第11話 企画の日の昼に、中間ボスはもういない
大グモの頭の真下から、俺の人形2体が、左右逆へ同時に走り出した。
新宿ダンジョン第10層、中間ボスの広間。元の職場のアセントが、今夜ここで中間ボスを倒す企画を配信する日の、昼すぎだ。
俺は広間に入らず、入口のすぐ外から指を1回だけ曲げた。人形は俺の指の合図で動く。今の合図で、2体とも俺が止めるまで走り続ける。
色むらの人形、スタントさんは右へ。白い人形、ADさんは左へ。
この中間ボスのクモは、足もとの獲物が2つ逆へ逃げると固まる。AIに聞いたその弱点を、人形2体で作った形だ。
これで固まらなければ、別の手を試すMPは残っていない。
「割った!」
背中で、朝比奈さんの声が跳ねた。クモの真下にいた2体が、左右に割れて出たのだ。
入口の外の溜まり場から、自分の配信に向かって叫んでいる。
「見ました? あれ、わたしのやつです、わたしの!」
返事はできない。
2体から目を離せないし、頭の中は2体のことで埋まっている。
MPが一拍ごとに減っていくのが、こめかみの奥の重さで分かる。
石の床を蹴る2つの足音が、広間の両側の壁へ遠ざかっていく。
あと数歩で、2体ともクモの脚が届かない所へ出てしまう。出てしまえば、もう体の下へは戻せない。
8つの赤い目が動いた。
横一列の目が真ん中から割れる。左の4つがADさんを、右の4つがスタントさんを追う。
巨体はどちらへも向き直らない。
どちらを先に潰すか、決められずにいる。
前脚が2本、ゆっくりと持ち上がった。
持ち上がったまま、止まる。
固まった。
胴の前が沈んだ。
頭と胸の継ぎ目が、天井の暗がりから下りてくる。
見上げる高さにあった急所が、人形の背の高さまで。
指を曲げた。ADさんが走るのをやめ、向きを変えて駆け戻る。
行き先は、下りてくる継ぎ目の真下の床だ。ADさんが一撃を入れる場所として先に決めておいた、ADさんの立ち位置だ。
上がった前脚の片方がぐらりと右へ揺れた。
まだ走っているスタントさんのほうへ。
固まっていても、動くものには脚がつられる。
スタントさんを止めれば、広間で動くのは、立ち位置へ駆け戻るADさんだけだ。
そうなれば前脚は、ADさんのほうへ揺れる。継ぎ目の真下へ。
指をもう1回曲げれば、スタントさんは止まる。
止めない。
代わりに体を張るのが、スタントさんの係だ。
指を曲げて、スタントさんの向きを変えた。遠ざけもしない。前脚の先がぎりぎり届く所を、横へ走らせる。
「スタントさん、つないでください」
ADさんが立ち位置に入るまで、前脚を引きつけて間をつなげ、という合図だ。
前脚はスタントさんを追って、右へ流れた。
ADさんの立ち位置から、離れていく。
それでいい。
前脚の先が、走るスタントさんの肩をかすめた。
硬い音がした。外板の割れる音だ。
「柏木さん、肩――」
背中で、朝比奈さんの声が短く切れた。
スタントさんは止まらない。
その間に、ADさんが継ぎ目の真下へ滑り込んだ。
継ぎ目はもう、ADさんの拳が届く高さにある。
「ADさん。……はい、そこが立ち位置です」
指を1回だけ曲げた。
ADさんが、継ぎ目へ拳を突き入れた。
前脚が落ちる。
巨体が腹から石の床へ崩れていく。
床に着く前に、光の粒になってほどけた。
奥の暗がりに、魔石が1つ転がった。
◇
指を伸ばすと、2体はその場で止まった。
2体のことで埋まっていた頭に、急に余裕が戻ってくる。
そこでやっと、腕の画面に目を落とせた。読めなかった間のコメントが、ずっと上まで溜まっている。
『え、逃げた?』
『バラバラになった』
『人形が散った』
『待って止まった』
『クモが固まってる!?』
途中から、コメントの調子が変わっていた。
『なんで知ってんの』
『アセントが4人で引き返したやつだぞ』
『下見の斥候、脚やられてたよな』
『企画、今夜のはずじゃ』
『スーツ一人と人形2体で』
同時接続数はまだ伸びている。
2万。
コメントの流れがまた速くなり、見たことのない書き出しが混ざりはじめる。
『下見の切り抜きから来た』
『アセントのスレから飛んできた』
『盾の子の配信から来ました』
『アセント推しだけど、これは認める』
『企画の告知見て来たら終わってた』
2万7千。
3万1千。
アセントの公式配信がいつも出している3万を、俺の配信が抜いた。
会社を辞めて初めて配信した夜に、次の的だと決めた数字だ。
その夜の同時接続数は1,200。終わりの挨拶を言い切る前に、ドローンの電池が切れた。
腕の画面に触れようとして、汗で指を滑らせた。
「柏木さん! こっちも8千いきました、8千!」
背中から、朝比奈さんの声が飛んでくる。
こういうときに自分の数字を叫ぶあたり、この人はぶれない。
振り返ると、大盾の黄色い矢印の陰で、朝比奈さんが両手を振り回していた。膝がまだ少し笑っているのに、元気なものだ。
頭の中で、天の声が鳴った。
【レベルアップ。Lv12からLv14になりました】
【称号、番狂わせを得ました】
【称号、孤軍を得ました】
最後の孤軍の1行だけ、窓口の読み上げのような平らな声じゃない。天の声が、俺一人に向けて言ったように聞こえる。
お前は一人で戦った、と念を押すような。
なぜか腕の画面のAIに目が行った。一度だけ見て、それ以上は考えなかった。
◇
勝ちに浸る間もなく、MPがほとんど残っていないと体が言ってきた。こめかみの奥が、さっきよりずっと重い。
広間に入って、止まったままのスタントさんの肩を見る。割れ目は斜めに、肩の端まで走っていた。直すなら、半日仕事になる。
割れたのが肩でよかった。脚なら、今日は歩かせて帰れなかった。
外板1枚と半日の修理で、ADさんの一撃の場所を守れたなら、安い。
ただ、このMPで2体をもう一度動かすのは無理だ。動かない人形を連れて、Lv4の朝比奈さんと第10層から上がるのは、ただの帰り道では済まない。
今日の配信はここまでにする。
その前に、浮かせたままのドローンを見上げて、電池の残りを一度だけ確かめた。
半分以上ある。
足りる。
イヤホンに指を当てて、レンズに顔を向けた。
「本日は、中間ボスまでお付き合いいただき、ありがとうございました」
『おつ』
『初配信の「ま」で切れたの見てた』
『今日は「した」まで聞けた』
『おつ』
『おつかれ』
最後の一言まで、本番を撮りきれた。
配信を切る。同時接続数の最大は3万6千で止まっていた。
奥の暗がりまで歩いて、魔石を拾った。
溜まり場の壁際に座って、目薬を差す。MPが戻るまでは、ここで待つしかない。
待つ間も、指は腕の画面を叩いていた。
「なあ、人形の肩の外板が割れた。直し方は」
[いい質問ですね! 同じ厚さの板を割れ目の裏から当て、四隅をねじで留めれば直ります]
[次は、ねじの太さもまとめましょうか?]
頼む、と返す。その答えを最後まで読む前に、もう次の質問を入力していた。
「中間ボスの魔石って、いくらで売れる?」
[結論から言うと、1万円前後です]
この数日、2体でオークを狩った分に足せば、家賃に届く。それだけ分かれば十分だ。
そのあとも、帰りに寄る店や予備の板の値段を、続けて聞いた。返ってきた答えは、確かめもせずに、そのまま頭の中の計画へ書き足していく。
いちいち聞くの、面倒だな。
目薬をもう一度差して、次の質問を入力する。
◇
MPが少し戻ったころには、夕方になっていた。広間に置いたままだった2体を、壁際まで歩かせるくらいはできる。
隣で朝比奈さんが、膝を抱えて自分の配信のアーカイブを見返していた。画面の中で、2体が左右へ走っていく。もう何回目か分からない。
「柏木さん、ここ。ここ見てください」
朝比奈さんが画面を俺のほうへ傾けてくる。2体が左右へ分かれた所で止めてあった。
「わたし、盾が一枚じゃないですか。だから、片っぽずつしか押しのけられないんですよ」
「はい」
「柏木さんのは、二人いるから、真ん中からまっすぐ割れるんだ。……ずるいなあ」
「朝比奈さんのやり方を、借りただけです」
「知ってます。だから、ずるいんです」
言いながら、朝比奈さんは俺の袖を指でつかんだ。
画面からは目を上げない。つかんだことに、本人は気づいていない。
「次も、勝手に付いていきますから」
「……朝比奈さんが決めることなので」
「はい。もう決めました」
断る文句は、最後まで出てこなかった。
上の層から来る通路のほうで、重い足音がいくつも近づいてきた。
三脚のケースと、ケーブルの束を担いだ人たちだ。上着の背中に、見慣れたロゴがある。
この春まで俺がいた、アセントの配信制作部の人たちだ。夜の企画のために、機材を先に運び込みに来たらしい。
隣で朝比奈さんが俺の袖を離して、自分の袖の安全ピンを留め直した。アセントの養成所にいた朝比奈さんなら、毎日見ていた上着だ。
先頭の二人の話し声が、通路に響いてくる。
「止めろって連絡、結局来てないですよね」
「来てない。来てないなら運ぶしかないだろ」
俺も5年、そうやって運んできた。昼に何が起きたかは、あの人たちも配信で知っているはずだ。
先頭の一人が広間の入口から中をのぞき、手持ちの照明を奥へ向けた。
光は奥の壁まで届いて、そこで止まった。
暗がりには、何もいない。
照明を持った人は、腕を奥へ向けたまま下ろさない。
誰も、次の言葉を継がなかった。三脚のケースを担いだ人も、下ろすのを忘れている。
撮るはずだった相手がまるごと消えた現場の顔なら、俺はよく知っている。
その中の一人がこっちを向いた。
同じ年に入社して、研修で同じ日に冒険者証を取った、俺の同期だった。
同期は壁際のスーツの俺に目を止め、それから、横に立たせたADさんと、肩の割れたスタントさんへ目を移す。
気づいたら、立ち上がっていた。
「お疲れさまです」
頭まで下げていた。
同期は何か言いかけて、そのまま口を閉じる。
スタントさんは収納のスキルでしまい、ADさんは背負ってきたキャリーに入れる。朝比奈さんに目で合図して、上へ戻る通路へ歩き出す。
すれ違うとき、誰も道を塞がなかった。
角を曲がる前に、一度だけ振り返る。同期はスマートフォンを取り出していた。
「今の人たち、すごい顔してましたね」
朝比奈さんが声をひそめて言う。
さっきピンを留め直していた手で、もう大盾の縁を握っている。
「……そうでしたか」
「そうですよ。あと柏木さん、頭下げなくてよかったのに」
「癖なので」
◇
夜。協会の建物の買い取り窓口に、中間ボスの魔石を出した。
職員は端末で魔石と冒険者証を照らし合わせ、画面を一度確かめてから、新しい冒険者証を出してきた。
「おめでとうございます。Dランクです」
「ありがとうございます」
新しい冒険者証では、ランクの欄がFからDに替わっている。
研修で取ってから5年、一度も替わらなかった字だ。替わるのに、窓口で数秒しかかからなかった。
魔石の代金を足して、月末の家賃の分がそろった。
「これで1週間は出ませんね、あのクモ」
職員が、端末の画面を閉じながら言った。
俺の家賃が間に合った日に、向こうの企画は飛んだわけだ。
腕の画面を開くと、チャンネルの登録者数は15万に届いていた。その下に、アセントの公式の投稿が流れてきている。
『本日予定しておりました新宿ダンジョン第10層の企画配信は、延期とさせていただきます』
新しい冒険者証のDの字と、その1行を並べて見る。
延期の理由はどこにも書いていない。
もう投稿の下に、返信が並びはじめていた。古いゲームの、データが消えたときの文句をもじったものまである。
『昼に倒されたからだろ』
『スーツの人に先越されてて草』
『おきのどくですが こんやの きかくは きえてしまいました』
『今夜の枠、何流すんだよ』
『アセント、これどうすんの』
どうするのかは俺にも分からない。
夕方、広間の前で俺に気づいた同期の、スマートフォンを出す手を思い出す。誰に送ったのかは知らない。
次は、アセントが向こうから来る。
そのときも、俺は頭を下げるのか。
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次回から第2章が始まります。




