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Belief of Soul〜薔薇の棘〜  作者: 彗暉
第八章
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三十六話

 芸術と職人の都プルッケル。〝芸術と情熱の神ベルドエストール〟の加護によって集まった匠達が築いた理想郷。国章は『炎と踊る子猫』。

 孤高に聳えるベルド城は、切り立つ崖を持ったマッケロ川の中洲を天然の要塞として、千年ものあいだ貴婦人を彩るアクセサリーのような意匠に輝くベルド城を欲しがる貪欲な王達の牙を砕いてきた。

 上流側と下流側にある港は穿たれたような入江になっていてて、生臭さい臭いが甲板の上の人の鼻を襲った。マーシャルウィオラは王都の港に慣れていたために、平気な顔をして渡し板を伝って港の地面を踏みしめた。

 マーシャルは思っていた港の様子と違うことに驚いた。芸術の都の話は何度か聞いたことがあったが、そのどれもが、この自由都市の色とりどりの派手な喧噪を語っていたからだ。

 しかし、今目の前に広がるのは、髪をスカーフで纏めた前掛け姿の女や仕着せ姿の屈強な人足が忙しなく動き回り、木箱に印をつけたり麻袋を担いで移動させたりしている。どこにでもあるような味気ない港の姿だった。なによりも不穏な空気を醸し出しているのは鎖帷子を鳴らして隊列を組んで歩く兵士達。

「私は用事があるために、少し失礼させてもらう。案ずるな、こいつを案内役につける」

 シュヴァリンはたった今走り寄ってきた、鎖帷子と紺のサーコート、背中に大きな盾を背負った少年の肩を掴んで揺らした。

「ちょうどいいところにきたなジャック。この麗しき淑女達を案内してやってくれ」

 では、とシュヴァリンは足早に去っていってしまった。ジャックと呼ばれた少年は、開きかけた口を閉じると、つんつんとした黒い黒髪を掻いてシュヴァリンの背中を数秒見つめると、二人を振り返って慇懃な礼をした。

「クルシュヴァリン=ジャックと申します」

 従士の称号を名乗ったジャックは、まだあどけなさの残る少年だった。マーシャルとウィオラの視線に含まれる意図を察したのか、ジャックはしっかりとした先の太い眉をぴくりとさせた。

「十四歳です」

 声変わりが始まったばかりの声をわざと低くしたように言った顔は、ほんの少し顎を上に向けていた。その姿に、マーシャルはどことなくウィオラを感じた。

「お二人は、ここにくるのが初めてですか?」

 可愛いな、とマーシャルはふと笑いそうになったが、ジャックの目に硬いものを宿ったのを見て頷いた。

「それと、無理して敬語を使う必要はなくてよ」

 ジャックは身長が大して変わらないウィオラを見て背筋を伸ばすと、頷いた。

「実は、俺もここには二回目で……。だからって心配はいらない。街の風景は変わってないし、前にきたときよりも人が少ないから、迷わないはずだ」ジャックは鼻の下を指で擦ってにかっと笑って、自慢げな顔で続けた。

「前にきたときは、こんなんじゃなかったんだぜ。半年前はまだ色付きの帆を張った商船がいっぱい寄港して、いろいろな物が溢れてたんだ」

「半年でこんなに静かになったのは、やっぱり戦況が悪くてですの?」

 その言葉に、ジャックが慌てて周囲の反応を確かめるように視線を走らせた。

「そういうことはあまり言わないほうがいいよお嬢さん。特に戦士や兵士がいるところでは」

 お嬢さん、という呼び方に一瞬ウィオラは眉をしかめたが、すぐに考えを改めたのか咳払いをした。

 その時だった。ウィオラが腕の袖を掴まれて驚いたように悲鳴をあげた。

「わたくしは他意があったわけでは――」

「あんた、ウィオラちゃんかい? それに、あんたはマーシャルちゃんじゃない? まさか、こんなところで会えるとは思わなかったよ!」

 麦の詰まった麻袋の前で計量器を持ったまま嬉しそうに手を叩く日焼けした女は、二人に、ちょっと待っててね、と言って嬉しそうに何人かを呼び集めた。麻袋の中の麦を計量して袋に詰め替えている仕着せ姿の大人達が顔を上げて、目を細めると嬉しそうな顔をして集まってきた。

「あぁ、あんた達にちゃんと礼を言えなかったのを後悔してたんだ」目の細い男が更に目を細めて言った。

「あのときはあんた達にお礼すら言えずに都を出たもんだからねぇ」と小麦色の女。

 マーシャルとウィオラは視線を交差させて、笑いをこぼした。

「信じられませんの。あなた達、どうしてここに?」

「ありゃ、知らないのかい? 旦那様があたしらに仕事をくれたんだよ。それもこれも、あんたら二人があたしらを助けてくれてたからだったんだよ」

「てっきり、わたくし達は、あなた達を戦場に……。それでも、ここは戦地に近くってよ。不安でしょう?」

 ウィオラの痛ましい声に、ウィオラの父親の元従業員たちは曇り空を晴らすように快活に笑った。

「まさか! ここの暮らしはしっかりしているし、帰ったら給付金が出る。しっかりとした仕事をもらって、あたしらは満足さ。確かに戦場は近いよ。だけどね、ここには屈強な戦士と兵士がいる。あたしらを護ってくれる存在がね! だから、あたしらは満足さ。ありがとうね、ウィオラちゃん、マーシャルちゃん」

 ちゃん付けされるのはどこか恥ずかしかったが、マーシャルは嬉しかった。カンサルタ歌剣院でできることを重ねた道がここに続いていた。そうさせてくれたのは、ウィリアムのおかげでもある。マーシャルはウィリアムに再会するのが待ち遠しくなった。

 そのとき、ちょうどよくジャックがわざとらしく咳払いをした。ウィオラがそれに気がつき、女達に別れを告げると三人はその場を後にした。

 ジャックは二人が人を探していることを理解すると、ベルド城にある軍の総務部に向かうと言って昇降機に乗った。

「坊やはどこの出身でして?」

 ウィオラの〝坊や〟の言葉にジャックは目を細めたがなにも言わなかった。

「錆の国だ。国と言っても盗賊が住み着いた廃れた小さな都さ。俺はそこの盗賊――そこらの盗賊とは違う義賊だぞ――に拾ってもらったんだ。同い年の仲間達もいた。いろいろあって、俺はここに来ることになった」

 最後は切り口上だった。そしてジャックは黙った。

 昇降機が最上階までやってくると、船の上から見るより遥かに大きく荘厳なベルド城にマーシャルとウィオラは声を上げた。

「口を閉じろよお嬢さん」

「まず、開けてなくてよ坊や」

「変な話しかた」

「ジャック、総務部はどこ?」

 マーシャルはベルド城に見惚れながら訊いた。

 ジャックは目を細めてウィオラを睨んだが、諦めたのか二人を案内し始めた。

 石畳の広場の向こう側に、いくつかのつづら折りの道が城門へと続いていて、ジャックは手近な一本を指差した。日陰にある道で、人通りが一番少ない。

「なんだあれ。ってあいつまさか!」

 ジャックが尖塔の上を指差した。柵を乗り越えて、一瞬体をふらつかせ、その青年が身を投げた。

 マーシャルはその青年を知っていた。そして叫んだ。

「ウィリアム!」

 マーシャルの言葉と同時に、ジャックが気迫のこもった息をして地面を蹴った。人ならぬ速さで地面に倒れるような前傾姿勢で駆けて、背中の盾を両手に持つと跳躍した。鹿も驚くその跳躍と同時に、盾が光の紋様を纏って輝いた。ジャックは輝く盾を投げて、盾がウィリアムと石畳の間に滑り込む。強烈な旋風が起きて石畳の上を土埃が舞った。

 ジャックが地面に倒れ込み、なにか悪態を吐いた。マーシャルは土埃を掻き分けるようにしてウィリアムの元に走り寄った。

「ウィリアム、ウィリアム!」

 盾の上に寝そべるウィリアムは上半身を肩顔半分までを包帯で覆っているが、石畳に叩きつけられたような傷は見当たらない。恐る恐る頭を確かめるが血も出ていない。

「いてて、大丈夫そうか、その兄ちゃん」

 ジャックが肘を押さえながらマーシャルの横に立ち、ウィリアムを覗き込んだ。

「うん、多分、大丈夫。でも、どうして、ウィリアム……」

「どういうことでして……?」

「俺の盾は魔具なんだ。それも買えないくらいの――」

「そういうことではなくってよ」ウィオラはジャックを諫めるように睨むとマーシャルの肩に手をのせた。「治療院があるはず。そこに連れていきましょう」

 マーシャルは洟を啜りながら、意識を失っているウィリアムの頬を撫でて頷いた。

「いったいなにがあったのですか!」

 一人の白衣姿の女が、林檎を手に持って走り寄ってきた。

「あぁ、ちょうどいいところに! 男性が落ちてきましたの。治療院まで連れていってくださいます?」

 白衣の女はウィリアムを見て口を押さえると、黙って頷いた。

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