第15話 稼ぎを半分に割ったら、膝の部品に届かない
半分に割った今日の稼ぎは、膝の部品の値段の、半分にも届かなかった。
昼に、第10層の奥で大きな角鹿を倒した。それなのに、スタントさんの右膝はまだ利かない。
協会の建物の買い取り窓口で、今日の魔石を4個売った。代金は7,400円ほど。
休憩所の机で、朝比奈さんと3,700円ずつに分ける。
腕の画面で職人の店のページを開くと、人形用の膝関節の部品が、いちばん上に出てきた。
1万7千円。
ねじと予備の板で、もう3,000円かかる。昨日までの残高に今日の取り分を足し、2万円を払えば、残りは2,000円ほどだ。
昼の俺の配信は、同時に3万9千人が見ていた。俺の財布に、千円札が2枚だ。
机の向こうで、朝比奈さんが立ち上がった。
膝の前で手をそろえて、頭を下げる。
「今日は、すみませんでした。柏木さんの合図の前に、わたしが出ました。スタントさんの膝が潰れたのは、そのせいです」
言い訳は一言もついてこなかった。
顔を上げると、朝比奈さんは自分の取り分の3,700円を、指でこちらへ押し出した。
「膝の代金、わたしが出します」
「いえ。私の代わりに体を張るのが、スタントさんの係なので」
「その係を使わせたの、わたしです」
「スタントさんは私の人形です。係の仕事でかかった分は、持ち主の私が持ちます」
「出します」
「持ちます」
押し出された札を同じだけ押し返す。
どちらも敬語のまま、一歩も引かない。自動販売機のうなる音がやけに大きい。
朝比奈さんが引かないことはもう知っている。だから、先に済ませた。
腕の画面で膝の部品一式を注文に入れて、確定を押す。
膝の代金は全部俺が払った。
朝比奈さんは確定の文字を黙って見ていた。
それから何も言わずに席を立って、売店のほうへ歩いていく。
怒らせたか、と思った。
戻ってきた朝比奈さんは、小さな箱を俺の前に置いた。
ドローンの予備の電池だ。
「もう買いました。返品はしません」
相談も連絡もなく、買ったあとで報告だけが来た。
膝の代金を断られたから、膝でない所を埋めに来たらしい。
「柏木さん、配信を切る前に、いつも電池の残りを見てるじゃないですか。中間ボスのクモの日も」
見られていたとは知らなかった。
俺のドローンは1回の充電で2時間ほどしか飛ばない。予備が1個あれば、配信を倍の長さまで組める。
売店の棚で、値札は見たことがある。朝比奈さんの今日の取り分だけでは、足りない値段だった。
「……ありがとうございます」
「お礼はいいです。わたしが勝手に買ったんで」
朝比奈さんは座り直すと、自分の腕の画面をこちらへ向けた。
「それより、見てください。登録者」
3万5千。
「朝は2万5千だったんですよ。今日だけで1万!」
画面の下には、今日の配信のアーカイブに付いたコメントが並んでいる。
朝比奈さんは2件のコメントの所で指を止めた。
『7人のときから見てるけど』
『今日の盾がいちばん前だった』
書いたのは、夜勤明けという名前の視聴者だった。朝比奈さんの配信を見る人が7人だった頃からの常連だ。
「夜勤明けさん、ありがとうございます。前、出ました」
画面に向かって、朝比奈さんが頭を下げる。生配信じゃないから、返事は来ない。
1万人増えた日に、朝比奈さんが名前を呼んだのは、最初の7人のうちの1人だった。
朝比奈さんが鞄からプリンを出した。蓋の上にスプーンが貼りついている、コンビニのやつだ。
「潜る前に買っといたんです。勝った日のごほうび」
負けていたらどうしたのかは、聞かないでおいた。たぶん、勝つと決めて買っている。
ひと口目で、カップの半分が消えた。
口をいっぱいにしたまま、朝比奈さんが身を乗り出して、俺の腕の画面に顔を寄せる。
「ふぁしわぎさんのえーあいに、ひいてみまふ。おっひいのを、たていちまいれ、おひかつほうほう」
[いい質問ですね! すみません、何を言っているのかわかりません]
[次は、飲み込んでから聞いてみましょうか?]
俺にも分からなかった。AIのほうが正直なだけだ。
朝比奈さんはプリンを飲み込んで、言い直した。
「大きい角鹿に、盾1枚で押し勝つ方法を教えてください」
[いい質問ですね! 大型のモンスターと正面から押し合うのは危険で、一般的には、受けずに横へいなすことがすすめられています]
[詳しくは協会の資料をご確認ください]
[次は、いなし方の基本をまとめましょうか?]
「講習と同じこと言ってる」
朝比奈さんがスプーンをくわえたまま笑った。
「なんだ。ふつうのAIじゃないですか」
俺は何も言わずに、乾いた目に目薬を差した。ダンジョンの中なら違う答えが返ることは、黙っておく。
朝比奈さんは残りのプリンをスプーンでつついている。
椅子の脇に立てかけた盾には、黄色の矢印が描いてある。その矢印の先に、角の形のへこみが1つ増えていた。
言うなら、今だ。
今日の戦いで「下がるなら今です」と言ったのは俺で、下がらなかったのは朝比奈さんだ。朝比奈さんが下がっていたら、戦いの最中にスタントさんの膝を直す数十秒はなかった。
「前に出るかどうかは、朝比奈さんが決めることなので。そこは、何も言いません」
スプーンが止まった。
「ひとつだけ、お願いがあります。出るときは、出る前に知らせてください。
報告だけで結構です。相談はいりません」
出る前に一言あれば、作戦は組める。
朝比奈さんが前に出たら人形をどう動かすかを、作戦に1つ足しておけばいい。
朝比奈さんはすぐには答えなかった。
スプーンをカップに戻して、しばらく天井を見ている。
「……やです」
断られた。
頼みごとは一つしかしていない。
「言われたとおりに知らせるの、やです。それやったら、アセントの養成所にいた頃に戻っちゃう」
養成所で型から外れては直される朝比奈さんを、俺は撮っている。
頼み方を間違えた。
朝比奈さんが立ち上がった。
椅子の脇の盾をつかんで、床に立てる。
ごん、と鈍い音が休憩所に響いた。
角のへこんだ黄色の矢印の向こうから、朝比奈さんがまっすぐ俺を見た。
「よし、聞いた! じゃあ、わたしは、出るときは『出ます』って言います。言うのはそれだけで、いつ出るかは、わたしが決めます」
「……それで、組めます」
「でしょ」
朝比奈さんは盾を立てたまま、片手で残りのプリンをかき込んだ。
◇
朝比奈さんは電車の時間だと言って先に帰った。言うだけ言って、帰るのも早い。
一人になった休憩所で、腕の画面を開く。
今日、第10層の奥で撮った切り抜きは、再生回数が40万回。アセントの公式チャンネルでいちばん新しい配信は、35万回で止まっている。
アセントの配信制作部で5年、この数字を上げる側にいた。
その少しあとで、通知が1つ流れてきた。アセントの公式アカウントの投稿だ。
『結論から申し上げます』
『・先日予定しておりました新宿ダンジョン第10層の企画配信に関しまして、当社が事前に行った下見の情報の一部が、外部に流出した可能性を確認しております』
『・流出の経路については、現在、事実関係を調査しております』
『・関係者の特定に至りましたら、改めてご報告いたします』
名前はどこにも書いていない。
それでも、企画の前に中間ボスを倒した俺が情報を受け取った、と読める。
配信制作部にいた頃、この組み立ての文面は何度も見た。
数字で抜かれた夜に出す文面だった。
流れた下見の情報など、俺は1行も受け取っていない。
投稿の下に、返信が付きはじめた。
『え、何があったの』
『流出ってどこに?』
気づくと、返信の欄に文を書きかけていた。事実と異なります、から始まる文だ。
三行目まで書いて、指が止まった。
全部、消した。
代わりに、頭の中で明日の作戦を書き出す。
一行目はこうだ。『スタントさんの膝の取り付けから。切らずに、全部映す』
その下に、一行書き足す。『朝比奈さん 「出ます」』
画面の投稿は消えずにそこにある。
返信がまた1つ増えた。




