第13章「勇者の正体」
「取り消せ」
レオンの声が震えた。
「僕は勇者だ。選ばれた人間だぞ」
「誰に選ばれたかは知りません。私はジュンを選びます」
アザリアは取り合わない。
レオンが聖剣を抜いた。刃の傷から金色の光が漏れる。
「決闘だ、ジュン。僕が勝てば、その女たちを渡せ」
「彼女たちは物じゃない」
「怖いのか?」
挑発には乗らない。そう思ったとき、背後でガレスが笑った。
「逃げるよなあ。昔からお前はそうだ。俺に一度投げ技が決まったくらいで、強くなったつもりか?」
ジュンは折れた剣を鞘へ戻した。
「いい。ただし俺が勝ったら、二度と俺の仲間へ手を出すな」
「聖剣へ誓おう」
レオンが剣を掲げる。
セフィラはため息をついた。
「契約の抜け道が十二個もある言い方ね」
「全部塞いでくれ」
「喜んで」
紫の文字が二人の周りを囲み、決闘の条件を刻んだ。命を奪わない。外部の助力を禁じる。敗者は勝者と仲間へ危害を加えない。
街道へ逃げていた商人たちも、恐る恐る戻ってきた。
谷裂き獣を倒した者が誰か、自分の目で確かめたいのだろう。荷車の陰から覗く顔が十、二十と増える。
レオンは観衆に気づくと、背筋を伸ばした。
「ちょうどいい。勇者の偽物を皆の前で暴こう」
「俺は勇者を名乗ってない」
「僕より強ければ何者でもいいという顔が気に入らない!」
レオンが怒っているのは、地位を奪われるからだけではない。ジュンが勇者という称号を欲しがらず、それでも人々に認められ始めたことが許せないのだ。
商人の一人が、小声で仲間へ言った。
「あの黒髪、街道を直してた男だ」
「魔物を倒した後に?」
「俺たちの荷車を通すためだ」
英雄の評価は、王国の宣伝だけでは決まらなくなっていた。
ジュンが見えない場所で積み重ねた仕事を、見ていた人がいる。その声が少しずつ、偽りの死亡報告を崩し始める。
レオンは迷わず署名した。
金色の文字が腕へ焼きつくと、彼はわずかに顔をしかめた。
「こんな術を使わなくても、勇者の言葉は絶対だ」
「絶対なら、文字にされても困らないでしょう?」
セフィラが微笑む。
ジュンは周囲を確かめた。谷裂き獣が倒れた跡。削れた地面。折れた木々。戦える場所は狭い。離れた街道には、逃げ遅れた商人が荷車の陰からこちらを見ていた。
「場所を移す」
「逃げる口実か?」
「人を巻き込みたくない」
ジュンは重力で谷裂き獣の巨体を動かし、岩壁側へ広い空間を作った。レオンは鼻で笑ったが、商人たちを気にした様子はない。
以前もそうだった。
魔物を倒すことばかり考え、背後に村があることを忘れる。ジュンが避難路を決め、攻撃をそらし、崩れた場所を直した。目立たない仕事は、存在しないものとして扱われた。
今度は違う。
アザリアたちが、ジュンのしたことを見ている。見返りを求めなくても、誰かが覚えている。
それだけで剣を握る手は軽かった。
「始め!」
ガレスの声と同時に、聖剣が迫る。
速い。
以前のジュンなら姿すら追えなかった。今は足の運びも、肩に入った力も見える。
半歩ずれてかわす。
レオンは斬り返す。ジュンは鞘で受けた。木と革でできた鞘が裂ける。聖剣は光を増し、横薙ぎに森を切った。
背後の木が十本まとめて倒れる。
ジュンは倒れる方向へ重力をかけた。幹が商人たちを避け、反対側の斜面へ落ちる。
「余所見か!」
レオンが低く踏み込み、三連撃を放つ。
肩、脇腹、太腿。聖剣が最短の軌道を選び、逃げ道を消す。ジュンは一撃目を鞘で受け、二撃目を身体の回転で流した。三撃目だけが避けきれず、左腕を浅く裂く。
血を見たレオンの顔に、安堵が浮かんだ。
「ほら見ろ。お前は僕に勝てない」
「一度斬っただけだ」
「三年間、一度も僕の前へ出られなかった男が偉そうに」
「出なかった。お前が戦いやすいよう、後ろを守っていたからだ」
「荷物持ちの言い訳だ!」
聖剣の光が増す。その一部がレオンの腕から刃へ吸われるのを、ジュンは見た。
勇者を強くする剣ではない。勝たなければならないという恐怖を食い、持ち主へ一時的な力を返している。
レオンが弱さを認められないほど、剣は強くなる。
だからジュンは、力比べをやめた。
「どうした! 逃げるだけか!」
「確認してた」
「何を?」
「お前の剣を」
強い。レオン本人の動き以上に、聖剣が修正している。狙いがずれても光が曲がり、急所を追う。
以前はその補正がもっと自然だった。ジュンの支援が聖剣と勇者をつないでいたのだ。
「剣に振られているぞ」
「負け惜しみを!」
レオンが剣を地面へ突き立てる。
「《勇者聖域》!」
金色の円が広がった。円内ではレオンの速度と力が増し、相手の動きが鈍る。
ジュンの膝へ重圧がかかる。
> 世界による成長制限を検出。
>
> 固有スキル《無限昇華》が干渉を開始します。
ジュンは一歩踏み出した。
金色の床に黒い亀裂が走る。
聖域が砕けた。
「なぜだ!」
「俺の限界を、お前の剣に決めさせる気はない」
ジュンは武器を捨てた。
レオンが勝利を確信して突っ込む。光の斬撃が八方から重なった。
《高速思考》で術式を読む。八つのうち七つは幻。一つだけが実体だ。
素手で刃を挟む。
白刃取りなど試したことはない。それでも重力で刃の速度を奪えば、止められる。
「嘘だ……」
レオンが剣を引こうとする。
動かない。
ジュンは柄を握る手首へ軽く拳を当てた。レオンの指が開く。聖剣を奪い、切っ先を喉へ向けた。
「終わりだ」
一滴の血も流れない決着だった。
ただし、レオンが一方的に弱かったわけではない。
剣を止めたジュンの指は裂け、腕は痺れている。聖域を破った反動で、足首にはひびが入っていた。治癒魔法を使える仲間はいない。傷は《無限昇華》がゆっくり経験へ変えるまで残る。
それでも立っていた。
以前の自分と違うのは、数字だけではない。誰かの後ろに隠れず、誰かを踏み台にもせず、自分で選んで立った。
その姿を、メルダはまぶしそうに見ていた。
リリアが口を押さえる。ガレスは俯き、メルダだけが静かに目を閉じた。
レオンは膝をついた。
誰も歓声を上げなかった。
これは魔物討伐ではない。三年間の関係が終わる音を、全員が聞いていた。
ガレスは大剣へ手をかけたが、決闘の文字が腕へ巻きつき、抜くことを許さない。
「卑怯な術を使いやがって」
「条件はレオンが受け入れた」
「お前が勝つなんておかしい!」
「俺も、追放された日はそう思ってた。自分が役に立っていたなんて、おかしいと思った」
ジュンはガレスを見た。
「でも、現実が気に入らないから殴って変えるのは終わりだ」
ガレスは何も言えず目をそらした。
メルダはレオンの前へ治療薬を置いた。以前ならジュンが用意していたものだ。
「自分で飲んで。私はもう、あなたの間違いを見ないふりはしない」
彼女の小さな反抗に、レオンはさらに傷ついた顔をした。
敗北したのは剣だけではない。自分を支えて当然だと思っていた人々が、一人ずつ離れ始めていた。
「返せ。それは勇者の剣だ」
「欲しいなら返す」
ジュンは柄を向ける。
レオンがつかんだ瞬間、聖剣が激しく震えた。
金色の光が黒く濁る。刃に走っていた細い傷が、一気に広がった。
澄んだ音がした。
聖剣はジュンの指先へ触れた瞬間、粉々に砕け散った。




