第五話 朝の違和感
ピピピピピ……
静かな部屋に目覚まし時計の音が響く。
「……ん。」
リノは布団を頭までかぶり、小さく唸った。
「あと五分……。」
手探りで目覚ましを止める。
部屋は再び静かになった。
――数分後。
「……。」
リノはゆっくりと目を開ける。
枕元の時計へ目を向けた。
「…………。」
固まる。
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
勢いよく飛び起きた。
「寝すぎたー!!」
ベッドから飛び降り、制服へ袖を通す。
小さな部屋には必要最低限の家具しかない。
ベッド。
机。
椅子。
棚には教科書が整然と並び、机の引き出しには一枚の古びた家族写真が大切にしまわれていた。
リノは引き出しを少しだけ開き、その写真を見つめる。
「今日はごめんね、お母さん。」
小さく笑うと、写真を戻した。
「今日は絶対、手掛かり見つけるから!」
部屋を飛び出す。
廊下には、朝の放送が流れ始めていた。
『起床時刻は終了しました。朝食は十分以内に済ませ、始業までに教室へ移動してください。』
「朝ご飯はいらない!」
リノは放送を聞き流し、そのまま走り出した。
向かう先は教室ではない。
昨日見つけた、あの壁だった。
人気のない廊下。
リノは何度も周囲を確認する。
「……誰もいない。」
指先を小さく傷つける。
滲んだ血で壁に円を描いた。
壁の向こうがぼんやりと透ける。
「よし。」
壁をすり抜ける。
カチッ。
重い音と共に地下への扉が開いた。
「今日は確認だけ!」
リノは階段を駆け下りる。
昨日見つけた鉄の扉。
『特別実験区画』
プレートの横には、小さな鍵穴があった。
「やっぱり鍵がいるんだ。」
しゃがみ込み、床や壁を見渡す。
目につく範囲を素早く確認する。
何もない。
「そんな簡単には見つからないか。」
その時、本棟全体に予鈴が鳴り響いた。
「しまった!」
リノは慌てて立ち上がる。
「今日はここまで!」
来た道を全力で駆け上がった。
壁をすり抜け、廊下へ戻る。
「間に合って……!」
そう呟いた瞬間だった。
「雨宮。」
「ひゃっ!」
驚いて振り返る。
そこには悠が立っていた。
「先生!」
悠は静かにリノを見る。
「ここで何をしていた。」
リノの心臓がどくんと鳴る。
落ち着け。
深呼吸。
「えっと……。」
数秒考えたあと、リノはいつもの笑顔を浮かべた。
「散歩!」
「建物の中をか。」
「朝は廊下を歩くと気持ちいいんだよ!」
悠はリノの後ろにある壁へ目を向ける。
何の変哲もない壁。
傷一つない。
「……そうか。」
短く答える。
「始業まで三十秒。」
「えっ!?」
「一分前には教室へ来い。って言わなかったか?」
「気をつけます!」
「返事だけは立派だな。」
「先生、それ褒めてる?」
「褒めてない。」
「えー!」
リノは笑いながら走り出す。
「急ごう、先生!」
悠も静かに歩き始めた。
(昨日も今日も……。)
悠は歩きながら考えていた。
昨日は知りえないはずの場所を指差し、今日は壁の前にいたリノ。
壁には何もない。
自分が見ても、ただの壁だった。
(何かあるのか……?)
小さな違和感だけが胸に残る。
それ以上は考えなかった。
今は教師として、生徒を教室へ連れて行くことが先だ。
◇◇◇
教室。
生徒たちはすでに席へ着いていた。
誰一人として話していない。
張りつめた空気。
リノだけが、その異様な空気に首をかしげる。
「今日も静かだね。」
返事はない。
悠は教壇へ立ち、試験用紙を持ち上げた。
「本日は月例試験を行う。」
その一言で、教室の空気がさらに重くなる。
リノは周囲を見回した。
みんなの表情は硬い。
鉛筆を持つ手が震えている生徒もいた。
(そんなに怖い試験なの……?)
まだ、この街へ来たばかりのリノには分からなかった。
この試験が。
たった一点で命を奪う試験だということを――。




