盗み、避難路を空けた。
味方と呼べる者ばかりではない。それでも、世界を残すという一点で線はつながった。
ジュンは届く報告をすべて自分で読もうとして、三通目で書類を奪われた。
「あなたは杭の核に集中して」セフィラが言う。
「でも判断が――」
「必要なら呼ぶ。任せることも、あなたの仕事」
アザリアが計算班を率い、ガルネアが職人同士の喧嘩を収める。ラミナは未来の見えない箇所だけを赤く塗り、ミレイアは避難先の水と食料を数えた。ノクティアは夢から戻るたび、眠ったまま報告を口にする。
ジュンはようやく理解した。
六人を救ったからといって、六人分の仕事まで背負う必要はない。救われた者は、守られるだけの存在ではなくなる。
「分かった。俺は俺の場所へ行く」
「よろしい」
セフィラは厳しい顔のまま、机の下で小さく拳を握った。
作戦室へ、七つの地域から代表が呼ばれた。
ティアネを解放しなければ、大陸は当面残る。解放すれば、固定杭が失敗した瞬間に海も山も裂ける。救出はジュンたちの私情だと、南部領主は真っ先に指摘した。
「眠っている一人のために、全住民を危険へさらすのか」
「一人を土台にしている今の安全を、残したいのか」
ジュンは問い返す。
「綺麗事だ。領民の命を預かれば、犠牲を選ぶ日もある」
「選ぶ日があることと、犠牲になった本人へ何も言わないことは別だ」
議論は昼から夜まで続いた。
固定杭の成功率は、当初四十一パーセント。アザリアが重力偏差を計算して五十八。セフィラとメルダが天界式の誤差を直して七十二。巨人族の古い歌に地層の記憶が残っていると分かり、八十一まで上がった。
百にはならない。
最後に、各地の代表へ投票を求めた。ジュンは投票しなかった。危険を負う土地の者が決めるべきだと思った。
結果は、救出に賛成五、反対二。
反対した南部領主も席を立たなかった。
「決まったなら、南の崩落地点は私が受け持つ」
「反対だったんじゃないのか」
「反対意見を捨てたわけではない。失敗すれば、お前を恨む。それでも決定後に仕事を放り出せば、死ぬのは領民だ」
全員が同じ心になったのではない。
違うまま一つの仕事を選んだ。その不格好な合意こそ、天界には作れないものだった。
ジュンは街の外れで黒剣を振った。
剣は振るたび、違う音を出した。
アザリアが近くにいれば星の鈴。セフィラが見ていれば紙をめくる音。ラミナなら遠雷。ガルネアは炉の響き、ミレイアは葉擦れ、ノクティアは寝息、まだ見ぬティアネは大地の鼓動。
「八人目の音は?」
ガルネアが尋ねる。
「聞こえない」
「自分の音は、自分じゃ分かりにくいもんだ」
彼女が柄へ細い溝を刻む。仲間の魔力が流れ込む道だ。
「この剣はお前だけの武器じゃねえ。誰か一人の力が暴れたら、残りが支える」
「俺みたいだな」
「だから作った」
ガルネアは槌を肩へ担いだ。
「武器は持ち主を映す。前の剣は一人で削れて強くなる、お前の悪い癖そのものだった。今度は違う」
ジュンは黒い刀身へ映る自分を見た。
一人で強くなるのではない。力を借り、返し、時には止めてもらう。
それを弱さだとは、もう思わなかった。
ガルネアが青い石を核にして作った剣だ。力を吸わない。逆に仲間の思いを受けるほど軽く、鋭くなる。
「名をつけろ」
「昇星」
「街と同じか」
「ここで生まれた剣だから」
ガルネアは照れたように鼻をこすった。
準備が整い始めた夜、空が赤く染まった。
レコードから、感情のない声が響く。
> 第七記録領域の不正開示を確認。
>
> 大陸単位での修正へ移行します。
>
> 第七記録対象を含む大陸を消去します。
「いつだ」
> 執行まで、七日。




