第6話「鋼鉄と虚無、極限の激突」
オークヘイヴンの空が、血のような赤に染まった。
中央区画の地面が――崩壊したのだ。
ただ巨大な足音が大地を震わせたわけではない。
そこに存在するだけで周囲を圧し潰すほどの――
圧倒的な存在感。
化石化した中央塔の頂上から、一つの巨大な影が飛び降りた。
三十メートル。
その巨体が落下する。
そして――
隕石のような衝撃とともに広場へ激突した。
*ドゴォォォォンッ!*
ルーン石の粉塵が竜巻のように舞い上がる。
風が晴れた時――
そこに立っていたのは。
**傭兵王バルタザール。**
鉄のタイタン。
その身長は五メートルを超えていた。
身体そのものが、鈍い灰色の金属合金で構成されている。
その表面には、黄金色の魔力が血管のように走っていた。
そして――
その周囲を取り囲む二十人の《鉄の衛兵》。
様々な種族から選抜された精鋭たち。
全員が強化された重装鎧を身につけ、巨大なタワーシールドを構えている。
完璧な包囲陣。
逃げ道はなかった。
「――誰が、タイタンの領域を侵した?」
バルタザールの声が響く。
まるで二つの大陸そのものが衝突したかのような轟音だった。
青白い粉塵の向こう。
バルタザールの青銅色の瞳が――
トムを捉える。
トムは二体の自動人形の残骸の上に立っていた。
身体には、先ほど吸収した原初魔力結晶の青い光が淡く残っている。
その背後。
ニクスは倒れた柱の陰に身を縮め、両手で耳を塞いでいた。
タイタンが放つ精神的圧力だけで、意識を保つのがやっとだった。
「……人間?」
バルタザールの重い金属製の眉が僅かに動く。
古代から続く侮蔑が、その瞳に浮かんだ。
「貴様が、私の原初機兵を破壊したのか?」
一歩。
タイタンが前へ出る。
「答えろ、小僧」
「誰に送り込まれた?」
「天聖国か?」
「それとも――竜帝国か?」
トムはゆっくりと姿勢を整えた。
全身を巡る純粋な魔力。
その流れは完璧だった。
*【現在魔力:100%】*
「誰にも送られていない」
トムは淡々と答える。
「ただ、あんたの機械の魔力核が欲しかっただけだ」
そして――
バルタザールを見る。
「でも、わざわざ本人が来てくれたなら……」
冷たい瞳が細くなる。
「お前のほうが、ずっと濃いエネルギーを持ってそうだ」
鉄の衛兵たちが息を呑んだ。
誰も――
オークヘイヴンでバルタザールにそんな口を利いた者はいない。
「……傲慢な虫め」
バルタザールが低く唸った。
「《鉄の衛兵》!」
二十人の兵士が一斉に武器を構える。
「侵入者を処刑しろ!」
「四肢を切り落とし、その首を塔へ運べ!」
「――了解ッ!」
二十人の精鋭が、一斉に前進した。
前列にはミスリル製の槍兵。
後列には戦闘魔術師。
魔術師たちが同時に詠唱を開始する。
防御結界。
拘束魔法。
そして――
重力制御術式。
完璧な戦闘陣形。
だが――
トムは一歩も退かなかった。
*【現在魔力:100%】*
魔力が完全に満ちている。
その状態で見る世界は――
まるでスローモーションだった。
トムはもはや、盗んだ武器を使うだけの生存者ではない。
それは――
完全な殲滅の嵐。
「――影歩。」
*BOOM!*
トムの姿が消えた。
次の瞬間。
二十人の陣形の――
ど真ん中。
トムが現れた。
先頭の槍兵が振り向くより早く。
トムは右手を開く。
魔力を一点へ集中。
そして――
重装兵の胸部へ掌底を叩き込んだ。
*CRACK――THUD!*
ミスリル製の鎧が――
内側へ陥没した。
その衝撃だけで、内部の肋骨が粉砕される。
男が崩れ落ちる。
トムは倒れた兵士の巨大な槍を奪った。
そして――
身体ごと回転する。
*ブォンッ!*
槍が三百六十度の円を描いた。
純粋な魔力を纏った刃が――
タワーシールドを切り裂く。
喉を裂く。
魔法杖を断ち切る。
まるで藁を切るように。
血と魔力の火花が広場へ飛び散った。
一人。
二人。
三人。
――次々と倒れていく。
二十秒。
それだけだった。
わずか二十秒で――
オークヘイヴンが誇る《鉄の衛兵》は。
無残な死体と、砕けた鎧の山へと変わった。
「無駄だ!」
バルタザールが吠える。
「すべて……無駄だというのかッ!」
怒りが驚きを上回った。
鉄のタイタンが一歩前へ出る。
*ズン……!*
地面が沈む。
全身を流れる黄金の魔力が――
一気に爆発した。
*ゴォォォォォッ!*
巨大な光柱が天へ伸びる。
バルタザールが拳を握り締める。
その拳を覆うのは――
タイタンの絶対魔術。
**《タイタニック・ジャッジメント》――**
*巨神裁剣。*
攻撃そのものが、概念化された破壊。
その圧力だけで、広場を囲む建物の壁がひび割れ始める。
屋根が崩れる。
石壁が砕ける。
ただの余波だけで――
街そのものが悲鳴を上げていた。
「塵となれッ!」
バルタザールが拳を振り抜く。
トムへ――
真正面から。
巨大な拳が迫る。
その拳だけで、広場全体を覆い尽くすほどの大きさ。
速度も――
巨体からは想像できないほど速い。
地面からの回避経路は、すべて塞がれている。
空気そのものが圧縮される。
身体を動かすことすら困難。
距離――二メートル。
物理圧力――山を一撃で平らにできるレベル。
地上からの回避経路――ゼロ。
その瞬間。
トムの前髪の下で――
左眼が完全に開いた。
機械仕掛けの時計のような銀色の虹彩が――
カチリ。
音を立てる。
歯車が――
逆回転を始めた。
**【眼力:0.005ミリ秒先予知】**
世界が――
停止した。
トムの世界だけが。
その極限の一瞬。
彼には見えていた。
バルタザールの拳が地面へ到達する瞬間。
その衝撃によって発生する、内部魔力爆発。
そして――
タイタンの金属合金に存在する唯一の死角。
**《起源核》――**
後頭部。
三枚の関節装甲の奥。
そこだけが――
完全な無防備だった。
*――瞬間転移。*
*FLASH!*
魔力消費。
――一瞬。
あまりにも凄まじい消費だった。
*【残存魔力:6%】*
全魔力の九十四パーセントが――
一瞬で消滅する。
脳を引き裂くような激痛が走った。
視界が揺れる。
それでも――
結果は完璧だった。
バルタザールの拳が、トムのいた場所を直撃する。
*BOOOOOOOOM!*
広場中央が完全に吹き飛ぶ。
地面が陥没する。
深さ――二十メートル。
しかし。
拳の下に――
人間の死体はなかった。
「……何だと?」
バルタザールの青銅色の瞳が見開かれる。
その時。
金属の耳元から――
冷たい声が聞こえた。
「……こっちだ」
トムは――
タイタンの肩の上に立っていた。
「上だ」
残された六パーセント。
それすべてを――
右手の二本の指先へ集中させる。
槍のように伸ばした指。
そして――
トムは、バルタザールの後頭部へ手を突き込んだ。
*SHLACK!*
強化された鉄合金が――
紙のように貫かれる。
指が装甲の奥へ潜り込む。
そして――
掴んだ。
黄金色に輝く巨大な宝石。
五百年を生きたタイタンの生命力そのもの。
**《起源核》――**
「な……」
バルタザールの声が震える。
「ま……待て……」
初めてだった。
この五百年の生涯で――
死というものを、真正面から感じた。
「慈悲を……!」
タイタンの声が掠れる。
「街をくれてやる!」
「金もすべてくれてやる!」
「だから――!」
トムの瞳には――
何もなかった。
怒りも。
喜びも。
哀れみも。
人間らしい感情すら。
「街なんていらない」
トムは静かに言った。
「俺が欲しいのは――」
握った起源核を見る。
「この世界が燃え尽きるところを見ることだけだ」
*CRUNCH!*
拳が閉じる。
黄金の核が――
砕けた。
*パキィィィンッ!*
バルタザールの口から声にならない咆哮が漏れた。
青銅色の瞳から――
光が消える。
身体を走っていた黄金の魔力が停止する。
巨大な鉄の身体が――
支えを失った。
ゆっくりと前へ傾き――
そして。
*ドゴォォォォンッ!*
瓦礫の上へ倒れ込んだ。
オークヘイヴンが――
静寂に包まれる。
トムは倒れたタイタンの背中から飛び降りた。
そして――
地面へ着地する。
*ドスッ。*
だが。
膝が僅かに震えた。
「……ッ」
トムは口元を押さえる。
そして――
少量の血を吐き出した。
*【残存魔力:6%】*
身体が再び鉛のように重くなる。
眼力による負荷が、意識を闇へ引きずり込もうとしていた。
それでも――
トムの壊れた精神は、意識を手放さない。
「……まだだ」
小さく呟く。
その時。
瓦礫の陰から――
ニクスがゆっくりと姿を現した。
彼女は、倒れた傭兵王を見つめる。
そして――
崩壊した中央区画を見る。
中央混沌領域最大の中立都市。
何世紀にもわたって秩序の砦として存在していたオークヘイヴン。
それが――
たった一人の人間によって。
一日のうちに――
首を刎ねられた。
「……これから……」
ニクスの声が震える。
「私たちは……どうすればいいの?」
恐怖。
そして――
狂気じみた畏怖。
その両方が混ざった声だった。
トムは答えない。
三つの月に照らされた地平線を見る。
その向こう。
エルフ。
ドラゴン。
天使。
それぞれの帝国の国境が見えていた。
「オークヘイヴンは落ちた」
トムが静かに言う。
顎についた血を拭う。
「数時間もすれば、すべての大勢力が知る」
「王座が――空いたことをな」
トムの口元が僅かに歪む。
暗い笑み。
「奴らは必ずここへ来る」
「この場所を奪うために」
そして――
その笑みが、ゆっくりと深くなる。
「来させればいい」
「混沌は――」
トムは崩壊した街を見つめた。
「今、始まったばかりだ」




