第10話 真ん中に入って、左右に割る
「わたしも行きます。広間には入らずに、外からわたしの配信で実況します。
もう決めました」
協会の建物に入ってすぐのゲートの前で、黄色の矢印の大盾が俺の行く手をふさいでいた。
今日はアセントの企画の日だ。看板パーティの4人が、第10層の中間ボスを夜の生配信で倒す。
ところが4人は昨日の下見で引き返した。糸に絡められた斥候を引きずり出して、ほうほうの体で帰ってきたと、掲示板に出ていた。
それでもアセントの公式アカウントは、企画は予定どおりと告知している。上が数字を見ているときの書き方だ。
中間ボスは倒されると、1週間ほど現れない。アセントにいた5年で、撮影の予定表に何度も書き込んだ数字だ。
「……すみません、確認ですが。いつから、ここに」
「8時です」
今は11時の少し前だ。
3時間、ゲートの前で盾を抱えて立っていた計算になる。
「連絡先、交換しましたよね」
「しましたけど。連絡したら、柏木さん、断るじゃないですか」
断る。たぶん、丁寧に。
だから連絡せずに、先に来て待つ。相談を飛ばして、決めたあとで報告に来る。報連相の、連と相がまるごと抜けている。
「第9層の横穴の録画、見ました。掲示板も。
柏木さんが行くなら、今日の昼だと思ったんです。夜にはアセントが来ちゃうから。
今日にしたの、わざとですか」
見抜かれている。
昼のうちに倒せば、今夜の企画は1週間先まで流れる。知っていて、今日にした。
「わざとです」
朝比奈さんは口を、あ、の形に開けたまま固まった。
それから、にやっと笑った。
「ボス部屋に挑めるのは1組ずつで、ほかの人は入口の外で待つ決まりですよね。だから、外です。
見たいだけです。柏木さんが、アセントの逃げた相手とどうやるのか」
見たいだけ、という顔ではない。盾の持ち手を握る指が白くなっている。
それでも、帰れとは言えなかった。言ったところで、この子は一人で下りてくる。
「朝比奈さんが決めることなので、私からは何も。道中は、私のすぐ後ろを歩いてください」
「はい!」
返事だけはどの新人より早い。
Lv4の盾使いを第10層まで連れていく予定なんて、今朝立てた計画には一行もなかった。
◇
第10層までは、主要な通路を50分ほどかけて下りた。俺の背中のキャリーには2体目の人形のADさん、その真後ろに朝比奈さん。
朝比奈さんは言われたとおり、一度も俺の前に出なかった。こんな朝比奈さんは、たぶん今日しか見られない。
広間の手前で通路が広がり、床の踏み固められた溜まり場になっている。溜まり場の突き当たりが広間の入口で、第11層への階段は広間の奥にある。
誰もいない。機材の箱ひとつ、まだ置かれていない。
夕方になれば、アセントの制作が機材を担いでここへ来る。照明を立て、ケーブルを這わせて、今夜はこの溜まり場が撮影の現場だ。
照明とケーブルの組み方なら、目をつぶってもできる。この春まで、組む側にいた。
◇
溜まり場の壁際に腰を下ろして、作戦を組みはじめた。
中間ボスがその場で固まる条件は、前にAIから聞いてある。足もとで、小さな獲物2つが逆の向きへ同時に逃げること。獲物の役は、腰ほどの背丈の人形2体にやらせる。
問題はクモの足もとまで行けるかどうかだ。
昨日の下見では、振り回した脚が広間の幅いっぱいを薙いでいた。看板パーティの盾役は、それで盾ごと後ろへ下がらされた。
薙ぎ払いが来たら下がる。冒険者なら誰でもそう教わるし、俺が組んでもそうなる。
下がれば、近づけない。
そこで、第5層の部屋が頭に浮かんだ。
ゴブリンに囲まれた盾使いが、下がらずに、群れの真ん中へ飛び込んでいった。囲まれるなと教わったはずの子が、盾ごと。
その子は今、隣で盾の矢印の剥げた所を指でこすっている。
腕の画面のAIに聞いてみる。
「なあ。あのクモの脚の内側って、どうなってる? 体の真下まで、薙ぎ払いと糸は届く?」
[いい質問ですね! 結論から言うと、届きません]
[脚を広げた体の下は、大きなテーブルの下のように空いています。人形の背なら入れます]
そのあとも、条件の細かいところを何度か確かめた。逆へ走らせる向きと、2体をどこに置けば揃ったことになるか。答えは毎回、同じ明るさで返ってきた。
2体が広間に入れば、動かすので手いっぱいになって、もう聞けない。
[次は、今日の配信に付ける題の案をまとめましょうか?]
題なら、もう決めてある。
返ってきた答えを、頭の中で作戦に並べていく。撮影の前の晩に、分刻みの予定を組んでいたのと同じやり方だ。
2体を置くのはクモの顔の真下だ。1体だけ背後へ回す手は使えない。回せばクモは体ごと向き直って、条件が崩れる。
作戦の中でまだ決まっていないのは、2体が脚の内側へ入る間合いだけだった。
朝比奈さんが盾をこする手を止めて、こっちを見ていた。
「第5層で群れに飛び込んだ、朝比奈さんのやり方。お借りします」
「え」
「真ん中に入って、左右に割ります。人形2体で」
朝比奈さんは目を丸くして、それから胸を張った。
「それ、わたしのやつです」
「はい。なので、先にお断りをと思いまして」
「……いいですよ。貸します。でも、入るなら」
朝比奈さんは盾を床に立てて、持ち手を握り直した。
「相手が振りかぶったときです。振り終わってからじゃ、遅いです。
次のが来るので」
「振りかぶった、そのときに。前へ、ですか」
「前へ、です。……怖いですけど。怖いから、先に入るんです」
最後まで決まらなかった間合いが、その一言で決まった。
俺の組み方なら、振り終わりを待っていた。待っていたら、2体は次の一振りの真ん中にいる。
朝比奈さんは俺のスーツの袖へ手を伸ばしかけて、止めた。
指先は袖に触れる前に引っ込んで、自分の袖の安全ピンを留め直している。
◇
入口は扉がなく、2人並んで通れるほどの幅だ。その向こうに、天井の高い広間が奥の暗がりまで続いていた。
俺は入口のすぐ手前、溜まり場の端で足を止めた。
広間には入らない。
撮影の現場でも、指示を出す人間は舞台の袖にいる。ここからなら、奥の暗がりの手前まで、2体から目を離さずに済む。
数歩後ろの溜まり場で、朝比奈さんがドローンを上げた。
「こんにちは! 今日は第10層の、ボス部屋の前から実況します。
……え、300人? 多くないですか」
いつもより半音高い声だ。
カメラの前の強がりは溜まり場でも変わらない。
俺も配信をつけた。配信の題には新宿ダンジョン第10層と入れてある。
1体目の人形のスタントさんを収納から出し、ADさんをキャリーから降ろして、2体を入口の前に立たせた。関節が2つ分、小さく鳴った。
左耳のイヤホンに指を当てる。薄暗い入口で、腕の画面だけが白く光っている。
広間の奥の暗がりで、赤い点が灯った。
横一列に、8つ。
中間ボスの目だ。うずくまったまま、入口のこちらを見ている。
昨日、アセントの4人はこの目の前から引き返した。
向こうも、こっちの立ち位置を確かめているらしい。
2体はまだ構えているだけだから、今ならコメントが読める。
『中ボスじゃん』
『アセントが逃げたやつ』
『一人で来たの?』
『バカだろ』
『無理だって』
同時接続数は、つけたばかりで1万2千を越えていた。
横穴の録画を見た人たちが、そのまま流れてきている。
『人形2体で中ボスは無理』
『昨日の下見見た?』
『盾ごと下げられてたぞ』
『4人で無理なのに』
無理だという声が画面の半分を埋めている。
俺がやることは、昨日の4人と同じ部屋で、同じ相手を見に行くことだけだ。違うのは、入るのが人形だということと、俺が袖にいることくらいか。
腕の画面から目を上げて、ドローンのレンズに顔を向けた。
「お待たせしました。新宿ダンジョン、第10層。お相手は、中間ボスのクモさんです」
『律儀か』
『クモにさん付け』
『ドーモ、クモ=サン。スーツです』
『いいから逃げろって』
司会の声を出すと、膝の震えが少し収まる。
現場で覚えた、自分の落ち着かせ方だ。
「スタントさん、ADさん。広間に入ります」
指を2回動かすと、2体は並んで広間へ歩き出した。
ここから先、画面は見ない。
色むらのある背中と、白一色の背中が、赤い目のほうへ遠ざかっていく。
入口から、広間の中ほどまで。
2体の足音しか聞こえない。
広間の中ほどで、暗がりが持ち上がった。
大人の背丈の倍ほどある胴が、脚を広げて立ち上がる。広げた脚の先は、広間の両側の壁に届くほど遠い。
前脚の1本が高く上がった。
振りかぶった。
2体は下がらない。
低く、前へ。
脚の内側へ、体の下へ、飛び込む。
2体の頭の上で、脚が空を切った。
巻き上がった風が、入口の手前に立つ俺の前髪まで届く。
「入った! 入りました! 下です、クモの真下!」
背中で、朝比奈さんが自分の配信に叫んでいる。
8つの赤い目が左右に揺れた。足もとに消えた2体を探している。
ADさんは頭の下に、スタントさんはそれより奥の、腹の下にいる。
一斉に、クモの脚が折れた。
腹が、下りてくる。
テーブルの天板の、後ろ半分が落ちてくるように。
聞いていない。
腹を落とす手なんて、AIからは聞いていない。
2体を同時に動かすだけで、頭は手いっぱいだ。片方を止めて、考える余裕を作る。
「ADさん、押してます」
撮影の現場で予定の遅れを言う言葉で、俺には人形を1体止める合図だ。
頭の下で、ADさんが構えたまま止まった。
スタントさんを腹の後ろへは逃がせない。1体だけ背後へ出れば、クモは向き直る。
クモはまだ頭を上げている。8つの目で2体を探すために。
頭の下なら、空いている。
「スタントさん、前へ。急いで」
スタントさんが、落ちてくる腹の下から前へ駆け抜ける。
ADさんの隣に、滑り込んだ。
腹が、スタントさんのいなくなった床を打った。
重い音が石の床を伝って、入口の手前に立つ俺の靴の裏まで来た。
「きゃ――いない、潰れてない! いますいます、頭の下に2体とも!」
背中で、悲鳴がそのまま歓声に変わった。
腹を持ち上げたクモが、何もない床の上をゆっくり見回している。
◇
2体はクモの顔の真下に並んで、構えたまま止まっている。
手が止まって、やっと画面を見られる。
読んでいない間に、コメントは何百件も流れていた。遡ると、始めのほうはこうだ。
『潰れる』
『あ、終わった』
『脚来るぞ』
『見てらんない』
途中から、向きが変わっている。
『当たってない』
『え、下にいる』
『腹も外した』
『アセントのときと全然違う』
『なんで潰れないの』
同時接続数。
つけたときは、1万2千。
今は、2万。
まだ上がり続けている。
それでも、アセントが昨日の下見で出した2万5千には届かない。
「5千……え、うちが5千? 柏木さん、わたしの方まで来てます!」
背中の声が、自分の画面と俺の背中を行ったり来たりしている。
人の配信の数字まで連れていく現場は、俺も初めてだ。
人形は、構えさせておくだけでも1分ごとにMPを食う。そのMPが、もう残り少ない。
左右に走らせて、ADさんに一撃を入れさせれば、それで底をつく。
決めの一手に使えるのは1回分だけだ。
8つの目はまだ広間の床を探していて、真下の2体には向いていない。
背中で、朝比奈さんの実況が途切れた。何か言いかけて、飲み込んだ気配がする。
イヤホンに指を当てたまま、2体に向けて指を構えた。2体を左右へ逆向きに走らせる合図は、決めてある。
残りは、1回分。
外せば、夜にはアセントが来る。
「次、入ります」




