第22話 指を下ろしたまま、人形が歩いた
角鹿の角を肩で受けていた俺の人形、スタントさんが押し勝った。角鹿の前脚が持ち上がる。
子牛ほどの灰色の体が、後ろ脚だけで踏ん張っている。スタントさんの膝が、石の床を半歩ぶん滑って止まった。人形を動かす力は俺のMPで、押し返させた分だけ、こめかみの奥が重い。
人形2体を指で動かしている間は、コメントも同時接続数も読めない。耳に入るのは、ひづめが石を擦る音と、関節の機械音だけだ。
角の下で喉が開いた。もう1体の人形、ADさんの拳の高さだ。
開けば、あとは1回で足りる。
指を曲げた。
ADさんの拳が、喉に入った。
灰色の体が、角の先から光の粒になってほどけていく。
新宿ダンジョン第10層の奥の区画、主要な通路。企画の日まで、あと2日。
経験値は目に見えないが、Lv20は、昨日の夜の時点でもう近いはずだった。
頭の中で、天の声が鳴った。
【レベルアップ。Lv19からLv20になりました】
【職業が進化できます】
天の声はいつも、窓口の読み上げみたいに平らだ。2行目の1行だけ、そうじゃなかった。
待っていた、と言われた気がした。
気のせいにして、指を伸ばす。2体はその場で止まった。
AIに組ませた計画の、これが最後の手順だ。計画のとおりなら、進化の候補に、世間の一覧に載っていない職業が1つ並んでいる。
ただ、それを開くのはカメラの前じゃない。
イヤホンに指を当てて、ドローンのレンズに顔を向けた。
「本日は、ここまでです。続きは、2日後に。ありがとうございました」
『え、もう?』
『今止まったの何』
『天の声きた?』
『レベル上がった?』
『後半へつづく、じゃないのよ』
『締めるの早いって』
天の声は配信に乗らない。聞こえたのは俺だけで、画面の向こうには、スーツの男が急に立ち止まったようにしか見えていない。
いちばん見せたい場面は、本番の配信まで取っておく。配信制作部で5年、番組をそう組んできた。
終わるのが早いという文句は、続きを見たい人しか書かない。
大盾の陰から、朝比奈さんがこっちを見ていた。ずるい、と顔に書いてある。
配信を切った。最後の同時接続数は3万前後だった。
◇
溜まり場へ戻る通路で、朝比奈さんに、さっきの何だったんですか、と2回聞かれた。2回とも、戻ったら話します、と返した。
溜まり場は、中間ボスの広間の手前で通路が広がった、踏み固められた場所だ。その壁際に腰を下ろす。
脇には、いま出てきた奥の区画への通路の入口と、協会の注意書きがある。
スタントさんは《収納》に戻し、ADさんはキャリーから降ろして、目の前に立たせてある。
ステータス画面を開いた。
職業:人形使い(進化できます)
職業の行に意識を向けると、その下に1行が開いた。
進化の候補:傀儡師/念繰師
念繰師。計画にあった、一覧にない職業だ。本当に出た。
候補を開くのに1行で済むあたり、役所の窓口よりよほど親切だ。
傀儡師のほうは一覧に載っている。人形使いの先を調べれば、誰でも最初に行き当たる名前だ。
知っている道と、知らない道が、1本ずつ並んでいる。
腕の画面に、短く打ち込む。
「なあ、傀儡師と念繰師って、何が変わる?」
[いい質問ですね! 傀儡師は、複数の人形を同時に動かして、数で押す人形使いです。以後の能力の伸びも、そちらに寄ります]
[念繰師は、人形を動かすのに、指が要らなくなります]
[次は、2つの違いを表にまとめましょうか?]
職業の節目でも、朝の情報番組の明るさは変わらない。
表は要らない。聞きたかったのは何が変わるかだけだ。
どっちを選べばいいかは聞かなかった。
2日後の作戦を、頭の中でもう一度なぞる。
第10層の奥の回廊で、金色の甲虫を2体の交代で追い、休ませない。先に倒した方の勝ちで、向こうには雷堂さんの速さがある。
交代で追うなら、走らせる数は多いほうがいい。
曲がり角ごとに人形が立っていて、甲虫が来るたびに次が走り出す。傀儡師で組むなら、そういう映像になる。配信を作る側から見ても、数字の取れる映像だ。
数をそろえられる傀儡師のほうが、競争の日には強く見えた。
念繰師を選んでも、走らせる数は2体のままだ。
一覧にない職業を選んで失敗すれば、企画の2日前に、一人で賭けて負けたことになる。誰に話しても、なんでそっちを、と言われる。失敗しても、2日では組み直せない。
アセントでは、企画書に名前があったのが俺で、失敗したのも俺の名前になった。
傀儡師なら、失敗しても言える。誰でも知っている強い職業を選んだだけです、と。
そっちのほうが楽だ。
気づくと、傀儡師の名前ばかり見ていた。
名前を頭の中で選べば、確認の1行が出る。
「柏木さん?」
隣で、朝比奈さんが首をかしげていた。俺が画面を開いたまま黙っているのが、気になったらしい。
「職業が、進化できるみたいで。候補が2つ出てます」
「え、もう? 何と何ですか」
「傀儡師と、念繰師です」
「ねんそう……? なんか、どっちも強そうな名前ですね」
「朝比奈さんなら、どっちにしますか」
「やです」
即答だった。断る速さまで、この人は自分で決めている。
「それ、柏木さんの職業じゃないですか。で、柏木さんは?」
で、と聞かれて、作戦の別のところに考えが行った。
戦いの最中に、人形の壊れた部品を交換するところだ。2日後の回廊では、2体のどちらかが必ずどこかを壊す。
数を増やしても、壊れたまま止まっていたら、立っている置物が増えるだけだ。
直せる人が現場にいないと、本番が止まる。
「両手が空くほうにします。戦いながら直せるので」
朝比奈さんは、ふうん、とだけ言って、膝を抱え直した。それ以上は何も言ってこない。
念繰師の名前を頭の中で選ぶ。確認の1行が出たので、心の中で、はい、と答えた。
【職業が、人形使いから念繰師になりました】
職業:念繰師
画面の1行が書き換わっただけで、体のほうは何も変わった気がしない。
変わったかどうかは動かせば分かる。
指を下ろした。
両手を、膝の上に置く。
目の前のADさんを見て、歩け、と考えた。
かち、と膝の関節が鳴る。
ADさんが、歩き出した。
膝に両手を置いたままの俺の前を、白い外板が横切っていく。
二歩目で、石の床の段差をまたいだ。
止まれ。
止まった。指で動かすときは、指を曲げてから脚が出るまでに半拍の遅れがあった。それがない。
朝比奈さんは、膝に置いたままの俺の手とADさんを、何度も見比べた。
「柏木さん。……指、動いてないですよね」
「動かしてないです」
片手で部品を交換し、もう片手の指で人形を歩かせる練習の9晩、交換はいつも、あの半拍だけ遅れていた。
朝比奈さんは立ち上がって、ADさんの横にしゃがみ込んだ。糸でも探すみたいに、頭の上の空を手で払っている。
何も引っかからないのは、俺が一番よく知っている。
「さっきまで、こうやってたじゃないですか。くいって」
朝比奈さんが、自分の人差し指を曲げてみせる。
脇道で何晩も、隣で見ていた手つきだ。
「それが、要らなくなりました」
「え、こわ。……え、すご」
感想の順番まで、配信のコメント欄と同じだ。
《収納》から、スタントさんを出した。
スタントさんは壁際へ、ADさんは通路の入口の脇へ。それぞれ別の向きに、考えだけで走らせる。
関節の音が2つ、溜まり場の石の床に重なった。
壁の手前で振り向け、と考えると、色むらの外板がその場で向きを変える。ADさんのほうは、入口の脇を回って戻ってくる。2体とも、迷いがない。
MPは、指で動かしていたときと同じ速さで減っていく。
スタントさんを壁際で止めて、立たせておく。ADさんだけを走らせたまま、《収納》から肩の予備の外板を出して、両手で持ってみた。
ADさんの足音は途切れない。両手には、板の重さがちゃんと乗っている。
「それ、配信切る前にやってくれたら、わたしの切り抜きにできたのに」
「撮れ高なので」
「……ずるいなあ」
◇
夜。協会の建物の休憩所で、MPがまだ半分ほどしか戻らないまま目薬を差していると、腕の画面に通知が流れてきた。
アセントの公式の投稿だ。昨日の、企画配信は予定どおり実施いたします、の投稿のすぐ上に、新しい1件が並んでいる。
『出演:看板パーティ(4名)、雷堂誠 企画責任者:配信制作部 部長 堂島正臣』
看板パーティは、アセントの顔の4人組だ。下見で腕を痛めた盾役の人も入っている。
行の終わりで、目が止まった。アセントにいた5年、上司として呼んできた名前だ。
堂島正臣。




