第8話 横穴の中では、AIも配信も届かない
細い横穴の口から、若い冒険者が這い出てきた。
腕の画面には、配信が切れたと告げる灰色の表示が出たままになっている。
直す余裕もないらしい。
新宿ダンジョンの第9層。俺は第10層の中間ボスの広間を見に行く途中で、こっちの配信は回しっぱなしだった。
昨日は2体の人形で一日オークを狩って稼いだ。今日はその先の下見のつもりだった。
「相方が、まだ中に」
這い出てきた冒険者は膝をついたまま、横穴の奥を指さした。ジャケットには新品の折り目がまだ残っている。
「わなに足を挟まれて、犬みたいな頭のやつらに囲まれてて。協会には電話しました。でも、救助が来るまで、もたない」
「中は電波がなくて、あいつの配信も切れて……」
言葉の途中で声が裏返った。
わなで足を床に留められたまま、囲まれて剣を振り続けている。
養成所の訓練を撮っていた頃、訓練生の腕が上がらなくなるまでを何度も見た。足を止めて振り続けるなら、せいぜい10分しかもたない。
「すみません、確認ですが。私が決めることじゃないんですが」
言いながら、俺はもう収納とキャリーケースから2体の人形、スタントさんとADさんを出して、床に立たせていた。
救急セットも、気づけば腰のベルトに移してある。
「……中まで、案内をお願いできますか」
横穴の口で、腕の画面のAIに入力した。電波の表示はまだ1本だけ残っている。
「なあ、この横穴、何がいる?」
[いい質問ですね! コボルトの群れの巣です。足を挟むわなを仕掛けます]
[わなの場所は日によって変わるため、お答えできません]
十分だ。わながあると分かっていれば、踏む前提で手順を組める。
「中に入ります。配信は、たぶんここで切れます」
『は?』
『電波ないとこ入るの?』
『中で死んでも誰も見えんぞ』
『無理だって』
『協会待てよ』
無理だ、なら現場で何百回も聞いた。言った人が代わりに入ってくれたことは、一度もない。
同時接続数は6,000ほど。
数歩入ったところで画面の隅の表示が灰色に変わった。
ここから先へは、6,000人の誰の声も届かない。
◇
横穴は人1人がやっと通れる幅で、右へ左へ何度も折れ曲がっていた。撮影所の裏の、機材を運び込む細い通路に似ている。
明かりは、肩の上に浮かせたドローンのライトだけだ。
何度目かの角の先で道が二股に分かれていた。
「どっちから来ました?」
「……覚えてないです。這うのに必死で」
這い出てきたほうが左右の暗がりを見比べて、首を振った。責める気にはなれなかった。
俺はいつもの手つきで腕の画面を叩く。
「どっちだ」
[送信できませんでした]
入力し直す。
[送信できませんでした]
画面から指を離した。
2体を左右へ1体ずつ行かせる手も、ここでは使えない。人形は角を曲がって俺から見えなくなると、そこで止まってしまうからだ。
道を間違えたら、相方を待たせた分は全部俺が決めたせいになる。
聞ける相手がいないまま決める本番なら、撮影の現場で何度も踏んだ。
その膝と手のひらは赤茶けた泥で汚れている。
左の道の床は乾いた白い岩だ。同じ赤茶色に湿っているのは、右の道だけだった。
どっちを通ったかは、這ってきた膝が覚えている。
「右です」
スタントさんを先頭に歩かせ、ADさんは俺のすぐ前に置いた。折れ曲がる道で人形を離すと、角ひとつで見失う。
十歩も行かないうちに、スタントさんの足もとで金属の顎が跳ね上がった。
硬い音がして、脚の外板が割れる。
代わりに体を張る係だから、スタントさん。名前どおりの仕事だ。
それに、わながあるならこの先が巣だ。道は合っている。
わなをこじ開けて、また歩かせた。割れた脚を少し引きずるが、まだ動く。
奥から犬が鼻を鳴らすような声が近づいてくる。もう近い。
その先で道が少し広くなっていた。
ライトが照らす先に、相方が座り込んでいる。さっきと同じ金属の顎が、左の足首に食い込んでいた。
まだ間に合う。
その周りを、犬の頭をした人影が7つか8つ囲んでいる。背は子どもより少し大きく、ゴブリンよりずっと動きが速い。
相方は短剣を振り回しているが、足はわなで床に留められたままだ。振るたびに切っ先が下がっていく。
「失礼します。スタントさん、前へ。ADさん、相方さんの所へ」
2体が別々に走り出した。
2体に別々の動きをさせると、それだけでほかを考える余裕がなくなる。
群れの端の3匹がするりと輪を離れた。
俺たちが来た道の、暗がりのほうへ回り込んでいく。
背中を取られる。
スタントさんを呼び戻すか。ADさんを振り向かせるか。2体を走らせたままの頭では、どちらにも決めきれない。
腕の画面へ伸ばしかけた指を止めた。どうせ届かない。
「ADさん、押してます」
人形を1体止める、俺の合図だ。ADさんが相方の手前でぴたりと止まった。
撮影が遅れたら、まず1つ止めて組み直す。現場の決まりだ。
1体を止めると、考える余裕が半分戻る。
回り込んだ3匹は襲ってこない。暗がりの手前で足を止めて、こちらを振り返っている。
あいつらは、俺の人形に追わせたいのだ。わなを並べた側へ。
追えば、輪に残ったやつらがその隙に相方へ跳びかかる。
「スタントさん、暗がりへ。ADさん、相方さんの前。巻きで」
急げと言われたスタントさんが、割れた脚のまま全速で暗がりへ突っ込んだ。
足もとでわなが続けざまに閉じる。閉じたわなを引きずったまま、スタントさんは止まらない。
輪に残った群れが一斉に相方へ跳んだ。
その鼻先に、白い人形がもう立っていた。
「人形……? 2つも」
相方が目を見開いて、ADさんの背中を見上げた。
ADさんが先頭の喉に拳を入れる。
続けて跳んだ1匹も同じ高さで止められた。
暗がりでは、わなに挟まれたままのスタントさんが、跳びかかってきた3匹を払い落としていく。
群れが、崩れた。
逃げかけた最後の1匹の背中へ、ADさんが走る。
喉を殴られた小さな体が床に転がった。
光の粒が暗い横穴にほどけていく。
【レベルアップ。Lv11からLv12になりました】
電波のない横穴でも、頭の中に響くその声だけはいつもどおりだった。
◇
2体を止めたとたん、膝から力が抜けかけた。MPがごっそり減っている。
ADさんと2人がかりで、相方の足首のわなをこじ開けた。救急セットの包帯を巻くと、相方は顔をしかめながらも自分の足で立った。
「歩けますか」
「……はい。あの、今の、なんなんですか」
「人形です。私の」
答えになっていない自覚はある。
這い出てきたほうに相方の肩を貸してもらい、わなを踏み潰した道をそのまま戻った。
「ほんとに、ありがとうございました」
頭を下げられて、返事に詰まった。礼を言われる側の席に、俺はまだ慣れていない。会社ではずっと謝る側の席にいた。
大きな通路に出たところで腕の画面が震えた。
[送信できませんでした]
[送信できませんでした]
[次は、第10層の広間までの道順をまとめましょうか?]
何事もなかったような明るさだった。こっちはその間に、群れを1つ片付けてきたんだが。
配信は切れたままにしておく。MPの減ったこの頭で司会をしたら、話す順番がめちゃくちゃになる。
通路の脇の壁にもたれて、ドローンの録画を開いた。録画は、配信が切れている間も機材の中に残っている。
ライトが届いた範囲だけ、横穴の中が映っていた。わなを踏んでいくスタントさんも、相方の前に立つADさんも。
暗くても、何が起きたかはこれで伝わる。
6,000人の視聴者は、俺が横穴に消えたところで置いていかれたままだ。続きを見せないと、番組が尻切れで終わる。
配信が切れていた間の録画を、編集で切らずにそのまま上げる。
「横穴の中の録画、上げてもいいですか。お2人の顔も映ってます」
包帯の足首をかばいながら、相方のほうが答えた。
「顔だけ、ぼかしてもらえれば」
アップロードの進み具合を眺めていると、通知が1つ流れてきた。
アセントの公式アカウントからだ。明日、第10層の中間ボスの下見を配信するという告知だった。
看板パーティの4人が、明日、俺より先にあの広間に入る。
俺は今日、第10層の中間ボスの広間を下見しそこねた。
明日は、あの4人の配信を客席で見る。




