第25章「裏切りの聖女」
刃は胸へ届かなかった。
ジュンがリリアの手首をつかむ。短剣から白い鎖が噴き出し、二人の腕へ絡んだ。
「離して!」
「先にこれを止める」
「もう止まらないの! 教会は私の心臓へ聖遺物を埋めた。あなたを殺さなければ、私が死ぬ!」
リリアの胸元に同じ紋章が光る。
アザリアが短剣を壊そうとする。セフィラが止めた。
「破壊すれば術者も死ぬ!」
聖遺物がリリアの魔力を吸い、巨大な光刃へ変わる。床が割れ、壁が消えた。
「私ごと殺して!」
「断る」
「どうして! 私はあなたを捨てた! 今も殺そうとしてる!」
「だからって、死なせていい理由にはならない」
ジュンは鎖を自分へ引き寄せた。
暗殺命令が腕から心臓へ侵入する。鼓動が止まる。視界が暗くなった。
ミレイアが生命をつなぎ、ガルネアが刃の形を崩す。ラミナが術式の切れる瞬間を告げる。
「三秒後。セフィラ!」
「分かってる!」
セフィラが命令文を読む。
『対象を殺害できない場合、聖女を処分する』
「主語を変えるわ。ジュン、術式を引きつけて!」
ジュンは《無限昇華》を開く。暗殺命令を攻撃ではなく、越えるべき世界の法則として受け取った。
> 世界修正命令を経験値へ変換します。
白い鎖が黒く染まる。
セフィラが『聖女』の二字を『聖遺物』へ書き換えた。
命令が自分自身を処分する。
短剣へ亀裂が入り、砕けた。
リリアの胸から白い欠片が抜け、床へ落ちる。
ジュンは彼女を支えたまま膝をついた。
リリアの心臓は弱く動いている。聖遺物を抜かれた場所に、空洞ができていた。
「ミレイア!」
「治します。ただし、彼女自身が生きることを選ばなければ」
緑の光が胸を包む。リリアは目を閉じたまま首を振った。
「私が生きて、何になるの」
「それを探せ」
「あなたには仲間も街もある。私は全部なくした」
「この街の最初の住民も、何も持ってなかった」
ジュンは彼女の手を握る。
「なくしたことは、終わった理由にならない」
「あなたは、私を恨んでいないの?」
「恨んだ。今も傷は残ってる」
リリアの指が強ばる。
「でも、その傷を理由に君の命を捨てたら、俺は自分を嫌いになる」
ミレイアの光が空洞を満たしていく。
リリアは初めて、許してほしいとは言わなかった。
「生きるわ」
かすかな声だった。
「許されなくても、したことを話す。教会が誰を使って、誰を殺したか」
その選択を聞いてから、ジュンは手を離した。
「どうして……」
「さっき答えた」
「助けたら、またやり直せると思ってるの?」
「思ってない。復縁はしない」
リリアの涙がジュンの手へ落ちた。
「君は自分の罪と向き合って、生きてくれ。それが俺にできる最後のことだ」
リリアは声を上げて泣いた。
その出発を認めるまで、街では夜通し話し合いが続いた。
聖遺物を持ち込んだ者を、縄もかけずに外へ出していいのか。被害を受けた家族はどう思う。証言すると言って逃げるだけではないのか。
議場になった食堂で、怒鳴り声が飛び交った。
「助けたから無罪、なんて話じゃない」
ジュンは立ったまま言った。
「俺はリリアを死なせないと決めた。でも、許すかどうかを俺一人で決める気もない。彼女には証言させる。その先で裁きを受けてもらう」
「裏切った女を、まだ信じるのか」
「信じてない。だから道を一つにする。メルダのところへ着かなければ、追跡印が知らせる。証言を終えるまで印は消えない」
セフィラが机へ術式の写しを置いた。逃亡を防ぐだけの印で、痛みも自由の剥奪もない。住民の一人がそれを長く見つめた。
「救うってのは、帳消しにすることじゃないんだな」
「ああ。したことを抱えて、生きて選び直せる場所まで連れていくことだ」
最後に、聖遺物事件で店を焼かれたパン屋の老人が手を挙げた。
「行かせよう。俺はあの娘を許さん。だが、教会の嘘を墓まで持っていかれるのはもっと困る」
全会一致ではなかった。それでも街は、感情を押し殺さずに結論を出した。
ジュンはその不揃いな決定を、王の命令より信じられると思った。
翌朝、彼女は一人で街を出た。教会の暗殺命令と勇者の虚偽報告を証言するため、メルダを探すという。
門にはジュンだけが見送りに来た。
アザリアたちは少し離れた城壁から見ている。信用はしていない。それでも、リリアが自分で歩くことを邪魔しなかった。
「これを返すわ」
リリアは小さな袋を差し出した。勇者一行で稼いだ報酬のうち、ジュンが受け取るはずだった分だ。すべてではない。彼女が集められた金だけだった。
「街へ寄付してくれ」
「私からだと、受け取ってもらえないかもしれない」
「なら、自分で必要な人へ渡せ」
ジュンは受け取らなかった。
「それが最初のやり直しだ」
リリアは袋を握り直した。
「いつか、許してもらえる?」
「それを目当てに動くな。許されなくても、正しいと思うことを続けろ」
「厳しくなったのね」
「自分にも同じことを言ってる」
二人は短く笑った。
婚約者には戻らない。友人と呼ぶにも遠い。それでも憎しみだけで終わる関係ではなくなった。
リリアは振り返らず、王都へ続く道を歩いた。
ジュンは見送ったが、追わなかった。
砕けた聖遺物だけが問題として残った。
欠片は床へ円を描き、内側に星のない夜空を映している。
「天界への扉よ」
セフィラが覗き込む。
暗闇の奥から、小さな笑い声がした。
『やっと開いた。ねえ、次は誰の悪夢から食べようか?』




