第13話 一分刻みの進行表は、第10層の奥で崩れる
「柏木さんの予定だと、あと3分ここで待つんですよね。待つ理由、なくないですか」
朝比奈さんは、奥へ続く通路の入り口に、もう片足を踏み入れていた。今日の動きは、俺が一分刻みの作戦に組んで、朝比奈さんにも伝えてある。
ここは第10層の溜まり場だ。中間ボスの広間の手前で通路が広くなり、冒険者が足を休める場所になっている。溜まり場の脇から、奥の区画へ入る通路が分かれている。
広間の奥の階段から先が中層だ。階段の前には目に見えない壁があって、中間ボスを倒したことのない朝比奈さんは通れない。
俺は通れるし、ダンジョンの入口の近くにある転移陣で、ここまで一瞬で来られる。朝比奈さんは転移陣を使えないので、今朝は二人で50分歩いて下りてきた。
この2日、朝比奈さんと二人で第7層から第9層を潜った。朝比奈さんは自分のやり方でゴブリンの群れを倒し、Lvを4から7に上げた。俺の人形2体、スタントさんとADさんは、別の相手を倒した。
魔石は二人分を合わせて半分に分けた。俺は自分の取り分を足して、家賃は昨日払い終えている。
今日は二人で初めて、奥の区画に入る。
「すみません、確認ですが。11時52分まで装備の確認、53分に移動開始、となっておりまして」
「装備、もう見ました」
この2日で、朝比奈さんが俺の予定どおりに動いたことは一度もない。
昨日も、12時ちょうどに休憩を入れるはずが、朝比奈さんはその時刻にもう次の部屋へ入っていた。予定どおりに休憩したのは、予定を組んだ本人だけだ。
「……朝比奈さんが決めることなので」
そう言いながら、俺は背中のキャリーを下ろしていた。2体目の人形のADさんを出して、朝比奈さんの後ろにつける。
先に行く人の後ろを固める並びなら、この2日で組み慣れた。口では任せておいて、手では組み直している。
通路の入り口の壁に、協会の注意書きが貼ってあった。『この先の区画は、4名以上のパーティでの探索をおすすめします』
人が2人。人形が2体。
「4ですね。足りてます」
「それ、数えていいんですか」
頭数を盛るのは、撮影の制作にいた頃の悪い癖だ。まだ抜けていないらしい。
二人並んで、通路を奥へ入った。
奥の区画の天井は、ここまでの第10層の通路より高かった。通路の脇には、太い石柱の並ぶ部屋がいくつも続いている。壁には何かで擦った白い筋が、腰の高さに何本も走っていた。
大きな物が真っすぐ走ってこられる幅だ。
通路の奥から、4人のパーティが戻ってきた。最後尾の一人は仲間の肩を借りて、足を引きずっている。
勝って帰ってくる足取りではない。
先頭にいる盾役の盾は、真ん中が細長くへこんでいた。太いくいを1本突き立てたような形だ。
「二人で? ……やめときな。Eの目安、俺らもなめてた」
盾役はへこみを親指で叩いた。
「鹿だよ。角の。奥には、もっとでかいのがいた」
それだけ言うと、4人は通路を戻っていった。
朝比奈さんがドローンを回して、遠ざかる盾を映す。
「見えます? 奥の鹿だそうです。……全然、余裕です」
声は元気だった。ただ、言いながら朝比奈さんは一拍だけ膝を止めた。
Eランクの目安なら、前の会社のアセントで、撮影の予定表に何度も書いた。同じEランクの4人が、準備をして当たる区画だ。こっちには、ランクだけDに上がった俺と、Fランクの朝比奈さんしかいない。
俺の1体目の人形、スタントさんの外板は、あの盾よりずっと薄い。受け方を間違えれば、へこむでは済まない。
腕の画面に打ち込んだ。配信の音には乗せない。
「なあ。この奥の、角で盾をへこます鹿って何」
[いい質問ですね! 角鹿です。枝分かれした太い角で、通路を突進してきます]
[急所は首と目ですが、突進の間は角が首を隠します。ここまでは、協会の資料にあります]
それなら、さっきの盾役も知っていたはずだ。
[協会の資料には載っていませんが、正面の押し合いで角鹿のほうが押し負けたときだけ、前脚を上げて立ち上がります]
[そのとき、角の下の喉が一瞬開きます。押し勝っている間は上がりません]
[開いたとき、止めた側はもう一歩押し込まれます]
押し合い、ときた。
協会の講習では、教官から「角鹿の突進は正面で止めるな。横へいなせ」と教わった。だから人の盾役は押し合いをしない。さっきの盾のへこみは、いなしそこねて正面で受けた跡だ。
人形なら、押し負けても直せる。
人形は腰ほどの背しかないが、その力は体の重さでなく、込めるMPで決まる。踏ん張りだけなら、前衛の冒険者並みに出せる。
押し勝つ役はスタントさん。喉が開いた一瞬に拳を入れる役は、横に付けたADさん。
[次は、喉の開く高さをまとめましょうか?]
頼む、と打ち込む。
スキルの《収納》にしまっていたスタントさんを出し、通路が折れた先のまっすぐな所に、正面を向けて立たせた。ADさんはその右に、半歩下げて待たせる。
中間ボスのクモのときのように、ADさんを離れた立ち位置まで走らせなくていい。今日は最初から横に置いておける。
「朝比奈さんは、この曲がり角の陰で待っていてください」
「はーい」
今日も、返事だけはいちばん早い。
角鹿が出てくるまでの十数分で、俺の予定にない動きばかりが増えていった。
曲がり角の陰にいるはずの朝比奈さんは、脇の石柱の部屋に入りこんで、柱の陰から壁の白い筋を映していた。
「これ、たぶん角の跡です。高さ、わたしの腰くらい。……つまり、来たら腰です」
戻ってきたと思ったら、携帯食をかじっている。
俺は顔を動かさない。動かさないまま、心の中でだけ叫ぶ。曲がり角の陰って、言いましたよね、俺。
朝比奈さんが、自分の配信の画面をこっちへ向けてきた。
『スーツの人の顔』
『無表情でキレてる』
「柏木さん、顔って言われてます」
「生まれつきです」
通路の奥から、ひづめが石の床を鳴らす音がした。
朝比奈さんが携帯食をくわえたまま、俺の背中へ回る。
この2日で初めて、朝比奈さんが俺の後ろに入った。
暗がりから、灰色の獣が出てきた。子牛ほどの大きさで、額から枝分かれした太い角が張り出している。
盾をくいの形にへこませたのは、あれだ。
角鹿が角を下げた。
「スタントさん、受けてください。ADさんは、横で待機」
指を曲げる。人形は、俺の指の合図で動く。ここから先、画面は見ない。
角鹿が通路を走ってきた。
スタントさんが角の付け根に肩を当てて、正面から受ける。
鈍い音が、曲がり角に立つ俺の靴の裏まで響いた。
止まらない。
角鹿がひづめで石の床をかく。スタントさんは床の上を滑って、下がりはじめた。
一歩。また一歩。
スタントさんの色むらの背中が、こっちへ下がってくる。
「下がってくる、下がってきてます、柏木さん!」
背中で、朝比奈さんの声が裏返った。
角鹿は角を低く構えたまま上げない。押しているのは向こうだ。
このままだと、スタントさんごと、角がこの曲がり角まで来る。
いつもなら片方の人形を止めて、もう1体の操作に集中し直す。今は止めて考えている暇がない。その間に、受けている体ごと持っていかれる。
スタントさんの踏ん張りに、俺のMPを込めた。
体の中から、MPがごっそり抜けていく。
「スタントさん。押し返してください」
滑っていたスタントさんが止まり、足を据え直す。
押し返す。
角鹿はひづめで床をかいた。かいても、前へ出ない。
角鹿が、半歩下がった。
前脚が、浮いた。
角鹿が角ごと首を持ち上げる。角の下に、喉がのぞいた。
「ADさん」
指を、1回だけ曲げる。
横で待っていたADさんが、白い拳を喉に叩き込んだ。
その分、スタントさんがもう一歩押し込まれる。
角鹿はそのまま仰向けに倒れた。
宙をかいた脚ごと、光の粒になってほどける。
「止めた……止めたぁ!」
背中で、朝比奈さんが携帯食を落とした。
石の床に、魔石が1つ転がる。
スタントさんの肩を見た。3日前の修理配信で直した外板に、割れはない。
直した肩は、持った。
指を伸ばして、2体を休ませる。
2体を動かさなくてよくなって、やっと腕の画面を見られた。
『押し返した!?』
『講習の逆やってる』
『なんで知ってんの』
『修理配信の肩じゃん』
『生産スキル、仕事してる』
少し下へ流すと、話題はもう次へ移っていた。
『奥でも先回りかよ』
『鹿の魔石っていくら?』
拾い上げた魔石は親指の先ほどで、オークの魔石と同じくすんだ色をしていた。
オークの魔石は千円ほどだ。これは、それより少し高く売れる。
1回の押し合いで稼げたのは、家賃8万円の50分の1ほどだ。
夕方までに、同じやり方でもう11頭倒した。
【レベルアップ。Lv14からLv15になりました】
魔石は全部で12個になった。朝比奈さんと半分に分けても、昨日家賃を払ったあとの残高より多い。
久しぶりに、残高を見るのが怖くない。
◇
夕方、奥の区画から溜まり場へ戻る通路の入り口まで来た。MPはだいぶ減ったが、歩けないほどではない。
朝比奈さんは壁にもたれて、自分の配信の画面を見ていた。画面はこっちを向いたままだ。
『盾の子、後ろで見てるだけ』
『スーツの人に寄生してる』
『奥じゃ経験値入ってないだろ』
『盾、今日一回も使ってなくて草』
今日倒した12頭は、全部うちの2体が仕留めたものだ。
「あはは、言われてる。……次!」
朝比奈さんは笑って画面を流した。
笑ったまま、袖の安全ピンを外して留め直す。外して、もう一度留める。
俺は何も言わなかった。説教は裏方の仕事じゃない。
溜まり場へ歩きだしたところで、朝比奈さんが足を止めた。
「柏木さん。明日は、わたしが前に出ます」
振り返ると、黄色い矢印の入った朝比奈さんの大盾が、通路の幅いっぱいをふさいでいた。
「奥の、もっと大きいやつ。わたしの盾で止めます」
考えるより先に、俺は答えていた。
「……朝比奈さんが決めることなので」




