第27話 元上司の引き抜きを、休憩所の自動販売機の前で断った
承知しました、とは打たなかった。
ゆうべ、日付をまたいだころの、元上司の堂島さんへの返事だ。
組み上げたばかりの3体目の人形、エキストラさんの横で、デマがばれたあの人からメッセージが届いていた。
会って話がしたい、と、日時は? の2通だ。
打ったのは日時と場所だけだ。
本日10時に、新宿の協会の休憩所でお願いします、と送った。
あそこなら1円もかからない。ゲートの手前だから、冒険者でない堂島さんも入れる。
毎日座っている椅子だ。どこに何があるかは目をつぶっても分かる。
日時は? と聞かれたら、こちらの空いている枠を全部並べて、上に選んでもらう。会社にいた5年、俺はずっとそう返してきた。
ゆうべは1つしか並べなかった。
会う場所を選んで下見する段取りは、今回はこっちが組む。
返事はすぐに来た。
分かった、のひと言だけだった。
結論から、も、箇条書きもない。あの人の文で、こんなに短いのは初めて見た。
送ってから、エキストラさんの膝のねじをもう一度だけ締め直して寝た。
◇
買い取り窓口の脇の休憩所は、朝は潜る前の冒険者で埋まる。椅子と自動販売機の前で、防具の肩がぶつかり合う所だ。
俺は15分前に着いて、いつもの椅子に座った。出口が見える向きに、椅子を少しだけずらす。
段取りを組む側は先に現場に入って、逃げ道を決めておくものだ。
10時ちょうどに、堂島さんが入ってきた。
腕まくりのワイシャツに、上着なし。入口で一度だけ足を止めて、出口の位置と人の数を目で拾った。
剣も盾も持たない人が、防具の間を縫って歩いてくる。
会議室ではどこに立っても真ん中にいた人が、ここではいちばん浮いている。
盾を背負った隣のパーティが、缶を持ったまま堂島さんを見た。
200万回も再生された切り抜きの顔だ。見覚えがあって当然だろう。
俺は立って、自動販売機に硬貨を入れた。
缶コーヒーを1本、自分の分だけ買う。
130円で、残高は2,000円を切った。
元上司の前で張れる見栄は、缶1本分までらしい。
「払う。そのくらい」
堂島さんは財布のほうへ手を伸ばしかけた。
「自分の分は、自分で払いますので」
柏木、と言いかけて、あの人は柏木さん、と言い直した。
「座りましょうか。時間は取らせません」
5年、呼び捨てでしか呼ばれたことがない。スポンサーの前でしか聞いたことのない丁寧語が、元部下に向いている。
体面なら、ここへ来る前にもう飲み込んできた、という顔だ。
向かいに座っても、堂島さんは俺の顔を見ない。見ているのは、俺の左手首の数字だ。
そこだけは変わっていない。
「ここは、よく使うんですか」
「毎日です。座るのに、お金がかからないので」
「……なるほど」
前なら、ここで「で、数字は?」が来た。
今日の堂島さんはそれを言わずに飲み込んだ。
「結論から。うちに所属してください」
前置きはなかった。
あの人の話はいつも結論が先で、理由はあとから箇条書きで付いてくる。
「所属の契約を結びます。固定の給料に、討伐と配信の歩合を付けます」
「人形の部品と、機材の代金は、会社で持ちます。人形が壊れるたびに配信が止まるのは、数字の損ですから」
部品代の行だけが妙に具体的だ。
俺が夜中に手で部品を叩いている話まで、どこかで拾ってから来たのだろう。数字の出る所なら全部調べてくる人だ。
エキストラさんの膝の関節は、1つで2万1千円だった。あの行ひとつで、この1か月の夜の半分が要らなくなる。
「看板の枠、会社がいちばん前に出す席を空けます。告知は公式のアカウントから出す。公式チャンネルが、後ろに付く」
アセントの公式チャンネルは、登録者120万。
俺のチャンネルは46万だ。
前は、公式に並べるサムネイルを俺が決めていた。今度は俺が並べられる側になる。
「企画は、こちらで組みます」
「すみません、確認ですが。企画、というのは」
「どこへ潜って、何を撮るか。制作で決めて、当日の朝に渡します。柏木さんは、現場に専念してもらえばいい」
現場に専念。部署の中で、褒め言葉の顔をして配られていた言い方だ。
手首が短く震えた。
堂島さんはそこへ目を落として、また上げる。話は止まらない。
会社で配信の制作をしていた頃、この震え方は上からの催促だった。
「それと。朝比奈さんにも、一緒に来ていただきたい。お一人ずつより、二人でなら、数字になります」
「契約の書面は、今日のうちに送れます。返事は、今週中にください」
流出した投稿の話は最後まで出なかった。謝る、という行も、この話のどこにもない。
話の間に、手首はあと2回震えた。2回とも、あの人は目を落とした。
残高は2,000円もない。
家賃は8万円で、払う日まで10日もない。
聞いた話を、頭の中で1枚の表に並べ直した。撮影の前に、毎回やっていた癖だ。
上から、契約、給料、部品代、看板。
表で事故が起きるのは、たいてい、いちばん下の誰も読まない行だ。
その行で目が止まる。企画の欄だ。
危ないと言った企画を、言われたとおりに進めた日も、表はこの組み方だった。企画の欄は上が埋めて、俺の欄には名前だけが入っていた。
この表のとおりにやれば、また同じ所で止まる。
向かいで、堂島さんがまた手首に目を落としている。
俺も腕の画面に目を落とした。AIに打ち込むときと同じ指で、自分の登録者数を出す。
46万。
机をはさんで、男が2人、自分の手首を見下ろしている。
この腕のAIの答えで配信を組み、登録者を0から46万まで増やした。会社の席がなくても、まだ伸ばせる。
堂島さんが、俺の手首の数字を見た。
「その46万は、誰が段取りを組んで取った数字ですか」
「私のです」
缶コーヒーを机に置いた。
プルタブはまだ起こしていない。
「お断りします」
缶を置いたときと、同じ声が出た。
堂島さんが、初めて手首から目を上げかけた。
「登録者数で、アセントさんを超えるつもりなので」
「所属したら、私のチャンネルの登録者も、そちらの数に入ります。超えたかどうか、数えられません」
堂島さんは何も言わなかった。
一拍。
上げかけた目を、堂島さんは手首の数字へ戻した。
盾を背負った隣のパーティが、缶を持ち上げたまま止まっている。さっきまで堂島さんを見ていた連中が、今は俺を見ている。
窓口へ向かいかけた若い冒険者が、足をゆるめて、こっちを振り返った。
休憩所のこっちの隅だけ、音が少し減った。
「……朝比奈さんは」
「朝比奈さんのことは、朝比奈さんが決めることなので」
手首がまた震えた。
堂島さんは今度は目を落とさなかった。
「競争の日の、あの回し方は――」
そこで、止まった。
第10層の甲虫を、俺が先に倒した日のことだ。
数字の付かない言葉があの人の口から出かけたのを、俺は5年で初めて聞いた。
続きは出てこない。
「……数字の見方が違う。46万で、120万をどう超える」
一瞬だけ、丁寧語が剥がれていた。
部下の報告を遮るときの、あの声だ。机の向こうにいたら、俺は今ごろ、出し直しの資料を作りに席へ戻っている。
俺が答えるより先に、堂島さんは立ち上がっていた。答えを待つ人ではないし、引き止める人でもない。
「時間を取らせました」
座っていた椅子を、来たときの位置へきっちり戻す。
断られた日でも、段取りだけは崩さない人だ。
俺は反射で頭を下げていた。
「お疲れさまです」
断った側のほうが頭を下げている。勝っても負けても、頭の下がり方は会社にいた頃と同じらしい。
顔を上げると、隣の机にいた盾の男と目が合った。男は缶をこっちへ少しだけ持ち上げてみせて、仲間のほうへ向き直った。
机の上で、俺の缶コーヒーが手つかずのまま汗をかいている。
堂島さんは出口へ歩きながら、また手首に目を落とした。
俺のほうはもう見ていない。
ワイシャツの背中が、自動ドアの前で止まった。
右手の指が、左手首の画面の上を何度か叩く。何を打ち込んだのかは、ここからは見えない。
自動ドアが開く。振り返らないまま、あの人が言った。
「朝比奈の数字は、伸びているな」




