第12章「最初のざまぁ」
黒竜の谷から、傷だらけの冒険者が逃げてきた。
「助けてくれ! 谷裂き獣が街道へ出た!」
騎士団を退けて三日後。村の柵を直していたジュンは、男を支えた。
谷裂き獣は、黒竜すら避ける六本脚の魔物だ。硬い甲殻と巨大な顎を持ち、過去には砦一つを半日で崩した。
「勇者たちが戦ってたんじゃないのか」
「駄目だった! 聖剣も魔法も通じない。全員、逃げるので精いっぱいだ!」
魔物が街道へ出れば、次にあるのはこの村だ。
ジュンは修理中の剣を取り、立ち上がった。
「迎え撃つ」
「村で?」
ベルグが聞く。
「いや。完成した柵を壊されたくない」
アザリアとセフィラが並ぶ。
「今回、私は何人まで待てばいいですか」
「大きいの一頭だ」
「では半分?」
「分け方が雑ね」
セフィラが笑い、三人は谷へ向かった。
途中で勇者一行と出会った。
彼らより先に、戦いの跡が見えた。
街道へ深い溝が走り、岩には金色の斬撃痕が残る。メルダの火で焼けた木々。回復に使った聖水の空瓶。どれも谷裂き獣へ届かなかった。
脇の草むらに、捨てられた荷物があった。
ジュンが以前まとめた薬箱だ。赤い箱と青い箱の中身が混ざり、使い方を書いた札も泥に濡れている。
「これ、俺が作った」
「持って帰りますか」
アザリアが尋ねる。
「いや。負傷者が戻るかもしれない」
中身をもう一度分け、見える場所へ置いた。
セフィラが横顔を眺める。
「捨てられても、彼らを助けるのね」
「死んでほしいわけじゃない」
「甘いと言われるわよ」
「甘さで誰かが生きるなら、それでいい」
アザリアは泥のついた札を拭き、箱へ戻した。
「私は、ジュンの甘さを守ります」
その直後、森の向こうから足音が聞こえた。
敗走する勇者一行だった。
レオンの鎧は割れ、ガレスは肩を包帯で吊っている。リリアの法衣は泥だらけだった。メルダだけが比較的無傷だが、魔力はほとんど残っていない。
「ジュン」
レオンが立ち止まった。
「やはり生きていたか」
「その言い方だと、死んでいないことが残念そうだな」
「僕たちを陥れるために姿を隠していたんだろう!」
「荒野へ置き去りにしたのはお前だ」
レオンの視線がアザリアへ移る。
傷ついていても、欲望だけは隠さなかった。
「その女は誰だ?」
「私の名を知る必要はありません」
「僕は勇者レオンだ。君ほどの力があるなら、ふさわしい場所を用意できる。無能のそばにいる必要はない」
アザリアはジュンの腕へ自分の腕を絡めた。
「ここが、ふさわしい場所です」
リリアの顔が引きつる。
「ジュン、その人に何をしたの?」
「何も」
「自由にしました」
アザリアが答える。
地鳴りが会話を止めた。
森の木々が左右へ倒れる。谷裂き獣が姿を現した。
六本の脚で大地を踏み、黒い甲殻をきしませる。顎の間には、レオンの聖剣でついたらしい浅い傷が一本あるだけだった。
「逃げろ!」
ガレスが叫ぶ。
「あれには何も効かねえ!」
谷裂き獣が突進する。
ジュンは《星界感知》を広げた。甲殻の内側を魔力が循環し、攻撃された場所へ集まる。どれほど強い一撃でも、そこへ全防御を集中する仕組みだ。
「セフィラ、右の第三脚へ弱い魔法を連続で」
「狙いは?」
「防御を偏らせる」
「了解」
小さな火球が第三脚へ降り注ぐ。甲殻の魔力が右へ流れた。
「アザリア、左へ倒してくれ」
重力が谷裂き獣を横から押す。六本脚の巨体が傾く。薄くなった腹の甲殻が見えた。
ジュンが駆ける。
魔物は顎を開き、地面ごと噛み砕こうとした。未来が見えるわけではない。それでも筋肉と魔力の流れを読めば、攻撃の瞬間は分かる。
一歩早く顎の内側へ滑り込む。
剣では足りない。
重力を刃の形へ圧縮し、折れかけた剣へ重ねる。
> 《重力操作・微》と《術式改変》を統合。
>
> スキル《星断》を獲得しました。
「これで――終わりだ!」
黒い刃が腹を走った。
硬い甲殻ではなく、そこへ集まるはずだった防御術式そのものを切る。
谷裂き獣の巨体が二つに割れ、地響きを立てて倒れた。
静寂のあと、膨大な光が三人へ流れ込む。
> レベルが63から71へ上昇しました。
勇者一行は言葉を失っていた。
谷裂き獣の血が、街道の溝へ流れていく。
ジュンはすぐ素材の回収を命じず、周囲の安全を確かめた。魔物の突進で巣を壊された小動物を森へ戻し、倒れた木を街道から動かす。
アザリアは重い幹を浮かせ、セフィラは地面の亀裂へ修復文字を入れた。
「討伐した後に、そこまでするの?」
リリアが尋ねる。
「ここを使う人がいる」
「王国なら、街道管理の兵が来るわ」
「来るまで誰かが怪我するかもしれない」
レオンは苛立った声を上げる。
「勝者の余裕を見せつけているのか!」
「違う。昔も同じことをしてた」
メルダが小さく言った。
「私たちが先へ進んだ後、ジュンはいつも残っていた。罠を埋め、火を消し、次に来る人のため印を残した」
ガレスが何か言おうとし、やめた。
彼らが見ていなかった仕事が、目の前で可視化されている。
ジュンの強さは、新しい力だけではない。誰も見ていない場所で続けてきた選択が、力に追いついたのだ。
自分たちが敗れた敵を、無能と呼んだ男が一撃で倒した。
「何かの仕掛けだ」
レオンが呟く。
「その女たちに力を借りただけだ。僕ならもっと強く使える」
彼はアザリアへ手を差し出した。
「僕の仲間になれ。王国も君を歓迎する」
「嫌です」
「条件を聞いてから決めたほうがいい」
「あなたはジュンを捨てました」
「あいつには価値がなかった」
周囲の重力が軋む。アザリアの黒い翼が開いた。
ジュンが肩へ手を置くと、彼女は力を抑えた。
「私は千年、価値がないと判断され、封印されました」
青白い瞳がレオンを射抜く。
「ジュンは、価値を証明しろとは言いませんでした。ただ一緒に生きてほしいと願った」
アザリアはレオンの差し出した手を見下ろした。
「あなたたちは知らないのですね。ジュンがいなければ、自分たちがどれほど弱いのかを」




