第3話 のぞき込んだら、そこが立ち位置です
「なあ。オークが、つい目で追っちゃうものってある?」
第6層の通路の脇で、声には出さず、腕の画面に打ち込んだ。
さっきはオークの動きを予告で当てたのに、人形のスタントさんが間に合わずに負けた。配信はまだ切っていない。見ているのは3人だ。
今度聞きたいのは弱点じゃない。
[いい質問ですね! 結論から言うと、あります]
[目より低い所に浮いて止まる小さな物を、身をかがめてのぞき込み、見続けます]
[ゆっくり動かすと、のぞき込んだまま顔がついてきます。協会の資料にはありません]
読んだ瞬間に、絵が浮かんだ。
画面いっぱいに写る、緑の顔だ。
格上のモンスターが、自分からカメラ目線をくれる。サムネイルにすれば、一覧でいちばん先にクリックされる絵だ。5年、サムネイルを選んできた目が、そう言っている。
見上げると、頭の上で手のひらほどのドローンが小さな羽音を立てていた。
配信のドローンはふつう、配信者の斜め上を飛ぶ。オークの目より下まで降りてくるカメラは、俺が付き添ったどの現場にもなかった。
[次は、大振りの向きごとに、人形をどこへ置き直すかの手順をまとめましょうか?]
気づくと、「頼む」と打っていた。
さっき人形の置き場所を決めて外したのは、俺だ。
[お任せください! 向きごとにまとめました]
[・右から振り下ろしたら、人形を半歩右へ]
[・左から振り下ろしたら、人形を半歩左へ]
長い箇条書きが続いた。読み進めるうちに、指が止まる。
どの行も、振り下ろす向きを見てから人形を置き直す手順だった。見てから追いかけて、さっきは半歩間に合わなかった。
このとおりにやれば、さっきと同じ負け方をする。
「いや、いい。段取りはこっちで組む」
打ち込んでから、通路の床を見下ろした。
撮影の現場では床に小さなテープを貼って、演者の立ち位置の印にする。そこに立ってもらえば、演者はカメラの真ん中に収まり、照明もちょうどよく当たる。
演者が自分で印を探して歩くことはない。こちらが声をかけて、印まで連れていく。
印を貼らずに「いい感じの所に立ってください」と頼めば、たいてい撮り直しになった。
印にするのは、スタントさんが構えた拳のすぐ前の床だ。人形は先に構えさせておき、ドローンはその頭と同じ低さで飛ばす。
オークがドローンをのぞき込んだら、ドローンをゆっくり印のほうへ動かして、顔ごと印の上まで連れてくる。
そうすれば、オークは自分で歩いてきて、喉を拳の前に出してくれる。
指は1回動かすだけでいい。
来る所を当てにいくんじゃない。来てほしい所へ、連れてくる。
殴るのは右の拳の突き上げにする。スタントさんが一動作でできると確かめてあるのは、ゆうべゴブリンの顎を突き上げた、あの右の拳だけだ。
右腕はさっきの戦いで曲がり、手で伸ばしただけだ。
それでも右でいく。左の拳は一度も試していない。リハーサルしていない動きを本番でさせないのが、現場の決まりだ。
準備の間も配信は止めなかった。作戦を組むところを見せるのも、配信のうちだ。
ドローンを腰の高さまで下ろしては、また上げる。床の一点を靴先で叩いて、人形の拳との間を目で測る。現場でやっていた立ち位置の確認と、手つきは何も変わらない。
気づけば、いま配信を見ている人の数、同時接続数が30前後まで増えていた。さっき自分でSNSに上げた予告の切り抜きから、人が流れてきたらしい。
3人から10倍だ。辛口のコメントも10倍に増えた。
『切り抜きから来ました』
『スーツで潜ってるの草』
『なんでドローン下げてんの』
『カメラを餌にすんの?』
『いや逃げる準備だろ』
逃げるだけなら、ドローンを下げる意味がない。逃げ道なら、さっきの細い横道がある。
さっき負けたオーク戦を、作戦を変えてもう一度やる。この撮り直しの見どころは、答えを先に言えば消える。だから司会の話し方で、話をそらしておく。
画面の隅に、ドローンの電池の残りが15分と出ていた。
「お待たせしています。撮り直し、もうすぐ入ります。電池の都合で、一回勝負です」
『一回勝負て』
『負けフラグ』
フラグかどうかは、電池が切れる前に分かる。
予備の電池は買わずに、売店のケースの前を素通りした。あのときの自分を今だけ恨む。
羽根に硬い物が一度当たれば、小型のドローンはもう飛ばない。叩き落とされたら映像を送る機材がなくなって、配信はそこで切れる。
この1台に、配信と、俺の残りの金が乗っている。
スタントさんの操作は、部屋に入る直前まで切っておく。構えさせて待っているだけでも、MPは減っていくからだ。さっきの戦いで減った分も、まだ戻っていない。
◇
部屋の入口からのぞくと、奥の壁際でオークが1体だけ、こちらに背を向けて立っていた。
入口の脇の壁には白い擦り傷が残っている。さっき、スタントさんが叩きつけられた跡だ。
負けた跡なら、目印にちょうどいい。
入口で、スタントさんを動かし始めた。関節が小さく鳴る。
右腕だけ、半拍遅れてきしんだ。本番の前に聞きたい音じゃない。
擦り傷の前にスタントさんを立たせて、拳を上げて構えさせた。テープは貼れないから、拳のすぐ前の床を立ち位置の印にする。
「スタントさん、入ります。電池がもたないので、巻きで」
電池が切れる前に終わらせたい。急いで進める。
オークが部屋の奥で、ゆっくりこちらを振り向いた。
頭は俺の背よりまだ上にあり、腕は俺の胴より太い。
さっき負けた相手だ。気づくと、足が勝手に半歩後ろへ逃げようとしていた。
俺は左耳のイヤホンに指を当てて、ドローンのレンズに顔を向けた。
生放送の司会と同じだ。次に何が起きるかを、起きる前に言う。言った以上は当てるしかない。
「撮り直しです。新宿ダンジョン、第6層。お相手は、さっきと同じオークさんです」
『律儀か』
『リベンジきた』
相手も部屋もさっきと同じで、変えたのは作戦だけだ。
「失礼します。オークさん、これからこちらへ歩いて来られます」
重い足音がまっすぐ近づいてきて、スタントさんに腕の届く所でぴたりと止まった。
『ほんとに来た』
『そりゃ来るだろ』
そりゃ来る。さっきも、横道の入口まで追ってきた相手だ。
当たり前の所から言って、当てていく。司会の段取りは、そう組む。
「次、腕が上がります。頭の上まで」
オークの太い腕が天井へ向かって持ち上がった。
『当てた』
『また当てた』
『台本あんの?』
『オークに台本は無理だろ』
台本はない。
それでも、言ったことが言った順に起きていく。本番がいちばん気持ちいいのは、こういうときだ。
電池の残りがまた1分減った。
腕が落ちてくるまで、待っている暇はない。もう1つ当てれば、切り抜きの尺も埋まる。
ドローンが自動で追う機能は切ってある。腕の画面を指でなぞり、ドローンを動かしたままオークの顔の下へ滑り込ませた。
「次、のぞき込みます」
オークはのぞき込まなかった。
太い腕がスタントさんの頭を越えて、ドローンへ振り下ろされる。
とっさに指を滑らせ、ドローンを床すれすれまで下ろす。
オークの拳は、さっきまでドローンのいた空気を叩いた。
外した。生放送で、司会が。
オークは戻す腕で、今度は横に払ってきた。さっきスタントさんを壁まで飛ばしたのと同じ払い方だ。
ドローンをもう一段下ろす。羽根が床に擦れそうな機体のすぐ上を、緑の腕が抜けていった。
腕の起こした風だけで、配信の画面が大きく傾く。
触れてはいない。触れていたら、今ごろ配信の画面は真っ黒だ。
『のぞき込まないじゃん』
『予告外れてて草』
『あっぶな』
『落ちたら終わりじゃん』
『逃げろって』
電池の残りの表示が赤に変わった。
次にもう一度払われたら、そこで終わる。配信も、撮り直しも。
AIの答えには、浮いて止まる物と書いてあった。俺は急いで、ドローンを止めずに動かしたまま顔の下へ突っ込ませた。だから、のぞき込まずに払われた。
俺の背中のすぐ後ろに、細い横道の入口がある。
横道へ逃げ込めば、ドローンは落とされずに済む。その代わり、撮り直しをもう一度やる電池はない。
ドローンを床すれすれで止めた。
機体はオークの目の前で、浮いたまま動かない。
予告はもうしない。外した司会に言えることはない。
止めてから、いつのぞき込むのか。そもそも、のぞき込むのか。AIの答えのどこにも、それは書いていなかった。
オークは腕を宙に上げたまま止まっている。
その腕が下りてくれば、今度は床ごと叩かれる。
スタントさんを構えさせているだけで、MPは少しずつ減っていく。
『止まった?』
『なにしてんの』
『はよ逃げて』
『電池赤いぞ』
逃げない。
イヤホンに指を当てたまま、待つ。
オークは、床すれすれに浮く機体を見下ろした。
振り上げた腕はまだ下りてこない。
オークの大きな体が、ゆっくりと折れ曲がった。
床すれすれに浮く小さな物を、身をかがめてのぞき込む。
配信の画面いっぱいに、緑の顔が写った。
『顔でっか』
『カメラ目線いただきました』
『近い近い』
『オークの自撮り』
止めていた息がやっと出た。
ドローンをスタントさんの頭の高さまで浮かせて、ゆっくり引く。
顔がついてくる。
一歩。
また一歩。
「そのまま。……はい、そこが立ち位置です」
オークの喉が、右の拳の前に来た。
指を、1回だけ動かす。
スタントさんの右の拳が、喉に入った。
乾いた音がした。
スタントさんの右腕が、曲がっていた所から取れて床に転がる。
『腕』
『取れた!?』
浅い。
オークがむせて、身を折る。膝は折れない。
オークはもう、低くなった頭を起こしかけている。頭が上がりきれば、喉は拳の届かない所へ戻る。
MPはもう底をつきかけている。指を動かせるのは、あと一度きりだ。
スタントさんに残っているのは、左腕だけだった。
「スタントさん、左。リハなしで、本番です」
指を、もう一度だけ動かす。
左の拳が、喉に入った。
オークの膝が折れる。
巨体が床に着く前に、光の粒になってほどけた。
【レベルアップ。Lv4からLv5になりました】
レベルが上がっても、MPは少しも戻らない。
床には魔石が1つ転がっていた。
コメント欄の流れが一拍だけ止まる。
『は?』
『片腕で沈めた』
『カメラで釣って喉に二発』
『腕取れてから本番かよ』
『なんで知ってんの』
次の瞬間、同じ一言が画面を埋めた。
『なんで知ってんの』
『なんで知ってんの!?』
『のぞき込むとか聞いたことない』
『協会の資料にないだろそれ』
『なんで知ってんの』
画面の隅の、いま見ている人の数が、見たことのない動き方をしていた。
30。
400。
数字が跳ねる瞬間なら、5年で何度も見てきた。いつも制作の卓の後ろから、誰かの配信の数字として見ていた。
自分の画面でそれを見るのは、これが初めてだった。
『通知で飛んできた』
『予告全部当ててて怖い』
『いや一個外してたぞ』
『人形使いって弱いんじゃないの』
コメントの流れは、そのまま答え探しに変わった。
『下見してたんだろ』
『仕込みじゃね』
『実はオーク飼ってる』
『AIに聞いてるとか?』
『それより腕どうすんの』
AIに聞いているという説は、オークを飼っている説と同じ速さで画面の上へ流れていった。
俺はどの説にも答えなかった。当たっている1つを認める予定は、最初から組んでいない。
画面の隅の数字がまた変わる。
1,200。
まだ上がっている。配信を終えるなら、数字が上がっている今だ。
イヤホンに指を当てて、レンズに顔を向けた。
「本日は、撮り直しまでお付き合いいただき、ありがとうございま」
電池が、切れた。
羽音の止まったドローンが落ちてきて、俺は両手で受け止めた。
最後の挨拶は「す」の手前で途切れた。その先のコメントも、アーカイブには残らない。
◇
取れた右腕と、床の魔石を拾い上げる。魔石は、昼に売ったゴブリンの石よりひと回り重い。値段もたぶんひと回り上だ。
かがむだけで体がふらつく。MPはもうほとんど残っていない。
片腕のスタントさんと、電池の切れたドローンを抱えて、主要な通路の脇まで戻り、壁に背中を預けた。
腕の画面で、アーカイブに残った数字を開く。
同時接続数の最大、1,200。
登録者数、約2,000。
広告の収入を受け取るには、登録者の数と、動画が見られた時間の合計の両方が、決まった線を越えないといけない。登録者はもう越えた。足りないのは見られた時間で、最後の数分だけ跳ねた配信では、とても届かない。
収益化はまだ先だ。それでも、家賃の支払い日は待ってくれない。
腕の画面を閉じかけて、コメント欄に流れていった『AIに聞いてるとか?』を思い出した。
どのAIでも答えるなら、オークの癖なんて、とっくに協会の資料に載っている。
じゃあ、なんで俺のAIだけが答えるんだ。
画面にはいつもの吹き出しが出ている。
[お疲れさまでした! 次は、取れた右腕の直し方をまとめましょうか?]
その下で入力欄が空いている。
何でも答えるAIがいる。
昼に見たアセントの配信は、同時に見ている人が3万人だった。今日の最大の1,200人とは、桁が違う。
次の的は、あの3万だ。
なら、そこまで行くには、次は何を聞けばいい。
入力欄の前で、指が止まった。
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