二十四話
二十名のスバニア戦士と、ヤグサ率いるドラ=カルダリーア十名は森の中の丘の上で腹這いになり眼前に広がるそれを見ていた。
一ビル近い高さ——大人五人ほど——を持つ二本重ねの丸太の壁と門と杭に囲われたそこは石切場跡だった。
「どうだ。壁は高く見張りの塔まである。侵入のしようがない。ご丁寧に後ろの岩場の上まで丸太の城壁を築いてる」
ヤグサの言葉に、ジンダジスが、ふむと唸った。
「では、これが要塞なんだな?」
「どういう意味だ?」
ヤグサの大きな目に純粋な疑問が浮かんだ。
「いや、てっきり岩で築かれた城があるのかと思ったのだ」
「岩で家を建てることができるのか? 莫迦言うな。それで、これをどう攻めるんだ?」
ジンダジスが咳払いをしてサイードを見た。サイードが肘の位置を変えてから壁の周囲を指差す。
「見たところ巡回兵も少ない。外に至っては巡回兵もいない。問題は岩壁の上部と門に二つずつある櫓の弓兵だ。巡回兵の野営地一周にかかる時間を把握して、櫓の見張りの目を盗んで少数で壁から侵入、正門を開けて救出する」
「ならば、侵入は夜に決まりだな。ほら見てみろ、櫓の連中は外しか警戒していない。問題は一つの櫓に二人ずついるってところだ」ジンダジスはロビンをチラッと見て続けた。「やれるか」
「えぇ」
ヤグサが心外そうに身を起こした。
「おいおい、弓なら俺たちだろうが」
「だが、今宵は新月。あかりはないぞ?」
ヤグサが不敵に笑んだ。
「塔の篝火が嫌というほど夜陰を照らしているだろ。あれで充分だ」
少数の人員をサイードが選抜していく。
「なんで俺たちなんだ」
ベーネの言葉には誰も答えなかった。ウィリアムとジルクートは黙って鎖帷子を脱いで胴着姿になった。
しかし、ウィリアムもベーネの意見に同感だった。先導するのはサイードだが、野営地内に侵入して門を開けて、捕虜を見つけるという大役がなぜ新人達なのだろうか。
「教えてやる。侵入して見つかった場合は最悪だが、門を開けて敵と面と向かって戦うのは戦い慣れた古参の者。適材適所ということだ」
新人達の不安の色を見たのかサイードはそう言った。
丘の斜面を降り始めると鼓動が早まった。小石が転がるのを見て悪態をつきたくなった。壁の下に張り付いて櫓の弓兵に見つからないようにと祈る。自分の呼吸が煩い……。
「いいか、見張りがいないことはすぐにばれるだろう。素早く登り、門を開き、捕虜達を連れてこい」
サイードが山の暗闇に向かって大きく手を振った。すると、矢羽が風をきる音が一瞬聞こえた。
「いくぞ」
ウィリアム達三人とサイードは短剣を括り付けた縄を投げて引っ掛けると、一斉に壁を登り始めた。
四人は同時に地面に降り立った。ベーネは唾をぎこちなく呑み込み周囲を見回し、ジルクートは変わらず静かな表情だが剣を抜くのが誰よりも早かった。サイードは腰から剣を抜いて櫓を見上げ、ウィリアムは剣を抜きながらその視線を追った。
「見事なもんだ」
櫓の上部から血らしきものが滴ってきている。
「ヤグサがやったんでしょうか」
「だろうな。よし、いくぞ」
サイードが素早く動き、三人がそれに続いた。
砂利が否応に音を立てるのでウィリアムは気が気ではなかった。ベーネは爪先立ちでこそ泥のように歩き、ジルクートはもはや諦めの境地か無表情で歩いている。門には太い閂がされていた。一人で持ち上げるのは無理そうだった。
サイードがウィリアムとベーネを見て閂を指差し、二人は頷いて閂に肩を入れると同時に力を入れようと目配せをした。
「敵襲ー!」
「くそ!」
サイードの声にウィリアムは思わず振り返った。サイードが横に身を投げ出した足元に矢が突き立っている。
「何見てる! さっさと開けろ!」
ウィリアムとベーネは声を上げて全力で閂を持ち上げて門から外した。ベーネが一人で重そうに閂を横に掃けて、その間にウィリアムが扉を引いて開いた。
「ジルクート!」
ベーネの声と鋼がぶつかる音が同時に響いた。振り返るとジルクートがゲピュラの兵士と剣を交えている。ベーネが閂を飛び越えてジルクートの元に走って近づいた。しかし、その必要はなかった。ジルクートの剣は稽古のときのように滑らかな軌跡を描いて兵士の喉を斬った。首から血が勢いよく吹き出し、ジルクートはそれを正面から浴びて顔を腕で隠しながら三歩あとずさった。
「しっかりしろ新米!」
サイードがジルクートに斬りかかろうとしていた別の兵士を斬り捨てて怒鳴った。ベーネがジルクートの肩を握り揺さぶった。ジルクートは首を押さえてもがいている兵士を瞠いた目で見下ろしている。
「ジルクート、しっかりしろ」
ウィリアムはジルクートの正面に立った。血飛沫を受けた顔の緑色の目を瞬かせ、ジルクートは頷いた。
「私は……」
「俺たちは一緒に捕虜を探す。たしかあっちの方じゃなかったか?」
ウィリアムは偵察のときに予想をしていた方向を顎で示した。
正門が開き、仲間達が入ってきた。ヤグサが弓を引き絞ったまま走り込んできて、素早く櫓の方に矢を二回放った。二人の兵士が首に矢を生やして落ちてきた。サイードが「敵襲!」と叫ぼうとした兵士の胸に剣を突き立て、ウィリアム達を勢いよく振り返った。
「なにをやっている! いけ!」
ウィリアムとベーネはジルクートの肩を叩き、ジルクートもようやく我を取り戻し走り出した。
「親父の仇!」
背中でヤグサの鬨の声とそれに続く若衆の掛け声を聞ききながら三人は野営地の中を走った。天幕からシャツと下衣姿に剣を持った兵士たちが次々と出てくる。怒鳴り声を浴びせられるも三人は走った。ウィリアムは心臓が口から出そうになりながら吐き気を感じ、ベーネは「お袋のため」と唇を動かし、ジルクートは無言だ。
粗朶で作った簡素な柵で仕切られた一角があった。小さな鍋が灰だけの焚火に吊り下げられ、差し掛け小屋の下に麻袋を敷いて寝ていた者たちが、みすぼらしい身なりで身を起こしていた。
ウィリアム達三人が剣を抜いたまま現れたのを見て、全員が身を縮こまらせた。その数は六人で、一人はウィリアム達と歳が近い女だった。
ウィリアムは剣を下げて落ち着かせようと手を前に出してゆっくりと頷いた。
「俺たちはスバニア騎士団の戦士だ。貴方たちはサシアネッタ劇団の人たちか?」
一人の初老の男が立ち上がった。服はみすぼらしくても背筋が伸びて、腰の後ろに手を回して立つ姿は宮廷にでもいそうな印象を抱かせた。
「そうだ。私達は劇団サシアネッタの者だ。あぁ、みんな聞いたか。助けがきたぞ!」
ウィリアムは周囲をぐるっと見回した。
「荷物があるなら纏めてくれ、すぐにでも発ちたい」
「なにも残ってはいないんだ」
「話が早くて助かったなウィリアム。急ごうぜ、さっきの天幕の奴らがきちまうぞ」
若い女が立ち上がり、これまた芯のある眼差しで男をみた。
「お父様、人形を取り返さなきゃ」
女の父親である宮廷風の男はゆっくりと、しかし頑なに首を振った。
「カル、諦めなさい」
「どうして! 座長の形見なのよ。お母様の形見なのよ! やっぱり、お父様はお母様を愛してないからそんなことが——」
「カル! いい加減にしなさい」
ベーネが近づいてきて二人の言い争いに怪訝な表情を浮かべながら、腕を広げ鼻息荒く大声を出した。
「こんなとこで親子喧嘩してる場合か! いいか! 俺たちの仲間が門で戦って騒ぎを起こしてる間にお前たちを救出しなきゃならないんだよ! 遅れれば遅れるほど全員の命が危うくなる! そんなこともわかんねぇのか! おいあんた父親なんだろ? なんとか娘さんを説得してもらわなきゃ鶏みたいに縛ることになるぞ」
「あんたたち人殺しにはわからないわよ。あたし達がどんな思いでこの旅をしてきたか、犠牲を払ったか! 人形を失えばそれに報いることもできない!」
ベーネは言葉にならない怒りを吸い込んで、今にも爆発しそうになりながら鍋を蹴ろうとしたが、ぐっと腕を組んでウィリアムに「なんとかしろ」と歯の間から絞り出すと柵の方へ行った。
ウィリアムは手負いの獣のように父親を睨むカルの正面に立って覗き込むように力強く見据えた。
「命を失えばその機会もなくなる。あんたの母さんは座長だったんだろ。娘の君はその意志を大切にしてた。失いたくないのはわかるけど、急がないと今度こそ完全に失うことになる」
カルは手を腋の下に挟み肩幅に足を開いて父親を睨んでいたが、今度はウィリアムを睨んだ。
他の四人の劇団員がよろよろと立ち上がり、丸眼鏡をかけた老人がそっと口を開いた。
「カル。お前が座長になって、また一から始めればいい。少なくともここにいる者は秘術仕掛けの人形の知識がある者たちだ。きっとやり直せる」
カルは、きっと髪を振って地面を睨むと、好きにすればいいと吐き捨てた。
「きたぞ! まだか? なにやってんだ」
ベーネの苛立った声が聞こえてきた。ジルクートは剣の柄を強く握りしめ、顎筋を張らせたまま野営地の門の方を向いている。
「俺たちから離れないで!」
ウィリアムはそう言って踵を返すと、カル達を連れてベーネの元に駆け寄った。ベーネとジルクートはすでに斬り合っていた。盾を持った兵士が三人――天幕から最初に出てきた者達だった。
ベーネは自前の膂力に任せて盾を切りつけて兵士に飛びかかり、盾を捻るようにして兵士の腕を折ると、膝を突いた兵士の首元から剣をまっすぐに突き立てた。
ウィリアムは兵士の剣と盾の攻撃を受け流して躱すと、盾側に体を半回転させて相手の横に移動してその勢いのまま兵士の上腕を斬った。鎖帷子も纏っていない腕を切り裂き、兵士が雄叫びを上げて雑に剣を振った。ウィリアムは身を屈めてやり過ごすと、上段から兵士の首と肩の間に剣を振り下ろした。剣は胸のほうまで食い込んで、兵士はかっと瞠いた目でウィリアムを見て喘ぐように浅い呼吸を繰り返しながら地面に崩れた。
ウィリアムは自分が地面に尻餅をついているのに気が付いたのは、カルの父親の驚いたような声を聞いたからだった。
「君たち、人を殺すのは初めてなのか? 戦士じゃないのか?」
ベーネとウィリアムは、口元を手で押さえ自分が手をかけた兵士の動かなくなった体を呆然と見ていた。
「気持ちはわかる、友よ。急ごう」
ジルクートが剣に新たな血糊を滴らせてウィリアムとベーネの肩を揺すった。ウィリアムの剣を死体から引き抜き、ウィリアムに差し出す。ウィリアムはそれを受け取り、喉をひくつかせながら頷いて立ち上がった。
ベーネはなにも言わずに、誰とも目を合わせようとせずにジルクートとウィリアムの後ろについて歩き出した。
門の前で前線ができていた。しっかりと前衛の列を作っているのはジンダジス達で、ゲピュラ兵はそこに突っ込んでいく形だった。後方で矢を構えるヤグサ達ドラ=カルダリーアの矢がサイードたちを援護している。
戦いの喧騒は増して、倒された篝火から引火した天幕が燃え上がり、野営地は火に呑み込まれそうになっている。
その時、場違いな笛の音が聞こえてきた。いくつかの短い旋律を繰り返し、似たような旋律をまた繰り返す。
ウィリアムはその旋律を聞いていて鼻の奥がツンとする感覚を抱いた。目の前に蜘蛛の巣がかかったような感じだった。煙と炎の熱気のせいだろうか――そう思ったそのとき、天幕から上がる炎が怪しげに踊り始めた。
踊る炎は巨大な鳥となった。孔雀のように羽を広げた帆船のような大きさの炎の鳥だ。炎の鳥に気づいたスバニア戦士と若衆は後退を始めた。炎の鳥は宙に舞い上がり、流星の如くジンダジスやサイードが作る前線に突っ込んだ。
爆発と衝撃に備えて、スバニア戦士達は本能のままに身を屈めて顔を腕で覆ったが、なにも起こらなかった。炎の鳥はどこへやら、そう戸惑っている戦士の前衛の動揺をゲピュラ兵は見逃さなかった。
形勢が逆転した。
倍以上の人数に勢いづいたゲピュラ兵達に前線は崩壊し混戦となった。
ウィリアム達は「小隊長!」と叫びながら兵士と戦った。幸いか、剣をもたずに壁側で身を縮こませている劇団員達は誰にも狙われず、彼らは鋼と雄叫びの協奏曲を恐ろしげに見つめ続けた。
突如、ゲピュラの兵士後方から勇ましい声が上がった。まるで何かを讃えるような勝利を確信したような声。空に雷を帯びたような光の縄が現れて、絶え間なく動いている。それがしなった瞬間、光でできた鞭のようだとウィリアムは思った。
光の鞭が破裂音を伴って戦士を打ち据えていく。鞭に捉えられた戦士は一瞬で体が真っ二つに切り裂かれ、ある者は頭が壁にぶつけた果物のように弾けた。
ウィリアムは腕を掴まれて剣を振り上げようとして、サイードだと気が付いた。
「あれはなんですか!」
「コンティーレ! それも魔具使いだ。捕虜を連れて逃げろ勝ち目はない! ジルクートに預けた時計はあるな? それを持って――」
目の前でサイードの顔が弾け、強烈な音に全身が痺れた。意識だけが残り、体が溶けてしまったかのような感覚にウィリアムは沈んだ。
ウィリアムはあいつにどことなく似ている。目元か頬の辺りか、顔の雰囲気が似ている。だからこそ、あいつのことを思い出す。
親のいない裏路地育ちの俺はタロエの町と金持ちが憎かった。港では家畜のように扱われ、誇りなんてものを抱くのは甘ちゃんで恵まれた環境を持つ者の戯言だと理解した。
だから、あいつらが蔑む裏通りだけは自分のものにしてやろうとおもった。盗み、強盗、騙し。そして俺にはあいつらの頭を下げさせる拳があった。誰にも負けない拳が。
十六歳になった俺はタロエの裏では有名になっていた。誰もが恐れ、一目置いていた。だが、あの日、俺は初めて地面に尻を突いた。初めて親にどつかれて驚いた子供のように。
背が小さくて、たいして力のないあいつは、綾織の仕立てのいい毛織りのダブレットに鼻血を垂らしながら、俺を見下ろして太陽のようにかっと笑って言った。
「お前強いな! お前となら世界のどこでもやってけそうだ」そう言ってあいつは俺に手を差し伸べた。タロエで一番裕福な少年だった最も憎い少年が。「お前との喧嘩、楽しかったぜ」
だが、俺はあの手を取った。あいつの手を取ったあの日から、俺の人生は始まった。あいつのおかげで、俺は人生を生きられた。いつだってあいつは俺を助けてくれた。
これが、最初で最後の恩返しだ。
誰かが自分の名前を呼んでいる。ウィリアムは酷い耳鳴りのなか、ジンダジスが無理やり立たせながら叫んでいるのだと気が付いた。
「新米で劇団員を連れて帰れ! 時計を忘れるな! あれは記録媒体でもある。ゲピュラの野郎が壁人に手を出そうとしているのは大問題だ。世界規模のな! この事実を本国に伝えろ、なにがなんでも!」
「……小隊長は、どうするんです」
「古いもんは足止めだ。おい、お前らも話は聞いていただろう、ウィリアムを連れてさっさと行け!」
ウィリアムの腕を握るジンダジスの手に力が入る。
「ウィリアム、ジョンに伝えてくれ。〝楽しかったぜ〟ってな」
ジンダジスはウィリアムを突き放すと混戦のなかに消えていった。
ウィリアムはジルクートとベーネを見返して頷くと、カル達を連れて門を飛び出した。




