第14話 壊れた人形は、戦いの真ん中で直す
人形のスタントさんを、部屋の中へ数歩入れて立たせた。
もう1体の人形、ADさんはその斜め後ろに置く。スタントさんが角を受け止め、前脚が上がった所をADさんが殴る。昨日と同じ並びだ。
俺は部屋の入口の際に立ったまま、指で2体の向きを据えていく。
スタントさんの隣では、朝比奈さんが大盾を構えていた。
石柱の向こうで、灰色の背中が身じろぎした。
角鹿も昼寝の時間は終わったらしい。
昨日の帰りの通路で、朝比奈さんから、自分も前に出たいと申し出があった。
朝比奈さんが決めることなので、と答えたその晩に、俺は頭の中で作戦を組み直した。昨日の並びに、朝比奈さんの盾をどこで足すかの作戦だ。
新宿ダンジョン第10層の奥の区画、通路の突き当たりの部屋。この区画に入って2日目の、昼すぎだ。
午前にふつうの角鹿を3頭、昨日と同じ形で倒して、昼は1時間ほど座って休んだ。MPもほぼ戻っている。
休みのあとで、俺の配信もつけ直してある。題には、新宿ダンジョン第10層の奥と入れた。
「今日は、わたしが前に出ます!」
朝比奈さんは浮かせたドローンのレンズに向かって宣言して、片手の指を折ってみせた。
「挑発は、あと5回かけられます。午前でほとんど使っちゃって、お昼休みで戻ったぶん。
1回かけるとMPが1減って、敵がしばらくわたしを見ます。切れる前にかけ直せば、そのぶん延びます」
視聴者の前で自分の残りを数えている。言ったからには引っ込めない人だ。
「確認ですが。スタントさんが一度受けたら、私が合図を出します。朝比奈さんが前に出て並ぶのは、その合図のあとで」
「はい」
返ってきたのはその一言だけだった。
合図を待ってから出る、とは、朝比奈さんの口から一度も聞いていない。
あの「はい」は、どこまでの「はい」なのか。
石柱の間から、角鹿が出てきた。
昨日のが子牛なら、こっちは馬だ。灰色の肩は大人の胸の高さにある。
枝分かれした角は左右に広がって、通路の半分ほどの幅があった。
昨日すれ違ったパーティが言っていた、奥のでかいやつだろう。
朝比奈さんが一拍だけ固まったのが見えた。
それでも盾は下がらない。
スタントさんを前へ出そうと、指を曲げかけた。
その前に、朝比奈さんの声が飛んだ。
「こっち!」
朝比奈さんの挑発だ。見た目には何も起きないのに、角鹿が首を回し、枝分かれした角をぐるりと朝比奈さんへ向けた。
朝比奈さんは大盾を構えたまま、スタントさんの前へ出る。
「朝比奈さん、まだ――」
合図は出していない。組んでいた作戦の最初の一手が、目の前で消えた。
講習なら、角鹿の突進は横へいなせと教わる所だ。なのに朝比奈さんは正面に盾を据えている。
力で勝って前脚を上げさせる。昨日スタントさんが見せたあの形を、自分の盾でやるつもりだ。
角鹿が角を下げた。
床が鳴る。馬ほどの重さが、まっすぐ盾へ突っ込んでくる。
盾と角がぶつかった。
朝比奈さんは靴ごと石の床を滑っていく。踏みとどまれていない。
「っ、重っ……押せない、これ押せない!」
盾ごと、斜めに運ばれていく。
「朝比奈さん、横へ!」
聞こえていないのか、聞いて選ばないのか。盾は正面を向いたままだ。
盾に描かれた黄色の矢印が、角に食い込まれてきしんだ。
左の壁際で、盾の背が壁に当たる。
「いっ、た……!」
声は盾と壁の間で潰れた。
角鹿は床をかき続けている。角を盾の縁にかけたまま、まだ踏み込んでくる。
盾の裏で、朝比奈さんは両腕を震わせていた。
前脚は上がらない。
力で勝っているうちは、上げない相手だ。上がる前に、盾の向こうの体のほうが持たない。
「スタントさん、横から入ってください」
指を曲げる。スタントさんが床を蹴り、角鹿の横腹へ肩から突っ込んだ。
こういうときのための、スタントさんだ。
角鹿が身をよじり、角が盾の縁から外れた。
朝比奈さんは盾を取り落として、壁際にずるずると崩れた。角と壁の間からは抜けた。
壁にもたれたまま、咳き込んでいる。打ち身で済んでいてくれ。
よじった重みは、そのままスタントさんに乗った。
金属の潰れる音がした。右の膝だ。
スタントさんは朝比奈さんの隣に倒れた。膝が、曲がってはいけない向きに曲がっている。あれでは立てない。
「スタントさん!」
俺より先に名前を呼んだのは、朝比奈さんのほうだった。
角鹿は角を大きく一度振って、そのまま後ろへ下がっていく。
下がりきった所で、壁際へ向き直った。
助走だ。
次に来るのは、壁際の二人だ。
ADさん1体では力で勝てない。人形が踏ん張れるのは、前衛の冒険者くらいまでだからだ。盾1枚で運ばれた相手なら、人形1体も同じに運ばれる。
受け止める役と、開いた喉を殴る役を、1体で兼ねるのも無理だ。
下がるにも、朝比奈さんが立って盾を拾うまで、あの角は待ってくれない。
入口の際で指を曲げていても、二人の前に壁は立たない。立てるなら、俺がそこへ行く。
「朝比奈さんが決めることですが、下がるなら今です」
口ではいつもどおり、決めるのを朝比奈さんに任せた。
そのときにはもう、俺は入口の際を越えていた。
角の届く床を、壁際まで走る。俺とあの角の間には、スーツの生地1枚しかない。
指を曲げて、ADさんも並んで走らせた。
「え、柏木さん、中……!」
壁際で、朝比奈さんの声が裏返った。
答えている暇はない。
滑り込んで、ADさんを二人と俺の前に立たせた。
「押してます」
撮影の現場の掛け声を口の中で言って、ADさんを動かす指を止める。ADさんは角のほうを向いたまま固まった。
壁としては薄いが、ないよりはましだ。
膝をついて、鞄から工具を引き抜く。
スタントさんの右膝に当てて、《鍛冶》を使った。
工具の当たる音が早回しで鳴りはじめる。
光りはしない。潰れた骨組みが、冷えたまま、工具に沿って元の線へ寄っていく。
遅い。この速さでは、角のほうが先に来る。
急いだ。
MPが一気に減っていく。こめかみの裏で脈が鳴るたびに、そのぶん重さが足されていく。
撮影の現場でも、本番の最中に壊れた機材は、回しながら直した。止めて直していたら、その日の映像は撮れない。
今日ここで止めたら、映像どころか人が潰れる。
「すみません! 下がりません、時間稼ぎます!」
背中で、盾を拾う音がした。
足音は壁際から離れて、角鹿の正面へ向かっていく。
「あと3回!」
挑発の残りを、朝比奈さんが叫んでいる。姿は見えない。俺が見ているのは、自分の手と、潰れた膝だけだ。
床をかく脚の音が、朝比奈さんの声のほうへ向きを変えた。
重い足音が近づいてくる。
「――今っ!」
朝比奈さんが横へ跳ぶ。
石柱が鈍く鳴った。
脚の音が止まった。
向き直る気配。こっちへ。壁際の、俺たちのほうへ。
来れば、止まったままのADさん1体の向こうに、あの角の先が届く。
「こっち! あと2回!」
脚の音はまた朝比奈さんのほうへ戻っていった。
朝比奈さんが数えているのは、俺の直しの期限だ。
手は止めない。腕の画面に触る手も、1本も余っていない。
視界の端に、黄色が入った。
大盾の矢印が角鹿の正面を向いているのに、俺の手の中では工具が鳴りっぱなしだ。
ついた膝に床の揺れが伝わってきて、すぐ後ろを重いものが横切っていった。
石柱がもう一度鳴る。朝比奈さんの息がさっきより荒くなった。
骨組みはあと少しで線に戻る。
「あと……1回、ラスト!」
その声と、手の中で膝が鳴ったのが、同時だった。
膝の曲がりが戻った。
ただ、直した所は粗い。急いだぶん、骨組みに工具の跡が波を打っている。
手の感触で分かる。1回受けたら、また曲がる。
1回あれば、足りる。
盾1枚で力負けするなら、後ろからもう1枚で支えればいい。
「朝比奈さん、その1回、ください」
盾の陰で、朝比奈さんが振り返った。
「盾は正面のままで。真後ろに、スタントさんを付けます。殴るのはADさんです」
「……よし、聞いた! じゃあわたしは、押します!」
朝比奈さんは盾を構え直した。さっきより腰を一段低く落としている。
指を曲げる。スタントさんは戻ったばかりの膝で立ち、ADさんと並んで床を走った。
スタントさんの踏ん張りにMPを込めると、残りのMPが底をつきかけた。
俺の残りもこの一回で終わりだ。
朝比奈さんが最後の挑発をかける。
角が、下がる。
来た。
盾が角を受けた。
朝比奈さんが滑る。その背中を、スタントさんが両手で受け止めた。
止まる。
「……押せる」
盾の裏で、朝比奈さんの声が震えた。
「これ、押せる!」
押し返す。
盾を抱える細い両腕と、その背中を支える人形の両手。二人分の重さで、角が戻っていく。
角鹿が床をかいた。
かいても、前へ出ない。
前脚が、持ち上がった。
角の下で、喉が開く。
ADさんが、その喉に拳を入れた。
朝比奈さんとスタントさんが、もう一歩踏み込む。
そこで、角鹿は立ち上がったまま仰向けに倒れた。
腹を見せたまま、光の粒になってほどけていく。
倒した。
朝比奈さんは盾を抱えたまま尻もちをついた。
床には魔石が1つ残っていた。午前のより、ひと回り大きい。
【レベルアップ。Lv15からLv16になりました】
【取得可能なスキルに、《高速思考》が加わりました】
《高速思考》を取るかどうかは今は置いておく。
指を伸ばして、2体を止めた。
2体を止めれば頭は少し軽くなるが、使ったMPは戻ってこない。
腕の画面には、読めなかった間のコメントが溜まっていた。
『盾の子つぶれる』
『人形の膝いった』
『スーツが中に入った!?』
『戦いの途中で直してる』
『生産スキルってこう使うのか』
読んでいる間にも、同時接続数が1行ずつ上がっていく。
3万6千。
3万9千。
中間ボスを倒した日に出した、俺の最大を越えた。
『盾の子いなかったら終わってた』
『あと何回のとこ手汗すごい』
『生産スキル外れって誰が言った』
『アセントの今日の2万7千、抜いてる』
元の職場が今日配信している企画は、上層だったはずだ。こっちは第10層の奥の壁際で、スーツの膝を床についている。
「柏木さん、柏木さん! わたしのほうも1万2千です、1万2千!」
大盾を引きずって、朝比奈さんが壁際まで戻ってきた。俺の隣にどさりと座り、自分の腕の画面をこっちへ傾けてくる。
立つのもやっとの足で、数字だけは叫んでいる。立てかけた大盾の黄色い矢印には、角の形にへこみが付いていた。
「それと、ここ。昨日『後ろで見てるだけ』って書いた人、今『ごめん』って書いてます。同じ名前です、ほら」
朝比奈さんが、画面に出たその1行を指で叩いた。
昨日、笑って「次!」と流していた人の指だ。
読み上げる声の端が上がりっぱなしになっている。
「すみません、確認ですが。合図の前に出たのは」
「それも込みで決めました」
胸を張っている。挑発はもう空のはずで、膝は笑っていた。
壁に押しつけられるところまで込みだったとは、聞いていない。合図の話は、それきり続かなかった。
朝比奈さんは俺の袖のほうへ手を伸ばしかけて、途中で止めた。
スタントさんを立たせようと、指を曲げた。
右膝がかくんと折れて、スタントさんはまた床に座り込んだ。今日いちばん体を張った人形が、いちばん先に休憩に入る。
急いだ直しで持ったのはさっきの1回きりだった。
工具を当て直して、関節の中をのぞく。潰されたとき、中の小さな部品が欠けていたらしい。
曲がりは戻せても、欠けた物は《鍛冶》では生めない。ちゃんと直すなら、膝の関節の部品が要る。
何に使うか決まっていない物は、買わない。さっき《高速思考》を取らなかったのも、その決まりだ。
膝の部品なら、使い道しかない。
鞄の中には、午前の魔石が3個と、今の大きいのが1個。MPはまだ底のほうで、頭が重い。
その頭の中で、数字を2つ並べた。
店で買う関節の部品は、1か所1万から3万。
昨日までの残高は、1万8千円。
今日の魔石を売っても、半分は朝比奈さんの取り分になる。
膝1つで、今日勝った分が消える。
膝の代金を、どこから出すのか。
胸を張っていた朝比奈さんが、黙って、スタントさんの膝を見ている。




