第16章「村から街へ」
ラミナが見た未来は、三人だけの秘密にした。
ジュンが望んだことではない。アザリアとセフィラが決めた。
「村へ戻るまで黙っていて」
セフィラはそう言い、ラミナから詳しい光景を聞き出した。八枚の翼。血に濡れた七人。天界を覆う影。
「本人へ話さないの?」
「話せば、自分を犠牲にして契約を切ろうとします」
アザリアの答えに、ラミナも反論できなかった。
当のジュンは、塔のふもとで雷に焼かれた外套を繕っていた。
「糸が通らないな」
「貸して」
ラミナが隣へ座る。針を受け取ると、迷いなく布を縫った。
「裁縫ができるのか」
「できる未来を見て覚えた」
「便利だな」
「便利ではないわ。今は、成功するか分からない」
縫い目は少し曲がっていた。ラミナはそれを見て、微笑んだ。
「でも、前より好き」
村へ戻ると、住民が三倍に増えていた。
人数が増えれば、善意だけでは回らない。
井戸の順番をめぐって喧嘩が起き、畑の境界で人間と獣人が揉めた。配給を二度受け取る者もいれば、遠慮して一度も来ない者もいる。
「追い出しますか」
規則を破った男を前に、ベルグが尋ねた。
「理由を聞く」
男は病気の母へ食料を残すため、余分に取ったと答えた。
「盗みを許せば、皆が困る」
「分かってる。でも母ちゃんが」
「次から配給所で事情を話せ。ベルグ、治療師を連れて母親の様子を見てくれ」
男には食料運びの仕事を与えた。罰としてではなく、同じ事情の家へ先に届ける役目だ。
セフィラが新しい規則を板へ書く。
『困ったときは、盗む前に話す。話した者を笑わない』
「法律としては曖昧ね」
「今はこれでいい」
「ええ。人が増えれば、また書き直しましょう」
完成した正解を与えるのではない。問題が起きるたび、当事者と決める。
街づくりは建物より、そうした話し合いに時間がかかった。
王国軍を退けた噂が広がり、逃げてきた農民、獣人の家族、追放された治療師が集まっていた。壊れた家は埋まり、広場には布の天幕が並ぶ。
「領主様、食料が足りません」
「領主様、井戸をもう一つ」
「領主様、獣人と人間を同じ区画へ入れていいんですか」
「順番に話してくれ。それと領主様はやめろ」
帰った直後から仕事の山だった。
セフィラは住民名簿と配給表を作り、ラミナは雨の時期を予測した。アザリアは重力で石材を運んだが、置くたび地面へめり込ませ、ニナから「そっと」を教わった。
ジュンは新しく来た者全員と話した。
獣人の大工は王都で賃金を半分しか払われなかった。治療師は身分を問わず患者を診て、教会から追われた。鍛冶職人たちは国軍向けの武器を無償で作らされ、炉を捨てて逃げてきた。
「ここで働いた分は、ここで暮らす皆のものにする」
「税は?」
「収穫が安定するまで取らない。食料と道具は必要な場所へ回す」
難しい制度は作れない。まず今日を生きる。それだけだった。
《無限昇華》は共同作業まで経験へ変えた。
大工が若者へ梁の組み方を教える。子どもが文字を覚える。畑を耕す。井戸を掘る。小さな成長が全員へ分かれて流れた。
一月後、荒地に麦の芽が出た。
二月後、木の柵は石壁へ変わった。
三月後、広場に百人が集まった。
誰かが看板へ『廃村』と書かれていた文字を削り、『昇星の街』と刻んだ。
「名前、決めてなかったのに」
「皆が決めました」
アザリアが星の印を看板へ添える。
その夜、四人は新しい食堂で初めて同じ卓を囲んだ。
食堂は、街の変化を一番よく映す場所だった。
初日は九人で野草の汁をすすった。今は長机が十二脚あり、百人が交代で食べる。獣人の猟師が仕留めた肉を農民が育てた野菜と煮て、元王都の料理人が味を整える。
配膳を手伝うニナは、皿を重力で浮かせて運んだ。最初は汁を客の頭へかけていたが、今では十枚を同時に扱う。
「ジュンお兄ちゃん、見て!」
皿がきれいな列を作って卓へ降りる。
「上手くなったな」
「アザリアお姉ちゃんが教えてくれたの」
アザリアは誇らしげにうなずいた。自分は水球一つで岩を粉砕したことを、もう忘れているらしい。
片隅では、人間の少年と獣人の少女が文字を教え合っていた。セフィラが作った夜学の生徒だ。
「あの二人、午前中は畑で喧嘩していたわ」
「今は仲直りしたみたいだな」
「文字の綴りでまた喧嘩するでしょうね。でも、同じ卓へ戻る」
セフィラは眼鏡越しに目を細めた。
「文明は、大きな魔法よりこういう場所から始まるのよ」
ジュンは湯気の向こうを見た。
捨てられた者が、誰かを迎える側になっている。
自分が欲しかった居場所は、最初から完成していたのではない。毎日、皆で作るものだった。
アザリアが鍋を置く。
全員が警戒した。
「今回はジュンと作りました」
「なら安全ね」
セフィラが蓋を開ける。湯気の中で、小さな星が二つ回っていた。
「ジュン?」
「火加減を頼んだだけなんだ」
星が弾け、天井へ穴が開いた。
ラミナが煤だらけの顔で呟く。
「この未来は見えなかった」
笑い声が食堂に広がった。
食後、誰がジュンの隣へ座るかで静かな争いが起きた。アザリアは最初から動かず、セフィラは研究の話を理由に椅子を寄せる。ラミナは「そこに座る未来を選ぶ」と正面から宣言した。
決着は、ニナがジュンの膝へ座ったことで強制的についた。
「ここなら空いてる」
三人がそろって少女を見る。
「子どもは対象外です」
アザリアが言う。
「何の対象だ?」
「秘密です」
ニナは食後の文字練習を始めた。ラミナが横から教えようとする。
「その文字は二画目が右」
「未来を見て答えを教えるのは禁止」
セフィラが止める。
「見ていない。昔覚えた」
「なら教師役を任せるわ」
ラミナは戸惑った。
未来を告げることはあっても、誰かへ知識を教えた経験はない。ニナが一文字書くたび、間違える可能性ばかり見えてしまう。
「間違っても、紙はまだあるよ」
ニナが逆に励ました。
ラミナは未来を閉じ、目の前の線だけを見る。
「もう一度、ゆっくり書こう」
その日から彼女は夜学を手伝った。未来を当てる少女ではなく、間違いを一緒に直す教師として、街へ居場所を作っていった。
「三人とも、席はほかにもあるぞ」
「問題は席ではありません」
アザリアの返答を、ジュンは理解できなかった。
翌朝、南門に二十人の職人がたどり着いた。
代表の老人は鍛冶師だった。手は火傷だらけで、背負った槌には王国工房の印がある。
「ガルド工房の親方?」
ジュンも名を知っていた。王国最高の武器工房だ。
「もう親方ではない。国に炉を奪われた」
老人は息を整え、折りたたんだ命令書を差し出した。
昇星の街を反逆拠点と認定。住民を捕縛。堕天使を回収。抵抗する者は処刑。
「軍はいつ来る」
「三日後だ。兵は二千。街を更地にする攻城兵器もある」




