第25話 元上司の声は、切られないまま配信に乗った
腕の画面に並んだ3つの配信のうち、アセントのコメント欄だけが、さっきと違う速さで流れていた。
流れているのは金色の甲虫の話でも、雷堂さんの話でもない。
甲虫を倒したばかりの回廊の壁際で、俺はMPをほとんど使い切って、まだ膝をついたままだ。
俺の袖をつかんだまま、朝比奈さんが横から画面をのぞき込んでくる。
『今の声だれ』
『部長?』
『なんか音入ってる』
『スタッフの声?』
アセントで部長と呼ばれるのは、俺の元上司の堂島さんだ。
アセントとの競争に決着がついて、5万まで落ちていたアセントの同時接続数が、また上がりはじめていた。
この流れ方には覚えがある。
本番で拾ってはいけない音をマイクが拾ったとき、制作の卓の画面はいつもこの速さで埋まった。出ている人間より先に、見ている人のほうが気づくからだ。
「柏木さん、これ、何ですか」
「少し、待ってください」
何が起きたかは流れる速さで半分分かるが、誰が何を言ったかは聞かないと分からない。
俺はアセントの配信を少しだけ巻き戻した。
音は左耳のイヤホンだけで聞く。スピーカーで鳴らせば、俺の配信のマイクも、隣にいる朝比奈さんのマイクも拾ってしまう。
よその事故をこっちの配信で流し直す筋合いはない。
イヤホンの中に、ドローンの羽音と片づけの足音が戻ってきた。
その中から若い声が1つ浮き上がる。
「部長、今日の競争の扱いですけど……雷堂さんが負けた所、どうしましょう」
答えは間を置かずに来た。
「結論から。決着の場面は使わない。雷堂が飛び込んだ所を頭にして、今夜のうちに切り直せ」
5年、毎朝聞いた声だ。
会議室の朝と、話の組み立てまで同じだった。結論から入って、相手の顔を見ないまま仕事を割り振っていく。企画が炎上した夜も、あの人は数分で後始末を配り終えていた。
「公式から、切り抜きより先に出す。題に、負けたとは入れるな。挑んだ、で通せ」
「は、はい。雷堂さんの配信のほうは」
「本人には何も出させるな。公式に寄せろ」
スタッフの返事を待たずに、声は次の項目へ移る。
「看板の盾役は、打ち身なら来週の配信に出せ。けがを押して出た、で1本作れる」
負けた日の後始末が、話しているうちに半分済んでいく。
悔しいが、俺が卓にいたとしても、最初の2つは同じ指示を出す。
「柏木さん、顔」
「……顔が、何ですか」
「こわいです」
返事をする前に、イヤホンの声が次へ進む。
「上への説明は、俺が行く。今日の数字は、告知からの合計で出す」
上の役員に頭を下げに行く役だけは、人に回さない。そこも昔のままだ。
早口は同じ速さのまま、次の項目へ移った。
「流出の件で取れた数字の分は、予定どおりだ」
流出の件は、下見の情報が漏れたとアセントの公式が投稿し、漏らしたのは俺だと読まれた騒ぎだ。あれでアセントの配信は数字を伸ばした。
一拍だけ、羽音しか聞こえなくなった。
「で、数字は?」
巻き戻して聞いていた音が、今の配信に追いついた。
目の前で、アセントの配信のコメントが欄を埋めていく。
『予定どおりって何が』
『流出の件って、あの投稿?』
『流出ってデマだったの』
『告知の企画責任者、堂島って人だろ』
『じゃあスーツの人、ハメられた?』
1件を読み終える前に、次の書き込みが押し流していく。
『録画してる』
『今のとこ切り抜いて』
『カメラ止めないの?』
『部長まだ数字見てる』
予定どおり、は制作の卓で使う言葉だ。あの騒ぎの数字は、初めから堂島さんの計画に入っていた。
2体の戦闘人形は止めてあるので、自分の配信のコメントにも目を通す余裕がある。
『スーツの人の元上司じゃね』
『あの部長が流出の投稿を?』
『アセントの配信見てこい』
『声入ってるぞ』
アセントで起きた事故の話が、もう俺のコメント欄まで回ってきている。視聴者が3つの配信を行き来しているらしい。
袖をつかむ朝比奈さんの手に力が入った。
「……予定どおりって、何ですか」
朝比奈さんの声が低い。いつもの実況の声とは別の人みたいだ。
「柏木さん、あの投稿からずっと泥棒って書かれてたんですよ。わたしまでグルって書かれて、登録者減って。それが、予定どおり?」
朝比奈さんは画面から俺の顔へ目を移した。
「柏木さんは、怒らないんですか」
「……配信中なので」
朝比奈さんが先に怒ってくれたので、俺は怒りそびれた。
つかまれた袖の下で、腕が少し痛い。
部屋の入口へ目をやる。
堂島さんはまだスマートウォッチに目を落としていた。その横では、俺と同じ年にアセントに入った同期が飛ばすドローンが、レンズを堂島さんへ向けたまま浮いている。
決着のあとに現場の音を切るのは、ドローンを操作する人間の仕事だ。それなのに同期の親指は端末の上で止まったままだ。
画面の隅で、同時接続数がまた動いた。
アセントの競争の配信、6万8千。
昼につけた最大の7万1千まで、あと少しだ。
決着のあとでいちばん落ちていた数字が、事故の分だけ戻っている。
堂島さんのスマートウォッチには、部の配信の数字が出ている。落ちていく数字なら黙って見ている人だが、跳ねた数字は理由を確かめずにはいられない人だ。
あの手首の上でも、同じ数字が跳ねたはずだ。
堂島さんが初めて数字から顔を上げた。
見たのは、レンズだった。
相手の顔を見ない人が、ドローンの小さなレンズ1つをまっすぐ見ている。
5年同じ部屋にいて、あの人の顔があんなふうに一点へ向くのを見たのは初めてだ。
入口で、あの人の唇が短く動いて閉じた。
少し遅れて、配信に乗った同じ声が左耳のイヤホンに届く。
「切れ」
会議室で資料の差し替えを言うときと、同じ大きさの声だった。
同期の親指が端末の上で下りた。
アセントのコメント欄に、最後の1件が流れる。
『今、こっち見た』
アセントの配信の画面は、『このライブ配信は終了しました』の一行だけになった。
「……消えた」
朝比奈さんが、俺の腕の画面をのぞいたままつぶやいた。
あの人に事故を知らせたのは、結局、数字だった。
俺の配信のコメント欄では、視聴者が俺を呼んでいる。
『何か言って』
『言い返せ』
『今なら言える』
『スーツの人、一言だけ』
俺のドローンのレンズは目の前にある。
言わずにおいた言い返しなら、頭の中に何十本も溜まっている。指示どおりにやって、責任だけ取らされて、で始まる文だ。そのうちの1本をこのレンズに向けて言えば、5年分の借りを返せる。
俺は口を開きかけた。
朝比奈さんも、袖をつかんだまま指を止めた。
事故の映像で取れる数字は、撮った人間のものだ。
あの映像を撮ったのは同期で、俺じゃない。人が撮った事故に触れて数字をもらうことを、卓では横取りと呼んでいた。
開きかけた口で、いつもの終わりの挨拶だけを言う。
「本日は、ここまでにします。ご覧いただき、ありがとうございました」
『え、締めるの』
『それだけ?』
『触れないのかよ』
『倍返し待ってたのに』
『スーツの人らしいわ』
挨拶のあとで、俺の配信の同時接続数が目に見えて減っていく。
卓にいた頃の俺なら、止めさせていた終わり方だ。
隣で、朝比奈さんが自分のドローンへ向き直った。
「わたしも、ここまでです! 盾は2個目へこみました。しじみさん、夜勤明けさん、見ててくれてありがとう!」
2人ぶんの配信が終わる。
アセントの人たちが引き上げはじめた。堂島さんはスマートウォッチに目を落としたまま、誰の顔も見ずに、真っ先に部屋を出ていく。雷堂さんと看板パーティの背中が、少し遅れてそのあとに続いた。
雷堂さんはどのレンズにも顔を向けず、盾役さんは誰の肩も借りずに歩いている。
ドローンのケースを提げた同期が、回廊の端を通りかかる。入社の研修で、同じ日に冒険者証を取った人だ。
「お疲れさまです」
反射で頭を下げていた。
同期は短くうなずいただけで、何も言わずに通り過ぎていく。
反射だった、ということにしておく。
朝比奈さんが俺の袖を放した。
膝の脇に置いておいた金色の魔石を、じっと見下ろしている。
「……これ、いくらになるんですかね」
「窓口で見てもらわないと、分かりません。前に狩った角鹿の魔石よりは、ずっと上のはずですけど」
「じゃあ、明日、窓口で売りましょう。分け方は、わたしが決めます」
報告と連絡だけで、相談がなかった。




