三十三話
彼らの呼ぶ声が何度も聞こえてくる。
煙に包まれた森の中で頭を抱えているウィリアムは、耳を毟り取るように手で覆い蹲み込んだ。
――ウィリアム、ウィリアム……。
振り向くと背中がぱっくりと裂けて内臓が剥き出しになっているベーネが手を伸ばしている。目は白濁して口から血を流し、這いつくばって近づいてくる。数えきれない蠅が煩く舞うなかでベーネの口が開き、羽音が声となる。
「家族にぃ……伝え……て、くれぇ!」
紙を破るような不快な声は雄叫びへと変わる。ウィリアムは目を閉じて地面に爪を突き立てて心の中で叫んだ。
――許してくれ!
音が消えた。瞼越しに明かりを感じゆっくりと目を開ける。
炎の剣がジルクートの顔に突き立ち、ジルクートが炎の剣を握って「熱い熱い」と叫び炎に呑まれていた。顔が炎に包まれ肉が沸き立ち目玉は飛び出し、ウィリアムに手を伸ばす。血を蒸発させる眼窩で見つめ、ひどく冷静な声で言った。
「私を婚約者のウィオラのもとへ……」
ジルクートは力ない息を吐きながら炭となり風に消えていく。
ウィリアムは金縛りにあったように動けないでいた。
二人の呼ぶ声が耳の奥で響く。
――ウィリアム、ウィリアム、ウィリアーム!
目を覚ましたウィリアムは寝台を軋ませて身を起こすと、シーツを強く握り辺りを見回した。数個の燭台の頼りない灯りに照らされた病室の中で、森ではなかった。
悪夢だったのだと理解したが、頭に巻かれた包帯を握る手が震えてどうしようもなかった。
「大丈夫ですか?」
看護師が走り寄ってきて、水差しからグラスに水を注いだ。
「もういい加減にしてくれよ姉ちゃん、毎晩毎晩、こいつをどっか他の棟に移してくれ」
隣の寝台の負傷者が苛立たしげに言って寝返りをうった。
「気にしちゃ駄目ですよ。それにしても、毎日悪夢は辛いですよね。よかったら、わたしが話を聞きますよ?」
ウィリアムは首を振った。苦しむのは当然だ。いかなる理由であれ、あいつらを見捨てたことには変わりない。
「ほっといてくれ」
看護師の手を振り解き、ウィリアムは寝台に横になった。この悪夢は、きっとジルクートとベーネの悔やみきれない思いが見せているのだ。愛する者に伝えることができない彼らの苦しみが。生き残ってしまった俺は、彼らの苦しみを聞かねばならない。
ウィリアムは震える息をそっと吐くと目を閉じた。
「第十連隊のウィリアムはいるか?」
針金のような声音にウィリアムが首をもたげると、松葉杖をついた青年が視線を止めて、一瞬目を細めてつっと鼻に皺を寄せて近づいてきた。
「あんたがウィリアムか? 第十連隊第十小隊のウィリアム・ダーリア?」
ウィリアムは喉を鳴らしてゆっくりとうなずいた。
青年はウィリアムの寝台に腰掛けて、周囲を盗み見るようにして窺うと、身を屈めた。
「俺はファインだ。知ってるか?」
ウィリアムは思い出すように眉を強張らせた。
「知らないか。ベーネのひとつ下の弟って言えばわかるかよ?」
ファインは抑え込むような鼻息で声に怒りを滲ませていた。
「俺の兄貴はどうした。ん?」ファインは話を聞いている者がいないか心配するように周囲を一瞥した。「部隊の生き残りはあんただけだそうじゃないか。ん? 兄貴の最期を言ってみろ」
ファインは隈をつくった青白い顔でしきりに辺りを気にしている。
ウィリアムは言いたくなかった。友の死際を語るのは、傷口に指を突っ込むようなものだ。しかし、ウィリアムは何度も喉を突っ返させながら、その度にファインが苛立たしげに舌打ちするのを聞きながら、自分が見たものを言い切った。
「つまり、あんたは見捨てたんだな、俺の兄貴を。なんだかんだ言って逃げたんだ。なにか手があったはずだろう。あんたの指示に従って兄貴は死んだ。ふざけんな……!」
ファインは鼻の横を痙攣させながら無事な方の足を苛立たしげに震わせた。顔を僅かに下げながら周囲を一瞥して鼻を擦る。
「ちくしょう! 兄貴がいると思ったから来たのによ。なんでこんなことに。なんでだよ……」
ファインは独り言のように吐き捨てるとウィリアムを一瞥し、ウィリアムの包帯に巻かれた胸を指で押した。ウィリアムは荒い息を噛み殺すように歯の間から息を漏らして痛みに耐えた。
ファインは松葉杖を握る手を何度も握り直しながら早口で捲し立てた。
「あんたが兄貴を見捨てたんだ。あんたが兄貴を殺した!」
ファインの怒鳴り声が病室に響き渡った。
看護師が走り寄ってきて、負傷兵も幾人かが身を起こして視線を向けた。
ファインが松葉杖でウィリアムを突こうとした瞬間、看護師の「衛兵!」と叫ぶ声が聞こえ、ファインは逃げるように出口の方へと向かい、そこで衛兵に取り押さえられて引き摺られていく。ウィリアムを振り返り、引き摺られていくあいだ、ファインは叫び続けた。
「人殺し! 人殺し! 人殺し!」
その声が悪夢の中の友の声と重なった。そして理解した。友のあの声は悔やむ気持ちではない。ファインと同じものなのだと。
ウィリアムのなかで何かが力なく弾けた。しかし、なぜか心が軽くなった。自分のするべきことがわかったからだ。
ウィリアムは看護師に頼んで、気分転換のために外に出たいと願い出た。先程のこともあり、看護師は渋ったものの、同伴者を連れてなら、と許してくれた。
同伴の看護師の会話も耳に入らないまま病棟から外に出た。治療院はプルッケル自由都市のエルド城の中にあることがそれでわかった。
街を見下ろす景色と、マッケロ川から流れる空気を味わうと、展望台付きの尖塔が目に入った。それは、つづら折れてエルド城へと続く歩廊に建つ尖塔だった。
尖塔の最上階は展望台となっているようで、ウィリアムはあそこに行きたいと我が儘を言ってついてきてもらった。尖塔はもともと四階建てくらいの高さがあるうえに、下り坂に建てられているために見た目以上の高さがあった。
展望台には誰もおらず、そこからは石畳の広場が見えた。そこには少ない屋台が出ていて果物を売っていた。
「すまないけど、あそこで林檎を買ってきてくれないかな。甘いものが食べたいんだ」
看護師はどこにもいかないように、と釘を刺すと尖塔を下りていった。
それからどれくらいか、ウィリアムはただ呼吸をしながら青い屋根の街を見下ろしていた。そして立ち上がると柵を越えた。
滔滔とすべてが流れる。意識も、呼吸も、鼓動も。目を瞑り、その流れに身を委ねた。
そして、風の音が耳を覆うなかに、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。




