第18話 元上司から、参加しろ、と届いた
朝の腕の画面で、アセントが、俺の配信に映った甲虫を自分たちの獲物にしていた。
しかも、誰でも参加できる競争にして。
昨日は第10層の奥で配信して、倒した数が百に届いた。レベルが17に上がったのは、配信を終えたあとの帰り道だ。配信を終える少し前には、通路の奥に金色の甲虫が映り、すぐに逃げていった。
中野の自分の部屋で、布団から出ないまま、アセントの公式の投稿を頭から読み直す。
目薬を差すより先に、目が覚めた。
『新宿ダンジョン第10層にて、当社が事前の下見で確認しておりました大甲虫の希少種を、どなたでも挑戦いただける公開の競争として配信いたします』
『先に討伐した方の勝ちです』
『当社の雷堂誠が、挑戦をお受けします』
『日程は下記のとおりです』
下記の日付は2週間後だった。
雷堂誠は、アセントでいちばん客を呼ぶ前衛だ。名前ひとつで、同時接続数が万の単位で動く。
投稿の下にはもう返信が並んでいた。
『スーツの人が映したやつだろ』
『金の甲虫ってあれか』
『下見で確認ってどこで』
『嘘を嘘と見抜ける人でないと、公式の告知を読むのは難しい』
『スーツの人出ろよ』
アセントの公式配信を一覧で見ても、第10層の奥で撮った回は一つもない。掲示板では誰かがとっくに確かめて、その一覧を貼っている。
アセントが配信せずに済ませた下見なら、誰にも確かめられない。
腹が立つより先に、うまい、と思ってしまった。元の職場の、よくできた文面だ。
どなたでも、と書いてある。宛先は、甲虫を映した俺一人だ。
出なければ、出られない理由があるのだと書かれる。
画面の上から通知が1つ下りてきた。
知らない番号からのメッセージだった。
一行目は、結論から。配信制作部の5年、毎朝見てきた書き出しだ。
・柏木、変な疑いが出て気の毒だ。
・俺はお前の上司だった。だから助けてやる。
・これに参加しろ。晴らす場は用意した。
堂島。
最後の行で、目が止まった。辞めてから一度も見ていない名前だ。
公式の投稿から40分あとに届いている。炎上した夜、後始末を数分で片付けた人の、いつもの速さだ。
中身は仕事の割り振りだった。疑われている元社員がアセントの売れっ子に挑めば、同時接続数が跳ねる。その役を俺に振ってきた。
助けてやる、は添え物にすぎない。
開いた時点で、既読は向こうに付いている。黙っている、という返事は、この人には通じない。
返信の欄に親指が下りた。
承知しま、まで打っていた。
5年、この人には、承知しました、で返してきた。クビの夜もだ。
考える前に、指のほうが返事をしていた。
送信の上で、親指が止まった。
画面に触れた指の腹が少し湿っている。
承知しま、が、承知し、になった。
承知、になって、消えた。
空になった欄で、カーソルだけが点滅している。
先に獲りに行けば、アセントの下見の情報を盗んで先回りしたと言われるだけだ。
俺の配信だけで獲っても、編集で切ったと言われる。
獲るなら、競争と同じ日の同じ時刻に、向こうのカメラの前でだ。
疑いようのない画は、向こうのカメラにしか撮れない。
打ち直したのは一行だけだった。
参加します。
送った。
◇
昼、新宿ダンジョンの入口にある協会の建物に寄った。
窓口で、昨日の魔石を売る。朝比奈さんと半分に分けて、俺の取り分は1万円ほど。残高はやっと1万円を越えた。
ロビーの真ん中に、人の輪ができている。真ん中を空けて丸く囲む、撮影の現場の輪だ。
輪の中で、ドローンが1台、肩の高さに浮いていた。その前に、金に染めた髪の男がいる。
軽装で、体の正面をレンズから少しだけずらしている。撮られ慣れた人の立ち方だ。
雷堂誠だった。自分の配信で、競争の告知をしている。話しながら、腕の画面にちらりと目を落とす。
目が合った。
雷堂は口を開く前に、レンズへ顔の角度を決めた。それから、こっちを指さす。
「はい、みんな見て。挑戦者さん、来ちゃった」
「人形Dじゃん。人形使いのDで競争とか、人形遊びっしょ」
Dは俺のランクだ。雷堂は言いながら、また腕の画面を見る。
数字を見るたびに、口の端の高さが変わる。今は上がった。
「お、増えた増えた。で、今何人見てんの」
雷堂は腕の画面をこっちへ向けてきた。コメントが流れている。
『スーツの人じゃん』
『人形遊びおじさん』
『雷堂に勝てるわけない』
『下見盗んだ人?』
「人形遊びおじさん、だって。ウケる」
読み上げるのは笑える一件だけだ。
雷堂は笑いながら、もう一度数字を見た。
ここまで3分もたっていない。
気づいたら、頭を下げていた。
「お疲れさまです」
雷堂がレンズに向かって吹き出した。
「お疲れさまです、だって。礼儀だけはAランクっしょ。じゃ、みんな、2週間後な」
ドローンを連れて、ゲートのほうへ歩いていく。人の輪も、その後ろについて流れた。
下げた頭のつむじがすうすうする。下げる相手を選ばない頭だ。
それでも、下げたままの目は、配信制作部で同時接続数を見張っていた頃の目だった。
同時接続数を3分に3回見る出演者は、数字が落ちた瞬間、取り戻そうと段取りにない所へ飛び出す。撮る側がいちばん怖がる型だ。
◇
夜。協会の休憩所で隅の椅子に座り、昼からずっと、競争の日までの作戦を組んでいた。
一行目の、金色の甲虫をどう倒すか、の欄だけが埋まらない。
倒し方の分からない納品物は初めてだ。
頭を冷やそうと、缶コーヒーを買いに自動販売機の前へ立った。
隣に立ったのは、アセントの上着を着た人だった。同じ年に入社して、研修で同じ日に冒険者証を取った、俺の同期だ。
8日前、アセントが撮るはずだった中間ボスを、俺が先に倒した。空の広間の前でスマートフォンを出していたのも、この人だ。
肩には、三脚のケースを提げた紐の跡がついている。現場帰りの肩だ。
「ちょっといいか」
同期はそれだけ言って、自分のスマートフォンをこっちへ向けた。
前置きはそれで終わりらしい。
画面にはメッセージのやり取りが開いていた。日付は8日前の夕方だ。
空の広間の写真が1枚。壁際に座るスーツの男の写真が1枚。
撮られていたとは知らなかった。
その下に、同期の打った一行がある。
柏木さんが先に倒してました。
送り先は堂島正臣。
返信は一言だけだった。
で、数字は?
退職届を書いた夜にも、この一言で話を遮られた。
送ってから2分後に返ってきている。
その5日あとの夜、アセントの公式が、下見の情報が外部に流出した、と投稿した。俺の切り抜きがアセントの配信の再生数を抜いた夜だった。
同期は画面を下ろさない。
「流出とは、書いてない」
「……はい」
先に倒してました、の一行に、目が戻った。
「企画の日、撮影に入る。ドローンは俺が回す」
謝りも、言い訳もなかった。
命じられて来た顔じゃない。止めろと言われないまま機材を運んでいた、あの日の現場の顔だ。
また頭が下がった。
「お疲れさまです。見せてくださって、ありがとうございます」
下げた目の先に、ちょうど同期の画面があった。
堂島正臣の名前から、目が離れない。
同期はスマートフォンをしまい、来たときの足取りのまま、休憩所を出ていく。
缶コーヒーはまだ買っていなかった。
自動販売機の明かりの前で、自分の腕の画面を開く。
今朝届いた堂島さんのメッセージと、3日前に出たアセントの流出の投稿を、並べて出した。
投稿の一行目は、こうだ。
『結論から申し上げます』
どちらも、その下に点を打った行が3つ続く。企画の告知は配信制作部が出し、部の文面はみんな、部長のこの型で書く。
名前を書かずに済ませるのも、形の上は自分で辞めたことにしておく、と言ったあの夜と同じ手つきだった。
あの投稿を書かせたのは、堂島さんだ。




