三十五話
剣士は剣を愛する。刃を血で染めれば拭って磨き、研ぐ。油を染み込ませた兎の革で丹念に刃を保護し、自らの命を預けるもっとも信頼できる相棒として命の次に大切にする。独りで遍歴する騎士や、傭兵は孤独から剣に話しかけることもあるそうだが、それが狂っているかどうかは関係なく、大事なのはどんな形であろうと、剣士は剣を愛しているということだ。
スバニア騎士国の最高戦力であり、アルヴェ大陸の騎士のなかの騎士――エクエスの一柱であるシュヴァリンも剣を愛していた。
しかし、その剣はシュヴァリンが愛した女性、アシュラムそのものだった。人が剣になるという話を心の底から信じるほどマーシャルとウィオラは純粋ではなかったが、すぐに信じることとなった。
「いいかね、君達。まったくもって足りていない。君たちの彼らに対する想いは、なだらかな丘の頂上にすら届かない」
シュヴァリンは聖剣アシュラムの刀身を撫でた。指三本分の細い刀身には細い糸のような波紋がたゆたい、銀と硝子の細工で薔薇の蔓の装飾が施された十字柄の柄頭には、小ぶりの透明な蜜柑色の宝石が嵌っている。人殺しの道具よりも芸術品に近いその聖剣が一瞬輝きを帯びる。その輝きを見れたマーシャルとウィオラは背中を突かれたように背筋を伸ばした。
――いい? 小鳥たち。この人の言うように貴女たちの想いが弱いとはわたしは思わない。どんな些細な行いも、確かな気持ちが籠っていれば必ず伝わるわ。それを丁寧に重ねていけばね。声の大きさ、歌のうまさではないの。さぁ続けて。
マーシャルとウィオラはアシュラムからの念話に力強く頷いた。
「やりますわよ、マーシャル」
「うん」
二人は遥か東の地を見つめ、そこにいる想い人への気持ちを歌にのせた。
夜、船長に与えられた一等室で過ごす三人はカード遊びをしていた。同じ数字と絵柄の組み合わせに強さがあり、その最も強い手札を出したウィオラがわざとらしい欠伸をして見せるとシュヴァリンの傍に立てかけてある聖剣を見た。
「どうしてアシュラム様はお話してくださいませんの?」
シュヴァリンは自分の手札を見て唸り、マーシャルに順番を譲ると口を開いた。
「簡単だ。彼女は疲れている」ウィオラとマーシャルの変わらない表情を見て、シュヴァリンはさっと顎を摩り考えた。「そうだな。話すたびに、ここから王都まで泳ぐくらいの力が必要だと考えればわかりやすい」
「それは……」
「あまりにも雑な例えだと思いましてよ。霊通石を用いた通信は距離に干渉されない。同じように神秘の力を用いて話すのなら、なぜこんなに近くにいるわたくし達に話しかけるのに疲れますの?」
ウィオラが出した手札にシュヴァリンは微笑むと、上手の手札を出しながら講義じみた口調で話し始めた。
「神秘――すなわちルスと、私達やこの手札のように触れられる世界――すなわちオスの二つは限りなく一つに近い存在だ。しかし、複雑に織り混ざっているが、根本的には世界が違うと考えればわかりやすいだろう。いわば、アシュラムはルスの世界の住人で、オスの世界の住人である我々に声を届けるのは大変ということだ。霊通石は一つの貴石に対となる秘紋を施し、それを等分にする。いわば唯一無二の分身となる。だから、離れていても瞬時に繋がることができる。そうでない場合、世界の垣根を越えるのは容易では無いということだ」シュヴァリンはマーシャルが更に上の手札を出し、ウィオラがその上の手札を出したのを見て、ふむ、と黙った。
「わたくし達は疲れたら、食べたり寝たりしますけど、聖剣のアシュラム様はどうしていらっしゃるの?」
「簡単だ。私の魂、すなわちオルスを与える。オルス以上に強い力は無いからだ。近くにいて、アシュラムが望めば私のオルスは彼女に自動的に分け与えられる。よし、これでどうだ。もう誰も出せんだろう」
シュヴァリンが叩きつけるように出した手札は、あっけなくウィオラの手札に負かされた。
マーシャルは目を閉じて深呼吸した。初めて会ったときは、ウィリアムはいい印象ではなかった。いつもの苛めっ子が新たな子分を連れてきたのだと、そう思った。
でも、それは違った。彼は、私が鈍臭いのを知っていて、それでも認めてくれた。それがどれほど心の支えになっていたか。喫茶店から帰るときの、ぎこちないウィリアムを思い出して、マーシャルは微笑んだ。その思い出を薪に、静かに、つのる想いを旋律に籠めた。
――すばらしいわね。
アシュラムに褒められて、マーシャルは胸の前で手を握ると頷いた。
「ありがとうございます。アシュラムさんのおかげです」
マーシャルとウィオラは独唱の旋律にうまく力を乗せられるようになっていた。後は、相手との絆があれば聖歌としての神秘を発揮する。この経過にはシュヴァリンも満足そうに頷いた。
「淑女の方々、見えてきたのは渦中の舞台、プルッケル自由都市。見てみたまえ、あの崖の上に建つ壮麗なベルド城を。情熱と芸術の神ベルドエストールの寵愛を受けた芸術の都だ」
マーシャルとウィオラは舷牆に身を乗り出して、青と白と金に輝く崖の上の城を眺めた。
「ジルクート、元気でやっているかしら」
「あのベーネって人に連れられて悪いことしてないといいな」
心を躍らせる二人の娘の背中を、シュヴァリンは同情するような目で見た。――あなたのやり方には少し嫌気がさすわ。この任を請け負う前にアシュラムに言われた言葉を思い出して、シュヴァリンは心の中でため息を吐いた。わかっている。それでも、若い乙女心は山の天気のように変わるもの。二人が死んでいても、新たな恋が見つかるかもしれない。その時のために、力は付けさせる。
シュヴァリンは北の空を見上げた。フォルツがそこで希望を見つけ出していることを願いながら。




