第2話 予告は当たった。人形は間に合わなかった
600円。
昨夜、ゴブリン2匹に挟まれて、死にかけて拾った魔石2個の値段だ。
「すみません、確認ですが。2個で、600円ですか」
「はい。上層のゴブリンの魔石ですので」
「……承知しました」
口が勝手に返事をしていた。
窓口の職員さんは、顔色ひとつ変えずに小銭のトレーを差し出す。毎日何十回と口にしている数字なのだろう。
家賃は月8万円。この600円を百三十回もらって、やっと届く。
命を張った一晩の稼ぎが、500円玉1枚と100円玉1枚だった。時給に直すのはやめておく。最低賃金に負けるのが目に見えている。
昨夜はあのあとダンジョンを出て、中野の部屋でスーツのまま寝た。
起きたら昼だった。
無職になって最初の昼を、俺は新宿ダンジョンの入口を囲む協会の建物で、小銭を財布にしまって迎えている。
窓口の近くの休憩所は、椅子と自動販売機が並んでいるだけの一角だ。
座ったとたん、昨夜の打ち身が文句を言った。
ちょうどいい。昨夜、スマートフォンのAIがくれた答えの続きを聞いておきたい。
「なあ、人形を動かすスキルって、どうやったら早く上がる?」
[いい質問ですね! 一般的に、スキルは使い続けるほど上がると言われています]
[詳しくは協会の資料をご確認ください]
[次は、スキル上げのコツを一般論でまとめましょうか?]
「……昨日の夜と、ずいぶん言うことが違うな」
ネットのまとめに載っている一般論だ。
昨夜のこいつは、誰も知らない条件を3行で言い切った。同じアプリの、同じ声で。
ダンジョンの外では、こいつは普通のAIに戻る。
画面を閉じかけたところで、おすすめの通知が出た。
アセントの公式チャンネルが、新宿ダンジョンから生配信をしている。気づけば、指が開いていた。
画面の中で、アセントのパーティが上層の通路を進んでいく。カメラは前衛の斜め後ろの少し高い所にあって、剣を振るたびに、モンスターがこちらへ倒れ込んでくるように映る。
俺が組んだ型だ。
アセントの配信制作部で5年、俺はこの絵を作る仕事をしていた。
同時接続数は3万前後で揺れている。
『さすがアセント』
『カメラワーク神』
褒められているのは俺が決めた画角だが、俺の名前はどこにも出ない。
画面の下に、次の大きな企画の告知が流れる。新宿ダンジョン、第10層の中間ボス。
俺がいなくなっても、数字は1つも減っていない。
悔しい、と思った。気づいたのは、奥歯に力が入っていたからだ。
俺が今日から配信を始めたら、同時接続数は0から始まる。
0と、3万。
頭の中で並べてから、目薬を差した。しみた。
魔石の稼ぎでは家賃に届かない。貯金は2か月分で、今月から稼がないと3か月目に行き詰まる。
手元にあるのは、昨夜のAIの答えくらいだ。
誰も知らない答えは、見せなければ値段がつかない。
見せる方法なら知っている。5年、それで給料をもらっていた。
癖で、頭が勝手に逆算を始める。1本何時間で、同時接続数が何人なら、収益化の条件の登録者数と総再生時間に届くか。
条件は遠い。どう見積もっても、今月の家賃には間に合わない。それでも、始めなければ貯金が減っていくだけだ。
家賃は、配信で払う。
◇
中野の部屋へ中古のドローンを取りに帰り、夕方、協会の建物に戻った。売店のガラスケースに並ぶ予備の電池は、1個1万円前後。家賃の8分の1を電池1個に払う余裕はなく、ケースの前を離れた。
1回の充電で約2時間飛ぶのだから、2時間で撮り切る手順を組めばいい。
第6層まで歩く30分のあいだ、ドローンは手の中で眠らせておいた。
第6層の、主要な通路の脇。スキルの《収納》にしまっていた人形を出して足元に立たせ、手のひらのドローンを放す。
腕のスマートフォンで、ドローンが配信者を自動で追う設定を切り、手で操って胸の高さまで下げた。配信者の斜め上のいつもの位置では、腰ほどの人形が画面の下で切れる。
画角、よし。撮る側の手は、まだ覚えていた。
配信のタイトルには、慣例どおりダンジョンの名前を入れた。
AIとのやりとりは、腕の画面に打ち込むことにする。裏の打ち合わせの声を本番に乗せないのは、制作の現場の決まりだ。AIの声は、左耳のイヤホンにしか届かない。
電池の残りはまだ2時間近い。この中で、見どころを1つ撮り切る。
配信開始のボタンを押した。
「こんばんは。新宿ダンジョン、第6層からお送りします」
同時接続数、0。
知っている。最初はみんなそうだ。
「本日は、人形を使った戦い方をお見せする予定です。どうぞ、ゆっくりしていってください」
誰もいない客席に頭を下げる。
5分たって、1。10分たって、3。
『スーツで草』
『会社帰り?』
『人形使いかよ』
『外れ職じゃん』
「会社は、昨日辞めました。人形使いです。今日は、こちらの人形が働きます」
『画角だけはプロっぽい』
「ありがとうございます。画角だけは、プロでした」
3人しかいないのに、辛口の割合が高すぎる。客席の全員が審査員の番組だ。
褒め言葉にまで「だけ」が付いてくる。
3人を引き止める見どころが要る。
イヤホンに指を当てて、腕の画面に打ち込んだ。
「なあ、この層で、誰も知らないことってある?」
[承知しました。結論から言うと、この層の部屋にいるオークに、協会の資料にない動きの型があります]
オークは大人より大きい、緑の肌の人型だ。上層の深い所に出る、協会の資料にも載っている相手。
その資料にない型があるらしい。
[大振りのあと、一拍だけ、頭が人形の高さまで下がります]
大男が子どもに顔を寄せるみたいに、オークの頭が人形の前まで落ちてくるわけか。
[急所は喉です。こちらは協会の資料にもあります]
[次は、人形の置き場所をまとめましょうか?]
画面では、その下にオークの歩く速さから部屋の広さまで、長い箇条書きが続いていた。目は最初の行で止まり、残りは流して読んだ。
頭が下りれば、喉も下りてくる。そこなら人形の拳が届く。
「いや、いい。頭が下りる所に置くだけだろ。置き場所はこっちで決める」
そう打ち込んで、画面を閉じた。置き場所なら、5年決めてきた。昨日クビになったばかりだが。
流した目でも、最後の条件の行だけは拾っていた。頭を下げるこの動きは、腰ほどの高さの相手にしか出ない。
腰の高さで戦う者なんて人形使いくらいだから、オークのこの動きを誰も見たことがないわけだ。
配信の見せ場はこれにする。
通路に面した部屋をいくつかのぞいて、オークが1体だけいる部屋を選んだ。
オークの頭は大人の背よりまだ上にある。太い腕に、武器はない。あの腕を頭の上から振り下ろしてくるはずだ。
部屋の壁際に、細い横道が延びていた。大人がやっと通れる幅で、あの体なら入りにくい。
撮影の現場では入る前に逃げ道を決める。機材を抱えて走る道を、先に。
予告して、喉に一発入れる。予告から一発まで15秒あれば、切り抜きの冒頭が作れる。
「これから、こちらの部屋の方に一戦お願いします」
『オークはむりでしょ』
『人形ちっさ』
「小さいので、低い所で戦えます」
部屋に入ると、オークの首がこちらを向いた。
頭が下りてくるはずの所は、オークの足元の一歩手前だ。そこに人形を置く。俺の代わりに体を張るから、この人形をスタントさんと呼んでいる。
「スタントさん、ここでお願いします。構えて」
指を1回曲げると、関節の小さな機械音がして、人形が拳を上げた。
構えさせているだけで、MPがじわじわ減っていく。
ドローンを、人形とオークの頭が両方入る高さまで上げた。映像の真ん中に、拳を構えたスタントさん。
あの頭はこの真ん中へ下りてくる。
カメラに向かって言う。
「次、この方は腕を振り下ろします。そのあと1回だけ、深々とお辞儀をされます」
『は?』
『予告?』
オークが腕を頭の上まで振り上げた。
来る。
振り下ろす。
床が鳴った。
頭が、下りてくる。
『え』
『ほんとに下げた』
腕の流れた方へ、頭がついていく。
下りてきた。
人形の、半歩右に。
指を1回曲げる。
人形が右へ向き直る。拳はまだ出ていない。
もう1回曲げる。
その指が曲がり切るより先に、オークの頭が上がった。
床をたたいた腕が戻ってくる。
戻りがけに、横へ振られた。机の上の物を、手の甲で払い落とすみたいに。
人形が、飛んだ。
壁に当たって、床に落ちる。
右腕が、曲がっていた。
『予告当たってたのに』
『人形とんだ』
『え、終わり?』
『負けてて草』
オークの目が、壁際の人形から俺へ移った。
「撤収します」
スタントさんは、オークの脇の壁際に転がっている。
置いていけば、すぐ横道へ走れる。人形を置いて逃げる手は、昨日の夜、ゴブリンに挟まれたときにもう捨てた。
走り込んで、抱き上げる。オークの膝が目の前にあった。近すぎる。
ドローンを呼び戻して、横道へ走る。
肩から体をねじ込む。背中のすぐ後ろで、オークの体が横道の入口につかえた。
入ってこられない。
太い指が奥へ伸びて、スーツの裾の先で壁を引っかいた。
届かない。
しばらく荒い息が続いて、重い足音が部屋へ戻っていった。
作戦どおりにいったのは、逃げ道だけだった。
主要な通路の脇まで戻って、壁に背中を預ける。
息が整うまで、思ったより長くかかった。27歳の膝は正直だ。
「すみません、少々お待ちください。機材の調整をします」
『逃げた』
『予告はまぐれ?』
返す言葉を打ちかけて、やめた。負けた側が何を言っても、言い訳にしか見えない。
人形の右腕を両手でつかんで、ゆっくり伸ばす。関節が嫌な音を立てて、まっすぐに近い所まで戻った。見た目だけは、元どおりだ。
床に立たせて、指を1回だけ動かしてみる。構えの一動作で、左腕が上がる。右腕は左より遅れて、きしみながらついてきた。
昨日の夜、初めて自分で動いた腕だ。
5年抱えて運んで、やっと動いた腕を、一日で曲げた。
俺が決めた置き場所で。
オークの頭は、振り下ろした腕が流れた向きへずれて下りる。さっき人形の半歩右に落ちたのは、そのせいだ。
箇条書きを開き直すと、その1行は条件のすぐ上に並んでいた。流して読んだ所だ。
あの腕が戻りがけに目の前の物を横に払うことも、同じ箇条書きにあった。
ずれを追おうにも、人形は指を1回曲げるごとに一つしか動かない。向き直るのに1回、拳を出すのにもう1回。答えを知っていても、指が追いつかない。
アセントの前衛なら、半歩は剣先で埋まる。俺には、指1本しかない。
腕の画面で、ドローンの録画を巻き戻した。
予告の一言から、オークの頭が人形の高さまで下りるところまで。15秒で切る。
人形が飛ぶところは入れない。本当は、喉に入る一発で終わるはずの15秒だった。
SNSに上げて、今の配信へのリンクを添えた。
今この配信を見ているのは3人だ。足りない客は、切り抜きでSNSから呼び込む。
締め切りより先に片付けるのは、5年の現場で染みついた癖だ。
ドローンの電池の残りを確かめる。40分。
勝てる作戦はまだない。
それでも、3人に見せた最後の映像が、壁に当たるスタントさんのままでは終われない。
ドローンを、自分の顔の高さまで戻した。
「すみません、さっきのはNGです。このまま、撮り直します」
『え、撮り直すの?』




