第1話 クビの夜、スマホのAIがダンジョンの答えを話しはじめた
「結論から。謝罪文は明日の朝9時に差し替え、切り抜きの削除依頼は今夜中に法務へ。スポンサーへの説明には俺が行く」
入社からちょうど5年の夜、堂島部長はスマートウォッチの数字を見たまま、指示を箇条書きのように並べた。
「最後。柏木、お前には今日付けで辞めてもらう」
「承知しました」
5年でいちばん言い慣れた言葉は、自分のクビにもそのまま使えた。
アセントの配信制作部には炎上の後始末で夜になっても人が残っているが、誰もこっちを見ない。
「話が早くて助かる。理由は一応言っておく」
部長は腕まくりのワイシャツのまま、顔を上げずに続けた。
「企画書にお前の名前がある。現場の詰めが甘かった。それだけだ」
「すみません、確認ですが。あの企画は、私が最初の会議で」
「で、数字は?」
部長は腕の数字から一度も目を上げない。そこに出ているのは炎上の数字で、俺の顔はそれより見る値打ちがないらしい。
最初の会議で危ないと反対したのは、俺のほうだ。言われたとおりにやれと返されて、言われたとおりにやった。
俺はその続きを言わずに口を閉じた。
机の上を紙が1枚滑ってくる。退職届で、理由の欄には一身上の都合と印字してある。
空いているのは名前の欄だけだ。
寝不足の目が乾いて、印字がにじむ。目薬に手が伸びかけてやめたのは、今差したら泣いているように見えるからだ。
「形の上は、自分で辞めたことにしておく。次を探すなら、そのほうが通りがいい」
親切に聞こえるし、実際に筋は通っている。部長の指示はいつも、筋だけは通っている。
俺はペンを取って名前を書いた。
いつもの書類と同じ、丁寧な字になった。
「引き継ぎは、どうしましょうか」
「要らない。お前の案件は、夕方のうちに全部振り直した」
俺の席は俺より先に空いていたらしい。
◇
社員証を返すと、首には中身のないネックストラップだけが残った。外すタイミングを逃したまま、新宿の夜道に出る。
腕のスマートフォンに口を寄せた。
「なあ。月末の家賃、どうにかする方法まとめて」
左耳のイヤホンから、明るい声が返ってくる。
[承知しました! 月末までに家賃を用意する方法をまとめます]
[・日払いのアルバイトに応募する]
[・冒険者証があれば、上層で魔石を拾って売る]
このあとに長い箇条書きが続いて、最後にいつもの一言が来た。
[次は、今夜から応募できる求人をまとめましょうか?]
クビの夜でも、こいつは朝の情報番組みたいに明るい。
家賃は管理費込みで月8万円で、貯金は2か月分ほどしかない。求人に応募しても面接は来週になるから、今夜から動けるのは、魔石を拾って売る案だけだった。
冒険者証なら、入社の研修で取ったものが財布に入っている。
駅とは逆の、新宿ダンジョンのほうへ歩いた。
◇
冒険者協会のゲートは夜も開いていて、人はまばらだった。スーツのまま冒険者証を通すのは、たぶん俺くらいだ。
中に入ると、《収納》から人形を出した。
腰ほどの高さの、機械の人形だ。アセントで捨てられた撮影機材の部品を休みの日に俺が組んだもので、部品ごとに色が違うから、我ながら見た目はひどい。
初めてダンジョンに入った日にもらった《収納》は、こいつ1体でほぼいっぱいになる。
自分では歩かないので、両腕で抱える。重心を腰に乗せる持ち方は、照明の機材を運ぶときと同じだ。撮影の付き添いで潜るとき、俺の役目はいつも機材の運び役だった。
スーツで人形を抱えた男は、ダンジョンのどの物より変な物に見える。
稼ぎを焦って足を速めるうちに、いつもの付き添いの道を越えて第3層まで来ていた。付き添いのときは撮影班の冒険者の後ろを歩けばよかったが、今夜は前にも後ろにも誰もいない。
石の洞窟の通路が、明かりもないのに薄明るく続いている。
その前と後ろで、同時に足音がした。
嫌な揃い方だった。
ゴブリンだ。子どもほどの背丈で、手に棍棒を握っている。前に1匹、後ろに1匹。
一本道の真ん中で挟まれて、逃げ道はない。
「すみません。通していただけますか」
ゴブリンにも敬語が出た。返事の代わりに、棍棒が振り上がる。
「失礼しました。じゃあ、戻ります。戻りますから」
言ってから、後ろにも1匹いるのを思い出す。
人形を前に突き出して盾にする。棍棒が人形の頭を叩き、腕までしびれが来た。
前の1匹は小さいくせに、大人と変わらない力で人形ごと俺を押してくる。
革靴の底が石の上を滑った。スーツで来る所じゃなかったが、今さらだ。
人形は、動かない。
職業は人形使いなのに、人形を動かすスキルは5年練習しても取れるようにならなかった。だからこいつはただの重い盾だ。
後ろの1匹が俺の肩を殴った。スーツの肩が裂けて、鈍い痛みが骨に残る。
俺があと何分もつかは、すぐに見積もれた。前を押し返しているあいだに後ろが俺の頭を割るから、数分だ。
棍棒がまた人形の頭に落ちて、組むときに何度も締め直したネジが1本飛んでいく。
「なあ、これ動かす方法ないのかよ」
人形を突き出したまま、腕の画面に叫んだ。
AIが答えるより先に、頭の中で声がした。
【承知しました、の次は、教えてください、か】
【答えは貸してやる。決めるのは誰だ】
レベルアップを告げる天の声と、同じ響きだ。
ただ、いつもの事務的なお知らせと違って、俺に向かって話している。さっき部長に返した言葉まで知っている。
決めるのは。
口を開いたのに、何も出てこない。承知しました、すら出なかった。
声はそれきり消えた。
左耳のイヤホンに指が行くのは、考えるときの癖だ。聞き慣れた明るい声が、そこから戻ってくる。
[いい質問ですね! 結論から言うと、《人形操作》を取得すれば動かせます。必要なスキルptは5です]
[取得可能になる条件は、戦闘人形を自分の手で動かして戦い続けることです]
[次は、ゴブリンの弱点をまとめましょうか?]
「……手で?」
答えたのはいつものAIで、中身はダンジョンの仕組みそのものだった。
誰も知らない答えだった。
世間では、《人形操作》は人形にMPを込める練習を続ければ取れると言われている。俺もそう聞いて、休みのたびに込めてきた。
でも運び役の俺は、「戦え」と言われたことがない。人形を手で振って戦ったことも、一度もなかった。
休みを返せと言いたいが、言う相手もいない。
スキルptは今4ある。レベルが1つ上がれば2増えて、足りる。
答えのどこにも、肝心の「いつ」がない。
あと何匹倒せばレベルが上がるのか。どれだけ戦えば一覧に出るのか。
前の1匹がまた棍棒を振りかぶった。
盾のままなら、どのみち潰れる。
「……次、入ります」
盾にしていた人形の胴を抱え直し、こっちから前のゴブリンへ振る。
振り抜いた人形の頭が、前のゴブリンのこめかみに入った。
重い機材の扱い方は、頭より腕のほうが覚えていた。
ゴブリンは壁まで飛んで、起き上がらないまま光の粒になって消える。
【レベルアップ。Lv3からLv4になりました】
上がった。息を詰めて次の声を待つが、何も鳴らない。
一振りで倒しただけでは、戦い続けたうちに入らない。
前が、空いた。
走れば抜けられる。ただ、人形を抱えたままでは追いつかれるから、走るならこいつを置いていくしかない。
腕の中の人形を見た。頭がへこんで、ネジが1本足りない。
どの現場でも、運んだ機材を置いて帰ったことは一度もない。
振り向いた。
残りは1匹で、あとどれだけやれば出るのかは誰も教えてくれない。
そいつは人形が届く距離の、一歩外に立っていた。
仲間が飛ばされるのを見ていたらしい。
踏み込んで振ると、ゴブリンが一歩下がって、人形は空を切った。
重さに体を持っていかれたところへ、棍棒がすねに入る。声が出て、膝が折れかけた。
振り直しても、また下がられる。人形を抱えた手の甲を叩かれて、指が開きかけた。
落としたら、そこで終わりだ。
ゴブリンは俺が振り終わるのを待っていて、振れば振るほど削られるのは俺のほうだ。
息が上がって、人形の重さに腕が負けはじめた。あと何回振れるか、数えたくもない。
ずり落ちかけた人形の重さが、腰に乗った。
階段で照明のスタンドを上げるときと、同じ乗り方だった。
振りかぶるから、下がる間を読まれる。
振らずに、機材みたいに抱えて運べばいい。
腰を落とし、人形を胸の前に抱えたまま、短い歩幅で前へ出た。
ゴブリンが下がれば、下がった分だけ詰める。振りかぶらないから、向こうには待つ隙がない。
人形の胸が、棍棒を上げかけた腕ごとゴブリンを押した。懐に入られたゴブリンは、もう棍棒を振れない。
一歩、もう一歩。ゴブリンの背中が通路の壁へ寄っていく。
振るより運ぶほうが、俺の腕には合っていた。
【取得可能なスキルに、《人形操作》が加わりました】
出た。
腰をもう一段落とし、人形の肩でゴブリンを壁へ叩きつけた。ゴブリンが壁で跳ねて床に転がる。起き上がるまで、数秒しかない。
頭の中でステータスを呼び出し、取得できるスキルの一覧から名前を選んだ。
人形操作を取得:スキルpt 5(はい/いいえ)
戦闘人形を、指の動きと念じることで動かす。
さっきのレベルアップで、スキルptは6になっている。
はい。
【《人形操作》を取得しました】
ゴブリンが起き上がり、棍棒を振りかぶって低く身を沈めた。飛びかかってくる。
俺は人形を床に下ろした。ゴブリンと俺の、ちょうど間に。
左手の指は癖でイヤホンに当て、右手の人差し指を人形の背中へ1本だけ立てる。
「――本番、お願いします」
声をかけた相手は人形のほうだ。
指を、1回だけ曲げる。
カチ、と関節が鳴る。
飛びかかりかけたゴブリンが、急に動いた人形にのけぞり、一歩、後ずさった。
上がった顎の下へ、人形の右の拳が突き上がった。
ゴブリンは仰向けに倒れ、光の粒になって消える。
床には、小さな魔石が1つ残っている。
通路が静かになった。
動いた。5年抱えて歩いて、一度も動かなかったこいつが。
人形は拳を突き上げた格好のまま止まっている。頭は棍棒の跡でへこんで、それでも立っていた。
「……いい動きでした。初日でこれなら、上出来です」
「あなたの名前は、スタントさんにします。俺の代わりに体を張ってくれたので」
スタントさんは当然、何も言わない。口答えをしないのは、新人としては満点だ。
魔石を2つ拾って、スーツのポケットに入れた。スタントさんを戻すと、《収納》にはほかの物が入らない。
殴られた肩とすねがずきずきするうえに、人形を動かした分のMPも減っている。
指1本で1回動かしただけで、これだ。安くはないが、払える値段だった。
ステータスを開いた。
名前:柏木拓海
Lv:4
職業:人形使い
スキル:《収納》 Lv1/《人形操作》 Lv1/《エージェント》 Lv1
スキルpt:1
知らない行が1つ増えている。
《エージェント》だ。取得を知らせる天の声は、鳴らなかった。
AIの様子が変わったのは、この1行のせいだ。
頭の中で名前を選んで説明を開こうとしたところで、イヤホンが先に鳴った。
[お疲れさまでした、柏木さん! 次は、この層で効率よく魔石を稼げる場所をまとめましょうか?]
聞きたいのは稼ぎ場じゃない。
「なあ。さっきの声、何。なんで急にダンジョンのことが分かるんだよ」
[その質問にはお答えできません]
いちばん聞きたいことにだけ、急に口が堅い。




