第24話 両手で直しながら、考えで追い続ける
《収納》から出した替えの骨組みを、壁際に倒れたスタントさんの膝に当てた。
潰れた古い骨組みの上から、左手で押さえつける。
金色の甲虫は回廊をぐるりと回っている。次の周で通るのは、腕を痛めたアセントの盾役さんが倒れている、この回廊の先だ。
指は下ろしたままだ。今の俺なら、考えるだけで人形を動かせる。
AIが出した計画の、最後の一行が消えない。
想定と違う動きが出たら、一度退いて立て直す。
計画どおりに退けば、盾役さんに何かあっても、決めたのは計画で、俺じゃないことになる。
膝を押さえる左手を、一瞬ゆるめてしまった。
撮影の段取りを組む側の目で、その一行を考え直す。退けば甲虫はまた速くなり、盾役さんは次の周も通り道に倒れたままになる。
この一行は、本番では通らない。
段取りが変わったら、共演者には先に言う。現場の癖で、声が出た。
「朝比奈さん、退きません」
「え、全部その画面のとおりにやるんじゃなかったんですか? ……画面の言うこと、聞かないんですか?」
「退くと、追うのが切れます」
人形が追い続ければ甲虫は休めずに遅くなり、途切れれば休んでまた速くなる。返したのはその理由だけだ。
作戦を組み直す。直すあいだ、両手は膝でふさがる。甲虫を追う人形は頭で動かす。
右手で鞄からレンチを抜き、継ぎ目に当てて《鍛冶》を念じた。替えの骨組みを、膝の継ぎ目に付けていく。
光りはしない。付ける工具の音が、早回しで膝の中に続きはじめる。
この音が止むまで、両手はここから動かせない。急げば急ぐほどMPを食うのは知っているが、それでも急ぐ。
顔を上げる。
回廊は、柱の並ぶ部屋をぐるりと一周している。回廊に膝をついたここから見えるのは、手前と奥の曲がり角に挟まれたまっすぐな一辺だけだ。固定カメラ1台ぶんの画角しかない。
手前の曲がり角のそばに俺がいて、奥の曲がり角のそばに盾役さんが倒れている。
その奥の曲がり角のすぐ手前に、白い外板が立っていた。ADさんだ。部屋の真ん中からは壁の陰になっていた所が、ここからなら見える。
考えだけでADさんを走らせる。指を曲げる手間がないぶん、出だしが早い。
ちょうど金色の背中が、奥の曲がり角を越えていくところだった。ADさんがそれを追う。
曲がり角まで行き着いたところで、ADさんは止まった。
見えない所の人形は動かせない。
追いかけるのが途切れかける。
「白い子、止まっちゃった! ……あれ、足音、軽くなってません?」
石柱の陰から、朝比奈さんの実況が届く。
確かに軽くなっている。休んだ脚の音だ。
足音は角の向こうの見えない回廊を回って、手前の曲がり角へ近づいてくる。そこを抜けてくれば、俺の脇を通って、奥の盾役さんの所まで一直線だ。
「柏木さん、スタントさんの膝やってます! 手がめちゃくちゃ速い!」
実況してくれるのはありがたいが、見ている人が知りたいのは、たぶん金色の甲虫のほうだ。
奥では看板パーティの剣の人と魔法の人が、盾役さんの両脇に手をかけていた。引きずろうとしても、重い防具が石に引っかかる。あれでは間に合わない。
盾役さんはテープを巻いた腕を抱えたまま、足音のするほうへ顔を向けていた。
膝の中で鳴る工具の音は、まだ半分だ。手を離せば、スタントさんは立てない。
こめかみの奥で、重さが一拍ずつ増えていく。
ADさんを曲がり角から呼び戻して、盾役さんの前に立たせた。
壁にはならない。金色の甲虫は行く手の物を押しのけて走るから、スタントさんの膝を潰したのと同じ当たり方で、白い外板ごと持っていかれる。
それでも最初の当たりはADさんが受けるので、盾役さんに届く勢いはその分だけ落ちる。
手前の曲がり角から、金色の甲虫が飛び出してきた。
子牛ほどの甲殻が、膝をついた俺の肩先をかすめていく。
俺は思わず首をすくめて、自分の両手を見下ろした。両手が膝にある以上、避けようもない。
甲虫の行く手にいるのは、白いADさんと、その後ろの盾役さんだけだ。
背中で、朝比奈さんが前に出るときの合図が聞こえた。
「出ます」
俺は出ろとも下がれとも言っていない。
朝比奈さんが決めることなので、といういつもの台詞を挟む暇もなかった。
顔を上げられないまま、声だけで分かる。今、あの人が石柱の陰を出た。
大盾の黄色い矢印が、伏せた目の端を駆け抜けていく。
回廊の奥で、大盾の下の縁が石の床を噛む音がした。
正面で受け止める構えの音だ。
「怖いですけど! 出ますって言ったの、わたしなんで!」
ごん。
大盾が甲虫を受けた音だ。金色の甲虫は向き直らないまま、来た回廊を逆に引き返してくる。こっちへ。
顔を上げた。
回廊の奥で、朝比奈さんがADさんの隣に大盾を据えたまま、肩を石柱に預けていた。盾を据えた所から、半歩ぶん押し戻されている。
盾役さんは、押しのけられずに済んだ。
見えている回廊を戻ってくるなら、追える。
ADさんに追わせる。
ADさんが金色の背中を追って、膝をついた俺のまわりを回り込んでいく。
「盾、2個目へこんだ! でも、止めましたよ!」
大盾のへこみが、2つ目になったらしい。実況の声が半分裏返っていた。
大盾ごと押し戻された人の声だ。それでも実況をやめないあたりが、朝比奈さんだった。
膝の中で鳴っていた工具の音が止んだ。
手のひらで分かる。作っておいた替えが、継ぎ目にきっちり収まっている。
急いで曲げ戻しただけの骨組みなら、1回負荷がかかればまた曲がる。今度のは、作ったときから一度も曲がっていない部品だ。
これなら走れる。
両手を膝に当てたまま、考えだけでスタントさんを立たせた。
指は一度も上げていない。
手のひらの下で、新しい膝が伸びる。きしみもしない。
金色の甲虫は手前の曲がり角を越えて、角の向こうへ消えた。追っていたADさんは角で止まった。
回廊はひと続きの輪になっている。向きを変えずに裏をひと回りした背中は、次は奥の曲がり角から出てくるはずだ。
スタントさんを、そこへ走らせる。肩は割れたままだが、脚なら2本とも無事だ。
膝をついた俺の脇から奥の曲がり角までは、見えている回廊の端から端になる。そこまで離して走らせれば、人形を動かすMPの減りは倍になる。承知の上で、《高速思考》も念じた。
周りの動きがゆっくりになる。
奥の曲がり角から金色の頭がのぞくのと、スタントさんが角の脇に着くのが、頭の中で重なっていく。
追う役を、ADさんからスタントさんに替える。撮影で交代が入るときの一言を、口には出さずに頭の中で言った。
次、入ります。
金色の甲虫が奥の角を抜けて出てきた。その背中に、スタントさんが食いつく。
追う役を引き継いだ。ADさんは次に備えて、手前の角の脇へ寄せておく。
追いかけるのは、一度も途切れていない。
金色の甲虫の足取りが、目に見えて重くなった。
石を蹴るたびに、一拍ずつ遅れていく。
「遅い、遅くなってる! 止まりそう!」
手前の曲がり角まであと数歩の所で、金色の甲虫の脚が止まった。
膝をついた俺の、すぐ先だ。
甲虫が身を伏せる。
金色の甲殻が下がって、その下に白っぽい腹がのぞいた。
「止まって、伏せた……! みなさん、伏せました! 始まる前に言ってたとおりです!」
奥で盾役さんを抱えていた2人も、引きずる手を止めていた。
いちばん近くにいるのは、スタントさんだ。
割れた肩のまま、踏み込む。
直したばかりの膝で、石を蹴った。
体ごと、腹へぶつかった。
鈍い音のあと、回廊から声が消えた。朝比奈さんも、奥の看板パーティも、息を止めている。
金色の甲殻が腹から崩れて、光の粒になってほどけていく。
回廊の石の上に、魔石が1つ転がった。拳ほどもある、奥まで透けた石だ。角鹿の魔石とは比べものにならない。
【レベルアップ。Lv20からLv21になりました】
看板パーティより先に獲った。
人形を動かす考えを手放して、2体を止める。
MPはほとんど残っていない。上がったレベルを確かめる余力も、もうどこにもない。
ようやく腕の画面に目を落とせた。読めずにいた間に、3つの配信のコメントがずっと上まで溜まっている。
まず自分の配信の欄から読む。
『ハッタリじゃなかった』
『指動いてない』
『直しながら動かしてる』
『両手ふさがってたよな今』
朝比奈さんの配信の欄は、半分が叫びだった。
『盾の子が出た』
『出ますって言った!』
『2個目のへこみ』
『膝ふるえてたのに』
アセントの配信の欄は、途中から流れの向きが変わっていた。
『止まるなんて知らなかったのか』
『待ち伏せ、休ませてただけじゃん』
『下見で確認してたって嘘じゃん』
『中ボスの下見でも引き返してたよな』
その下の1件に、同じ意見の書き込みが連なっていく。
『アセントが知らないことを、どうやってアセントから盗むんだよ』
『流出って、アセントのデマだったんじゃ』
『雷堂は?』
『同接が傾いてから飛んだな』
『アセントのカメラ、今日はちゃんと撮ってる』
言い返す手間は、金色の甲虫が省いてくれた。
今見ている人の数の欄に目を移す。
アセントの競争の配信、7万1千。
俺の配信、8万2千。
2週間前に告知を出した元の職場の企画を、俺の配信が抜いた。
「柏木さん! わたしも3万5千です、3万5千!」
回廊の奥から、朝比奈さんの声が飛んでくる。甲虫を受け止めたばかりなのに、まず自分の数字を叫ぶあたり、この人はどこまでもぶれない。
部屋の入口に目をやると、俺と同じ年にアセントへ入った同期が操るドローンが、まだ宙に浮いていた。
アセントのカメラは、俺を映していた。
◇
回廊の奥で、看板パーティが盾役さんを起こしている。
盾役さんは差し出された肩を一度断って、自分で立った。打ち身で済んだらしい。
パーティのうちの1人が、こっちを向く。
「……助かりました。そっちの盾の人も」
「いえ。お疲れさまです」
反射で頭が下がった。
勝っても、この癖は直らない。
頭を戻すとき、少し離れた石柱の脇に金色の髪が見えた。
雷堂さんが、自分の腕の画面を親指で遡っている。汗で前髪が額に張りついていた。
話す前には必ずレンズに向けて顔の角度を決める人が、今はどのレンズにも顔を向けていない。
画面が傾いて、一瞬だけ中身が見えた。アセントの配信の、さっきの決着の場面だ。
映っているのは、回廊に膝をついた紺の背中と、2体の人形だけだった。
雷の光は、どこにも映っていない。
雷堂さんは何も言わずに画面を下ろした。
朝比奈さんもコメントも、そっちを見ていない。
いちばんいい場面に映れなかった人が、アーカイブを遡るときの親指の速さなら、制作の卓で何度も見てきた。
朝比奈さんが、膝を笑わせたまま隣に来た。間近で見ると、金色の甲殻が当たってできた2つ目のへこみは、大盾の黄色い矢印の真上に残っていた。手が俺の袖に伸びかけて、一度止まって、それからつかんだ。
盾を構えていた指先はまだ冷たい。
部屋の入口のほうに、腕まくりのワイシャツが見えた。堂島さんが、スマートウォッチに目を落としたまま、横のスタッフに何か話しはじめている。声はここまで届かない。
相手の顔を見ずに数字を見る背中は、俺が入社した日から変わらない角度だった。
その横で、同期がドローンを飛ばし続けている。
さっき俺を映していたレンズが、今は堂島さんのほうを向いていた。
決着のあとは、カメラを操る人間が現場の音を切って、締めの映像に切り替える。俺が5年、制作でやってきた手順だ。
順番どおりなら、とっくに済んでいる頃だった。
同期の親指は、ドローンが拾う音を切る端末の上で止まったまま、下りなかった。




