第17話 〔二画面〕行き先は、コメントで決めてください
「右と左、どちらに入りましょうか」
奥の区画のうち、まだ入っていない側の最初の分かれ道で、俺はレンズに向かって二股の通路を片手で示した。
腕の画面には、俺の配信と朝比奈さんの配信を並べて開いてある。制作の卓でモニターを並べていたときと同じ並べ方だ。
朝比奈さんの画面に映っているのは、斜め後ろの少し高い所から撮った、同じ時刻の俺の背中だ。
行き先の決まらない本番を組んだのは、5年も制作の卓にいた俺だった。行き先の欄を空けたままの計画で本番を始める現場なんて、その5年で一度もなかった。
配信の題には新宿ダンジョン第10層の奥と入れ、説明の欄には昨日の告知を貼ったままにしてある。
「決め方は、コメントの多いほうです。朝比奈さんの配信と、同時にお送りしています」
そこで一度、頭を下げた。
「それと、配信が切れる道は、投票にかけません」
自分の配信のコメント欄に目を落とした。
『ちゃんとしてる』
『どうせ台本だろ』
『下見の情報持ち出した人だよね』
『ビーターかよ』
『盾の子の画面と時計が同じ』
『秒まで同じ』
時計を見比べる客ほど、制作の卓ではありがたい客だった。疑うことに手間を惜しまないからだ。
同時接続数は、俺の画面が3万2千、朝比奈さんの画面が1万1千。始めて5分で、人形のスタントさんの膝を直した配信の最大をもう越えている。
疑いに来た客も同時接続数では1人に数えるし、来た理由までは数字に出ない。
「今日は、見てる人が決める日です! わたしも、どっちに行くか知りません」
背中から朝比奈さんの声がした。朝比奈さんの配信のコメント欄も、俺の欄と同じ速さで流れている。
『知らないのかよ』
『グルなら知ってるはず』
『盾の子、今日は後ろ?』
『両方の配信開いてる』
「後ろです。今日のわたしは、撮る係なので」
前に出て戦わず、後ろから俺たちを自分の配信に撮る。朝比奈さんが自分で決めた役だ。俺の二台目のカメラにはならない、と昨日のうちに断られている。
「では、お願いします。右か、左か」
『右』
『右』
『左』
『右一択』
『右で』
決まるまでの早さだけなら、前の職場のアセントで企画を決めていた会議より上だ。
「右に入ります」
右の通路の先で、角鹿が1頭、角を下げて突っ込んできた。1体目の人形のスタントさんが正面で受けて押し返し、前脚が浮いた一瞬に2体目のADさんの拳が喉に入る。灰色の体は光の粒になってほどけた。
奥の区画に来てから、何度も撮ってきた形だ。
【称号、百戦を得ました】
モンスターを百体倒すと得る称号だ。今の角鹿で、ちょうど百に届いたらしい。祝うのは配信を終えてからでいい。
指を伸ばして人形を2体とも止め、自分の配信のコメント欄に目を戻した。
『はっや』
『正面で止めるの何回見ても変』
『次はいちばんヤバそうな方な』
『仕込めない所に行けよ』
『危ない方に入れようぜ』
票の寄せ方が変わってきた。台本を疑う客が選ぶのは、俺が前もって細工できない道ではなく、見ていていちばん荒れそうな道だ。
その先の分かれ道も、コメントの多かった左へ入った。次の二股に着くころには、票がひと所に寄りはじめていた。
『左の奥、柱の部屋だろ』
『奥の柱の部屋ってヤバいやつ』
『じゃあ左』
『左』
『左』
「……左が多いですね」
協会の中継器の図を見るかぎり、左の奥までは電波が届く。図で分かるのはそれだけだ。
「左に入ります」
「左です! 見てる人が決めました!」
◇
左の通路を抜けると、すぐに石柱の部屋の入口に出た。
両腕で抱えきれない太さの柱が、天井まで何本も立っている。柱の間を縫っていけば、向こう側の出口まで抜けられそうだ。
障害物の多いセットで、カメラの置き場所には困らない。
「天井、高っ……」
朝比奈さんの画面が上を向いた。
柱の付け根に近い天井を、人の背丈ほどの体がはっている。灰緑のうろこの下で、4本の脚の爪が石をつかんでいた。
大トカゲだ。柱の間を通れば、真上を取られる。
朝比奈さんの画面は天井を向いたまま揺れて、止まった。実況の声も途中で切れる。
振り返らなくても分かった。撮っている人の膝が止まれば、画面も止まる。
『天井』
『終わった』
『あのトカゲ、上から落ちてくるぞ』
『真上から来るやつ』
『選んだ奴ら責任取れよ』
いちばん速く流れたのは、俺の配信のコメント欄だった。左と書いた客と責任を取れと書く客は、たぶん同じ人だ。
「止まってください」
入口の手前で2体を止めた。天井を見上げたまま、腕の画面に打ち込む。打ち込んだ文は配信の音に乗らない。
「なあ。この部屋の天井のトカゲ、下りてくるときの癖ってある?」
[いい質問ですね! 大トカゲです。天井と壁をはい、頭上から落ちてきて、かみつきます]
[協会の資料には載っていませんが、天井をはう間は、石柱を回るたびに、前と逆の向きへ曲がります]
その下には、かまれたときの手当ての箇条書きが長く続いていた。要るのは2行目までだ。
[次は、かまれたときの応急手当てをまとめましょうか?]
返事はあとでいい。
大トカゲが柱の右と左のどちらから下りてくるかを俺が先に言い、人形2体には反対側の床を通らせる。
起きることを先に言って当てるのは、撮影の段取りで毎日やってきたことだ。外せば、外したところまで全部映る。
俺の配信のコメントは、画面の上を動く俺の指のことばかり書いていた。
『またスマホ』
『指しか映ってない』
『AIに聞いてる説か』
『それ外れたろ』
『聞いても協会の資料見ろで終わり』
当たっている説が、外れた説として片付けられていく。片付けは客に任せておく。
入口から、いちばん手前の柱を見上げた。大トカゲが柱を左へ回り、向こう側へ消える。
見るのは、この一度だけでいい。
背中で、朝比奈さんが小さく息を吸った。
「……怖いです、あれ。でも、ここから撮ります」
朝比奈さんの画面は、天井を映したまま動かなかった。
「入ります」
俺は入口に立ったまま、2体だけを部屋の中へ前に出した。指を曲げて、人形に進めの合図を出す。ここから先は画面を見ない。
大トカゲが次の柱に爪をかけ、回りはじめた。
「柱の右側から下ります」
大トカゲの頭が、柱の右側を伝って下りてくる。
2体はその間に左の床を抜けた。
次の柱の手前で2体を止めた。大トカゲが天井を渡っていく間だけ、画面を見られる。
『は?』
『まぐれだろ』
『今、右って言った?』
『言った』
1回なら、まぐれでいい。
指を曲げる。
「左です」
大トカゲは隣の柱を左へ回った。頭が床へ届いたとき、2体はもう右の床を走り抜けていた。
柱の脇で止める。
『え』
『2回目』
『当たってる?』
『待って待って』
「すみません、止まってました! 撮ってます、ちゃんと撮ってます!」
背中から、朝比奈さんの実況が戻ってきた。膝も動くようになったらしい。
指を曲げる。
「右」
大トカゲが柱を回りはじめ、2体は左の床へ入った。
頭は右側から下りてきた。
止める。
『3回目』
『数えてる、3』
『なんで分かんの』
『トカゲに台本渡したのか』
トカゲに台本が渡せるなら、制作の仕事はもっと楽だった。
残る柱は1本。
「最後。左から下ります」
指を曲げる。
大トカゲの頭が、柱の左側を伝って下りてくる。
右の床を、2体が抜ける。
出口。
「言ったとおりです!」
出口の外で2体を止めた。俺の配信のコメント欄が、さっきまでと逆の向きに流れている。
『仕込めないだろこれ』
『行き先選んだの俺らだぞ』
『盾の子の画面でも同じ』
『アセント、奥の区画の配信ないだろ』
『4回は無理』
俺の画面の同時接続数が、1行ごとに上がっていく。
4万1千。
4万7千。
5万2千。
朝比奈さんの画面、2万。
告知でも宣伝でもない上がり方だった。見ている客がよそから客を連れてくるときの上がり方で、制作の卓にいた5年でも数えるほどしか見ていない。
「わたしの数字、こんなの見たことないです! 柏木さん、見ましたか!」
朝比奈さんの配信のコメント欄も、流れが変わっていた。
『見てた』
『トカゲと人形とスーツ、1枚に入ってた』
『撮る係、いい仕事した』
『グルとか書いてごめん』
『登録した』
トカゲと人形と俺を一つの画面に入れる画角を決めたのは、俺じゃない。
俺の配信のコメントは、まだ流れつづけている。
『台本って書いたの俺です』
『すみませんでした』
『たまたまだろ』
『4回くらい当たる』
疑っていた客が全員黙ったわけでもない。客が一人残らず黙る数字なら、制作の卓ではかえって疑う。
大トカゲがいちばん奥の柱の向こうへ回った。
「朝比奈さん、今です」
2人で部屋を走って渡った。今日いちばん段取りの雑な所は、人間の足だった。
出口の先の通路は、奥まで照明が届いていない。
「柏木さん、奥、何か――」
先に捉えたのは、朝比奈さんの画面だった。
暗がりの奥で、角鹿ほどの丸い甲殻の形が金色に光った。こっちを向いたと思った次の瞬間には、もう背を向けている。
2体を向ける暇もなかった。金色は人の走りよりずっと速く、通路の奥へ小さくなって消えた。
俺の配信のコメントが、一気に速くなる。
『金色?』
『逃げた』
『速すぎ』
『金色って希少種じゃね』
『中層の甲虫じゃね? イレギュラー?』
俺は通路の奥へ一歩も出ずに、レンズに向き直った。
「……本日は、ここまでにします。ご覧いただき、ありがとうございました」
『おつ』
『追わないのかよ』
『今日のは切り抜かれる』
『おつかれ』
追わない。段取りにない獲物を段取りなしで追う現場は、たいてい事故で終わる。
腕の画面では、朝比奈さんの配信がまだ続いていた。
映っているのは、金色の消えた通路の奥だ。暗がりで動くものはない。
その下のコメント欄に、1行だけ流れた。
『今の何』




