第4話 家賃の魔石を、オークの部屋に置いてきた
部屋の入口にしゃがんで、手のひらの魔石を1個、床へ転がした。
石は乾いた音を立てて、部屋の奥へ転がっていく。
『え』
『魔石捨てた』
『今の魔石だよな?』
『捨てた捨てた』
捨ててはいない。置いているだけだ。見ている側には同じに見えるだろうが。
前の配信から2日たった。昨日は中野の部屋で、スタントさんの右腕を丸一日かけて直していた。
いま転がしているのは、今朝の夜明けから第6層の部屋をめぐって、オークを14体倒して集めた魔石だ。
スーツのポケットはまだ重い。
続けて4個、手のひらから床へ落とした。
部屋の奥にいたオークが、こちらを向く。オークは入口の俺には目もくれず、魔石の転がった床まで歩いてきた。
客より料理のほうが気になるらしい。
オークは太い指で魔石を1個つまみ上げて、口へ運んだ。
ごり、と硬い音がした。
石を噛み砕いて飲み込む音を、ドローンのマイクがきれいに拾った。
食べる音の配信にしては、硬すぎる。
『食った』
『オークって魔石食うの!?』
『いや捨てる奴がおかしい』
『頭おかしい』
『スーツの人、家賃大丈夫?』
顔も知らない視聴者に、家賃を心配された。当たっているから、なお悪い。
「失礼しました、オークさん。ごゆっくり」
ドローンのレンズに向き直る。
「理由は、のちほど。次の部屋に移ります」
見どころは先に言わない。
通路を歩きながら、腕の画面で今朝の履歴を開き直した。夜明けの第6層で、俺はAIにこう入力していた。
「なあ。このオークで、協会の資料にないことって、まだ何かある?」
[いい質問ですね! 結論から言うと、あります]
[部屋のオークは、その部屋の床にあるオークの魔石を食べ、5個ほど食べると、ふつうより強い個体に育ちます]
[育った個体が落とす魔石は1個で、売値はふつうの魔石5個分より安いですが、経験値はふつうのオーク5体分ほどです]
そのあとに長い箇条書きが続いた。育つのは3〜5時間で、いつ育ち終わるかは外から分からないこと。のぞき込む癖は、育っても残ること。
最後の行は、いつもの[次は、魔石を置く部屋の選び方をまとめましょうか?]だった。
人形を1体しか持たない俺が一日に戦える回数は、MPの残りしだいだ。強い個体を1体倒せば、5体分の経験値が1回の戦いのMPで取れる。
Lvが上がればもっと深い層に潜れて、深い層ほど魔石の単価は上がる。
魔石は拾って売るのが冒険者の仕事で、床に置いて帰る人はいない。
◇
2つ目と3つ目の部屋にも、5個ずつ転がした。2日前の配信で倒したオークの魔石も1個混ぜて、合わせて15個。どちらの部屋でもオークは同じように寄ってきて、同じ音を立てた。
同時接続数は、配信を始めたときの600から、石を転がすたびに伸びて1,500を越えた。
『15個?』
『オークの魔石って千円くらいだろ』
『1万5千円捨てた』
『魔石は命より重いんだぞ』
『その金で予備の電池買え』
1万5千円なら、家賃の5日分と少しだ。
企画会議なら、一言目で突き返される使い道だった。
「では、いったん切ります。再開は、オークさんの支度が済み次第です」
配信を切り、朝から半分ほど減ったドローンの電池を、昨日買ったモバイルバッテリーにつないで、通路の脇に座り込んだ。
1つ目の部屋をのぞくたびに、奥でうずくまるオークの背中が膨らみ、肌の緑が濃くなっていく。
育っている。仕込みにちゃんと火が入っている。
困ったのは通路を通る人たちで、部屋の前でパーティが足を止めては中をのぞいていく。
「なんか、でかくね?」
「寝てんじゃん。帰りでいいだろ」
足音が遠ざかるたびに、背中が冷えた。
いま誰かが入って倒せば、食わせた5個はその人の経験値になって終わりだ。
文句を言う筋もない。言えば、魔石を捨てた変な人から、獲物を囲い込む変な人になる。
◇
昼すぎだった。
1つ目の部屋を入口からのぞくと、奥で、強い個体に育ったオークがゆっくり立ち上がった。
ふつうのオークより、背が頭ひとつ高い。
何より腕が長い。だらりと下ろした指の先が、膝の下まで届いている。
急いで配信を入れ直した。
「お待たせしました。新宿ダンジョン、第6層。朝の魔石の、続きです」
『でっか』
『なにあれ』
『さっきのオーク?』
『人形潰されるって』
『無理だろこれ』
無理かどうかを決めるのは、あの腕の長さだ。
2日前の配信では、スタントさんが構えた拳のすぐ前の床を印にして、オークの顔をそこまで連れてきた。今日も同じ所に印を置けば、顔が下りてくる前に、スタントさんがあの腕に横から払われる。
長い腕は部屋の端まで届く。そのかわり、自分の体のすぐ下には振り込めない。
立ち位置の印を付け直す。
撮影の現場なら、床にテープを貼って立ち位置を示す、バミリの貼り直しだ。今度の印は、スタントさんの立つ床そのものにする。強い個体の顔は、その真上まで下ろしてもらう。
入口の内側の床を靴先で擦って線を1本描き、その上にスタントさんを出した。
「スタントさん、入ります」
関節が小さく鳴り、スタントさんは昨日直した右腕で拳を上げて構えた。
部屋の奥で、強い個体がこちらを向く。足音が床を伝って、靴の裏まで来る。
2日前のオークより、一歩が重い。
ドローンをスタントさんの頭と同じ低さまで下ろして、そこで止める。
オークの気を引く餌は、2日前と同じこのドローンだ。あのときは動かしたまま鼻先へ突き出して、叩き落とされかけた。
今日は動かさない。
強い個体が足を止めて、浮いたままの機体を濃い緑の目で見下ろした。
まだ、かがまない。
膝の下まで垂れた腕は、いつ横へ振れてもおかしくない。スタントさんに構えさせているだけでも、MPは少しずつ減っていく。
演者の間は、こっちで決められるものじゃない。
強い個体はゆっくり体を折り曲げた。
『かがんだ』
『またのぞいてる』
思わず息が抜けた。
育っても、カメラ好きは直らないらしい。
ドローンをゆっくり手前へ寄せると、強い個体の顔がついてくる。
素直なものだ。
スタントさんの頭の真上でドローンを止めた。強い個体の顔が配信の画面いっぱいに降りてきて、その喉がスタントさんの構えた拳のすぐ上に来る。
バミリどおりだ。
指を1回動かす。
スタントさんが真上の喉へ拳を突き上げた。
手応えはある。
強い個体は喉を鳴らしただけだった。
『効いてない』
『やばいやばい』
なら、重ねるだけだ。
強い個体は殴られても顔を動かさず、まだレンズを見ている。
目線を外さない演者なら、現場で一番ありがたい。
指を動かして、スタントさんにもう一発殴らせる。
次の一発に指をかけたとき、強い個体が、垂らしていた長い腕を床から浮かせた。
顔はレンズに向けたまま、腕だけを横へ振る。
『腕!』
『潰される』
『人形逃げろ』
『終わった』
強い個体の腕は大きな弧を描いて、スタントさんの外側を回っていった。
スタントさんに届いたのは、風だけだ。
2日前の印のままなら、スタントさんはちょうどあの腕の通り道に立っていた。
床に描いた線1本のおかげで、右腕を直した昨日の丸一日が無駄にならずに済んだ。
『空振った』
『なんで当たらんの』
『今の避けた?』
『あっぶねえ』
「オークさん、目線そのままで」
指を動かして、スタントさんに同じ喉をもう一度殴らせる。
殴らせるたびにMPが減る。構えて待たせた分の減りも、まだ戻っていない。
安い出演料じゃない。
『カメラ目線のまま殴られてる』
『目そらせよ』
『自撮りしながらボコられてる』
『絵面がひどい』
『オーク逃げて』
もう一度。
スタントさんが喉を殴りつける。
強い個体が、膝から崩れた。
その体は床に着く前に、光の粒になってほどけた。
床に魔石が1つ転がる。朝の石より、ふた回りは大きい。
【レベルアップ。Lv6からLv7になりました】
流れてくるコメントの向きが変わった。
『倒した』
『魔石捨てたの、これのためか』
『捨てたんじゃなくて育ててた』
『正解だったじゃん』
『なんで知ってんの』
同時接続数が跳ね上がった。
配信を入れ直したときは、1,600。
いまは、3,200。
倍だ。
「……朝の魔石の分は、回収しました」
『回収どころじゃねえ』
『家賃の心配して損した』
家賃の勘定では、まだ赤字なんだが。床に置いた15個の代わりに手に入った魔石は、まだこの1個だけだ。
残りの2つの部屋をのぞくと、オークはどちらも奥でうずくまったままだった。
「残りの2部屋は、夕方からの見込みです。いったん切って、ドローンの充電に入ります」
配信を切って、ドローンをまたモバイルバッテリーにつないだ。
壁際に腰を下ろしたとたん、体が重くなって、MPが残り少ないと分かった。喉を何度も殴らせた分だ。
目薬を出したところで、頭の中で声が鳴った。
【取得可能なスキルに、《並列思考》が加わりました】
「……天の声さん。《並列思考》、こっちから頼んだ覚えはないです」
返事はない。届けて終わりの、一方通行らしい。
名前からすると、いくつかのことを同時に考えるスキルだろうか。Lv7に上がったから来たのか、ほかに理由があるのかも分からない。
目薬をしまって、残りの部屋の様子を見に立つ。2つ目の部屋はまだ静かだ。
3つ目の部屋の入口に、4人のパーティがしゃがみ込み、そろって奥をのぞいていた。
オークの次は人間まで部屋をのぞくのか。
奥では、5個を食べたオークの背中が膨らみかけている。
「おい、でかいのが育ってるぞ。立ったら狩ろうぜ」




