第7話 新人の2体目は、もう立ち位置に走っている
カウンターに、銀行の封筒を置いた。
中身は1万円札が12枚で、貯金のほとんどだ。
カウンターの横には、腰ほどの高さの戦闘人形が立っている。外装は白一色で、目立つ傷もない。部品の寄せ集めで色がまだらな、うちの人形のスタントさんとは、育ちが違う。
払えば、残りは4万円ほど。月末の家賃8万円の、半分にしか届かない。
昨日、第5層で知り合った盾使いの朝比奈さんに聞かれた。元の職場アセントの看板パーティが第10層の中間ボスに挑む、という話のあとで、柏木さんはどうするのか、と。
俺はまだ、その返事を口にしていない。
返す前に、別れてすぐ通路の脇でAIに聞いた。
「なあ。第10層の中間ボスで、協会の資料に載ってないことってある?」
[いい質問ですね! 結論から言うと、あります。新宿の第10層の中間ボスは、デススパイダーです]
[足もとで小さな獲物が2つ、自分の脚で逆の向きへ同時に逃げると、どちらを追うか決められずに前脚を上げて固まります]
[そのとき、急所の頭と胸の継ぎ目が、獲物の背の高さまで下ります。協会の資料には載っていません]
その下に、転がる物と浮く物は獲物と見ないことと、1つだけが背後へ回ると体ごと向き直ることが、長い箇条書きで続いた。
クモの食事の作法としては、よく分かった。
獲物の背丈だけ、聞き直す。
「小さいって、どのくらいだ」
[デススパイダーの腹の下をくぐれる背丈までです。人の腰より少し上になります]
[次は、デススパイダーのふだんの攻め方をまとめましょうか?]
腹の下をくぐれる背丈で、自分の足で床を走る2つ。
浮く物は獲物と見ないから、ドローンをおとりにはできない。
腰ほどの高さで床を走る物なら、うちに1体いる。もう1体が足りない。
人形を2体そろえれば、クモの獲物の役ができる。
「人形使いの方が、2体ですか」
店の奥から出てきた職人さんが、封筒と俺の顔を見比べた。
「1体で手一杯なのが普通ですよ。2体目は、たいていうちの棚に戻ってきます」
「承知しています。お願いします」
職人さんは札を数え終えると、白い人形の肩を軽くたたいた。
「キャリーを付けておきます。背負うと、けっこう重いですよ」
「承知しました」
昨日の夜に、迷うだけ迷っておいた。
1体では取りこぼしていたオークを2体で拾えるなら、稼ぎは倍より上になる。
家賃なら、2体で稼げばいい。
スキルの《収納》には、スタントさん1体しか入らない。2体目は、店で付けてもらった背負えるキャリーに入れて担いだ。
肩にベルトが食い込む。
財布が軽くなった分、背中が重くなった。収支としては合っている。
◇
第7層までの35分、背中の重さは一度も軽くならなかった。
主要な通路の脇でキャリーを下ろし、ドローンを放して配信をつける。
「こんにちは。新宿ダンジョン、第7層からお送りします。今日は始める前に、スキルを取ります」
『背中の荷物なに』
『引っ越し?』
荷物の紹介はスキルのあとにする。番組の構成としては、そのほうが続きを見てもらえる。
ステータスを開いて、俺にしか見えない行を読み上げた。
取得可能なスキル:《並列思考》(5)
二つのことを、別々に考えて同時に進められる。
並列思考を取得:スキルpt 5(はい/いいえ)
【《並列思考》を取得しました】
『並列思考って才能だろ』
『取れるもんなの?』
『スキルで買えるなら俺も欲しい』
才能なら、5年も運び役をしていない。
「このあと《人形操作》を、Lv3まで上げます。2体まで動かせるようになります」
『2体同時は無理だって』
『1体でもまともに動かないのに』
《人形操作》を Lv2 に:スキルpt 5(はい/いいえ)
【《人形操作》がLv2になりました】
《人形操作》を Lv3 に:スキルpt 5(はい/いいえ)
【《人形操作》がLv3になりました】
17あったスキルptが2まで減った。貯金に続いて、こっちもほぼ空だ。
『外れ職が2体で、外れ2倍』
『スキルpt溶かしたな』
外れ2倍か。ちょっとうまい。
言い返さずに、ドローンのレンズへうなずくだけにした。2体を別々に動かす方法なら、もうAIに聞いてある。
《収納》からスタントさんを出して、隣にキャリーの中の2体目を立たせた。
並べると、片方だけ新しい衣装をもらった二人組みたいだ。
「今日から入ってもらいます。よろしくお願いします、ADさん」
白い人形の名前は、ADさんにした。撮影の現場で、演者より先に立ち位置へ走って床に印を貼り、最後の一押しまで走り回るのは、新人のADの仕事だった。この人形にも、同じ仕事を頼む。
右手と左手の指を1回ずつ曲げた。
スタントさんが拳を上げ、ADさんが通路の先へ走りだす。
2本の指示が、頭の中で混ざらずにそれぞれ届く。しかもADさんは、指を1回曲げただけで、止めるまで走り続ける。
新人にしては、飲み込みが早すぎる。
放っておくと、通路の突き当たりの壁まで走っていきそうな勢いだ。
慌てて止めて、その場で構えさせる。
走りだしは誰より早くて、止まるのは言われてから。現場で何人も見た新人だ。
MPはいつもの倍の速さで減っていく。2体を動かす分、MPも2体分かかるらしい。
◇
通路に面した部屋をのぞくと、オークが1体、奥の壁際に立っていた。隣の部屋にも、もう1体いる。
どちらも、俺の背よりまだ上に頭がある。
前にオークに負けたのは、振り下ろしのあとだった。振り下ろすと、頭は一拍だけ人形の高さまで下りてくる。ところが下りる位置が腕の向きでずれて、スタントさん1体では追いつけず、拳が半歩届かなかった。
今日はその半歩の所に新人を置く。
「スタントさん、ADさん、入ります」
スタントさんをオークの正面へ歩かせる。
ADさんには入口の脇で待ってもらう。新人の出番はまだ先だ。
緑の顔が、腰ほどの高さのスタントさんを見下ろす。
太い腕が天井へ上がった。
腕は斜めに傾きながら落ちてくる。
まだらのスタントさんは腕の外へ。白いADさんは頭が下りてくる先へ。
1回ずつ、指を曲げる。
床が鳴った。
スタントさんは転がって、腕の外。
頭は腕に引かれて、反対の側へ下りてくる。
その先へ、ADさんがもう走っている。
ADさんは、止まらなかった。
ADさんは俺の決めた所を走り抜けていく。
その先は、床を打った腕が横薙ぎに戻ってくる通り道だ。前に、スタントさんを壁まで払い飛ばした腕だ。
12万円の人形が棚に戻ってしまう。
緑の頭はまだ流れていた。腕に引かれて、俺の見込みより半歩深い。
止める場所は、腕の通り道の手前だ。
指を、曲げた。
ADさんは通り道の手前で、床をつかむように止まった。
止まったADさんの真上へ、緑の頭が下りてきた。
オークの頭が、止まった。
転がったまだらと、目の前で止まった白。緑の顔が、2体の間をテニスの観客みたいに行き来する。
オークの喉は人形の高さまで下りたまま動かない。
床の腕も、戻ってこない。
ADさんの拳が、喉に入った。
オークの膝が折れる。
巨体は床に着く前に光の粒になって、魔石が1つ転がった。
「失礼しました。うちの新人が、走りすぎまして。……次、入ります」
隣の部屋のオークにも、同じ段取りで人形を向かわせる。違うのは新人への指示だけだ。
腕が上がるのを待って、傾きを見る。頭が流れていく先の、戻る腕の通り道の手前。
ADさんを止める場所を、そこに決めた。床に見えない印を貼るのと同じだ。
走って、印で止まる。そこまでを一続きにして、指1回で送る。
腕が落ちる。
スタントさんが転がる。
白いADさんが走って、俺の決めた印の上でぴたりと止まった。
オークの頭がそこへ下りてくる。
緑の頭は2体の間で揺れたまま、腕を戻すより先に喉を打たれて沈んだ。
【レベルアップ。Lv10からLv11になりました】
止める場所さえ先に決めておけば、止まらない新人は、もう立ち位置に走っている。
「……お疲れさまです。止めます」
2体を通路の脇に戻して、構えさせたまま止めた。
2本の指示を流していた頭が静かになって、やっとコメント欄が目に入る。
読めなかった間のコメントを、上からさかのぼった。
『白いの突っ立ってるだけじゃん』
『ほら1体しか動かせない』
『え、走った』
『白いの暴走してる』
『ぶつかるぶつかる』
コメントはそこで一度途切れていた。書き込む手が止まるくらいには、危なく見えたらしい。
『止まった』
『今の止めたの?』
『別々に動いてる』
そこから先は、手のひらの返る音が聞こえそうだった。
『オーク首振ってて草』
『人形使いってこういう職なの?』
『外れ職って言ったやつ誰』
『俺です。すみませんでした』
『戦いは数だよ、スーツの人』
『2体目いくらしたの』
スーツの人とは、スーツで潜る俺のことだ。
同時接続数の最大の欄に、見たことのない数字が出ていた。
8,000。
昨日の最大の3,000人の、倍よりまだ上だ。
腕の画面には、AIの入力欄が空のまま残っていた。
1体目を倒したあと、隣のオークのことを聞くつもりだった。画面には一度も指が触れていない。
2体を動かしている間は、AIに聞くだけの頭が残らない。
聞くことは戦う前に聞いておく。段取りが1つ増えた。
足もとを見下ろす。
色のまだらなスタントさんと、白一色のADさんが、並んで構えている。
クモの獲物の役が2つ、もうそろっている。
人間4人で組むアセントの看板パーティには、この形が作れない。
企画の日まで、あと4日。
中間ボスの広間に入ったら、もう誰にも聞けない。




