第10章「世界を消す本」
「なら捨てるか?」
ジュンが黒い本を差し出すと、セフィラは受け取らなかった。
「捨てて済むなら、天界は千年も守らせないわ。端末を壊せば別の場所に現れる。所有者を失えば、今度は天界が直接操作するでしょうね」
「持っているほうが安全か」
「少なくとも、敵の手にあるよりは」
街道脇の森で夜を明かしながら、三人はレコードを調べた。
セフィラが文字を読み、アザリアが古い記憶を補う。ジュンは二人の言葉を紙へ書いた。
世界の生命には番号がある。生まれた瞬間に記録され、種族、寿命、最大レベルを割り振られる。規定から外れた存在には修正命令が出る。
「どうして成長を止める必要がある?」
「天界は安定と呼んでいたわ」
セフィラが焚き火へ枝を投げる。
火の粉が上がり、文字の形に並んだ。
「天界の仕組みは、最初から間違いだったわけではない」
「擁護するのか」
「理解と擁護は別よ」
セフィラは火の中へ小さな世界を描く。
強い魔物が際限なく進化し、町を飲み込む。魔術師が力を競い、大地を割る。寿命を超えた王が永遠に国を支配する。
「限界がなければ、弱い者が自由になるとは限らない。強い者が永遠に強いままになる危険もある」
「だから全員の限界を決めた?」
「天界は簡単な答えを選んだ。誰も上へ行けなければ、誰も落とされない」
「でも、最初から下にいる人は救われない」
「ええ」
ジュンは廃村の人々を思った。生まれた身分。決められたレベル。逃げれば犯罪者とされる生活。
「限界をなくすだけでも足りないんだな」
「力をどう使うか、毎回選び直す必要がある。面倒でしょう?」
「面倒でも、誰かに全部決められるよりいい」
セフィラは満足そうに笑う。
「その答えを忘れないで。あなたが強くなりすぎたときほど」
炎の中の小さな世界が消えた。
壊したあとを誰か一人へ任せれば、同じ支配が名前を変えて続くだけだ。
「強すぎる魔物も、賢すぎる人間も世界を壊す。だから上限を決める。それが天界の理屈よ」
「人へ星を教えただけで町を焼くのも、安定ですか」
アザリアの声は冷たい。
「彼らにとってはね。私は文字と魔法を教えた。人は命令を読めるようになり、自分たちで術を作った。天界はそれを反乱の芽と判断した」
「この本が消すのは、規定から外れたものだけか?」
「今見える範囲では。でも奥の命令領域は閉じている。七つの記録が揃うまで開かない仕組みよ」
「七人全員を救えば、何かが始まる」
「おそらくね」
止めるべきだという言葉を、セフィラは口にしなかった。
ジュンも、救わないとは言わなかった。
「怖くないの?」
「怖い。ただ、知ってしまった」
「見えてしまったから放っておけない?」
「よく分かったな」
「研究対象ですもの」
アザリアの翼がセフィラの頭を軽くはたいた。
翌日の夕方、廃村が見えた。
煙が上がっている。
炊事の煙ではない。家が燃える黒煙だ。
三人は走った。
村の入口に王国兵が並んでいた。四十人。捕らえた盗賊の証言から来たのだろう。ベルグたちは広場へ集められ、槍を向けられている。
鎧に青獅子の紋章をつけた男が、ニナの母親の髪をつかんでいた。
「逃亡農奴を匿った者は同罪だ! 責任者を出せ!」
「その手を離せ」
ジュンの声に全員が振り返った。
ベルグが安堵の声を漏らす。ニナは母親へしがみついた。
青獅子の男はジュンを見て、口元をつり上げた。
「責任者はお前か。ずいぶん若い領主様だな」
「領主じゃない。彼らは農奴でもない」
「納税義務を捨てた犯罪者だ。王国法を知らんのか?」
「飢えた家族から種籾まで取り上げるのが法なら、破られて当然だ」
兵たちがざわつく。
「この方を誰だと思っている!」
副官が怒鳴った。
「北部騎士団長、バルガス様だぞ!」
バルガスは手を上げ、副官を黙らせた。
「最後の機会をやる。女二人を置き、罪人とともに投降しろ。お前は鉱山で十年働けば許してやる」
セフィラがジュンの耳元へ顔を寄せる。
「積極的な勧誘を受けているわよ、アザリア」
「不快です」
「俺もだ」
ジュンは広場へ進んだ。
「もう一度言う。その手を離せ」
バルガスは女の髪を引き、喉元へ剣を当てた。
「断る」
ジュンの中で、何かが冷えた。
大地へ手を向ける。バルガスの剣だけが急に重くなり、切っ先から地面へ落ちた。腕ごと引かれ、男が膝をつく。
ニナの母親が逃げる。
「反逆者を捕らえろ!」
四十本の槍が一斉にジュンへ向いた。
セフィラが眼鏡を押し上げる。
「実地講義の時間ね」
彼女が空へ紫の文字を描く。兵たちの足元にある影が、短い命令文へ変わった。
『止まれ』
前列の動きが封じられる。
アザリアは後列の弓へ重力をかけ、弦だけを切った。
ジュンが走る。
槍の穂先を剣の腹でそらし、柄を叩き落とす。鎧の隙間へ拳を当て、呼吸を止める。誰も斬らない。だが誰にも二度目の攻撃を許さない。
十人。二十人。
住民たちは目の前の戦いを息を忘れて見ていた。
ベルグが落ちた槍を拾う。ほかの男たちも続いた。
「俺たちの村だ!」
九人が並び、子どもたちの前へ壁を作る。
兵の一人が火矢を放った。狙いは家屋だ。
アザリアが指を上げるより早く、ニナが両手を伸ばした。
「落ちて!」
矢が空中で急落した。
少女自身が一番驚いている。
経験値分配によって、彼女にも小さな重力魔法が芽生えたのだ。
「私と同じです」
アザリアの声に、誇らしさが混じる。
戦う力は、誰かを踏みつけるためだけのものではない。弱かった者が、自分の居場所を自分で守る力にもなる。
ジュンは最後の兵から剣を奪い、バルガスの前へ投げた。
「連れて帰れ。次に住民へ手を出したら、今度は武器だけでは済まない」
バルガスは地面へ手をついたまま睨み上げる。
「王国へ刃向かった意味が分かっているのか」
「分かっている」
「なら聞け、八神ジュン!」
その名を呼ばれ、住民たちが息を呑む。王国が死亡を発表した人物の名だ。
騎士団長バルガスは伝令用の魔石を掲げた。
「国王陛下の名において、お前を国家反逆罪に認定する!」




