予兆編③
「ところで、呼び出したのは本の感想だけじゃあないよね?」
「ああ、そうなんだ。そもそもソクラテスの本を薦めたのは、もし入部したらやってほしいことがあったんだよ」
「なにそれ。難しいことはできないよ?」
「うん。難しくはない。ソクラテスの本にも載っていることなんだけど、分かるかな?」
クイズはあんまり得意ではないんだけどなあ。
「うーんと、ヒントちょうだい」
「ヒント? ああ、二人でできることかな」
二人でできること? えーと……
「問答かな? 無知の知を相手に分からせるような、問答?」
「そうだね。正解は助産術だよ」
「ああ、本に書いてあったね」
助産術とはソクラテス式問答法とも言われて、反対の立場の人間を相手に自説の補強を行なう弁証法の一つである。
問われる者を妊婦、問うものを産婆だと見立てることから助産術とも産婆術とも言われる。
「一人の思索だと限界があるんだ。その限界を手っ取り早く失くすには、浅井さんの協力が必要なんだよ」
「それだったら協力するのもやぶさかではないけど、私にできるのかな?」
「多分できるよ。というよりぼくも初めての助産術だから、上手くできるとは限らないけどね」
初心者同士で上手くいくんだろうか。
少しだけ不安になってくる。
「じゃあちょっとだけやってみよう。テーマは学校について」
「学校と言ってもテーマが広すぎて何から考えればいいのかな?」
「だったら学校の存在意義、簡単に言えば学校は本当に必要かどうかにしよう」
私は検算でもするように当たり前のことを言う。
「学校は必要だよ。みんなと会えるし勉強も必要だから」
「その『みんな』をどの程度指しているのかぼくには分からないけど、学校以外の場所で会えばいいんじゃない?」
「それだと、そこが学校みたいになるんだから、結局、学校は必要だってことになるんじゃない?」
「たとえばゲームセンター。たとえばカラオケ。学校以外の娯楽施設で会えばいいよ。そうしたら遊べるし、楽しいよ」
「楽しいだけだと、社会に出たとき大変じゃない。勉強する場も必要だし、だから学校はあるんだよ」
「今の世の中、学校以外にも勉強できるところは山ほどある。学習塾だったり家庭教師だったり。友達同士で教えあったりもできる。自分一人だけでも勉強することはできる」
道理があっているようであっていない感覚がするので、反論を試みる。
「でも、その勉強も学校のためにやっていることじゃん。勉強して成績上げて、志望する学校へ入学するための勉強じゃない」
「では、学校はより良い学校に行くための手段としての教育機関であると?」
「そうだね。高校なんて良い大学に行くための学校だし」
「だったらますます学校はいらないよ」
「それはどうして? 学校がないと将来、社会に出たとき苦労するよ?」
「学校がなければストレートに社会人になれたりするよ? 学生なんて社会に出る前の仮初めの身分だし」
だんだんと面白くなってくる。私の口がこんなに回るとは思わなかった。
「その社会に出るために学校が必要なんだよ。因数分解もできない人間が原子力発電所に勤務していたら危なくてしょうがない」
「でも学校では、そんなこと教えてくれないよ? それに因数分解がいくらできても原子力のことを理解できるとは思えない。むしろ社会に入ってから学ぶことは多いと思う」
「因数分解は物のたとえだよ。まあ社会に出たこともない私には反論はできないけど、それでも学校で学ぶ意義はあると思う」
「それはなに? コミュニケーション能力? 演算能力の向上? 理解力と応用力の発展? それとも道徳的な何か?」
「それもあるだろうね。それと、朝倉くんが個人だと限界を感じるって言ってたのと同じだけど、団体だからできることも多いと思うんだ」
「それが学校の役割だってことかな?」
「学校には好きな人や嫌いな人が入り混じっているから楽しいんだと思う。愉快な人も不愉快な人もいるから、そこで自分で選択していくんだと思う」
「ぼくは、楽しい人だけと関わっていきたいな」
「そんな考えだから、みんなが関わってこないんだよ」
「厳しいなあ。まあいいや。つまり学校は自分の選択によって自分が成長していくために必要なんだってことかな?」
「そうとも言えるね。だから学校は必要なんだよ」
そう言いおわると朝倉くんは「これって助産術なのかな?」と疑問そうに言う。
「初めてだから成功か失敗か分からないけど、それでも討論はできたんじゃない?」
「テーマが曖昧だからいけないのかな? まあいい、今度機会があったらまたやってくれるかな?」
私は「いいよ。やっても」と言った。楽しいのかどうか分からないけど、達成感はあった。完成させたジクソーパズルを崩したような爽快感もあった。
それに無邪気に哲学を愛している朝倉くんのことを気に入り始めていた。
「もうすぐ昼休み終わってしまうね。そろそろ教室に戻ろうか」
「うん、そうだね。あ、入部のことはまだ考えていいかな?」
「いいよ。いつでもいいから。流石に卒業する前だけど」
朝倉くんは自分のジョークに「あはは」と笑った。
私は「そうだねえ」と特に笑わずに流した。
お弁当箱を持って、教室へ戻る。
その教室で事件が起こるとは夢にも思わなかった。




