第四話 秘密の続き
「しまった!」
リノは地下通路を全力で駆けていた。
授業開始を告げる予鈴が校舎中に響く。
「急げ急げ急げ!」
階段を駆け上がり、重い鉄の扉を閉める。
最後にもう一度だけ振り返った。
暗い地下。
その奥にある『特別実験区画』。
「絶対また来るから。」
小さく呟き、リノは走り出した。
◇◇◇
教室へ続く廊下。
角を曲がった瞬間だった。
「……間に合った。」
ほっと息をついたリノの前に、一人の青年が立っていた。
担任教師、悠だった。
腕を組み、静かにこちらを見ている。
「開始三十秒前だ。」
「えへへ……。」
リノは頭をかく。
「間に合ったからセーフ!」
「セーフじゃない。」
悠は淡々と言った。
「次からは一分前には教室へ来い。」
「三十秒しか違わないよ?」
「三十秒も違う。」
「うぅ……。」
リノは少しだけ頬を膨らませる。
「先生って真面目。」
「教師だからな。」
「かたいなぁ。」
そう言って笑うリノを見て、悠は小さくため息をついた。
「教室へ入るぞ。」
「はーい!」
二人は並んで教室へ入った。
いつもと変わらない教室。
誰も話さない。
誰も笑わない。
静まり返った空間の中で、リノだけが明るく席へ座る。
「おはよう!」
近くの男子生徒へ笑いかける。
男子生徒は少し驚いたように目を丸くし、小さく会釈を返した。
それだけだった。
それでもリノは嬉しそうだった。
(少しずつでいい。)
(この街のみんなに笑ってほしい。)
そんなことを考えながら椅子に座る。
◇◇◇
授業が始まる。
悠が黒板へ文字を書いていく。
難しい数式。
リノもノートへ書き写す。
だが、頭の片隅には地下のことが残っていた。
(特別実験区画……。)
(あの先には何があるんだろう。)
(お母さんの病気と関係あるのかな。)
(もしかしたら……。)
「雨宮。」
「はい!」
突然名前を呼ばれ、リノは勢いよく立ち上がった。
教室中の視線が集まる。
「今の説明、聞いていたか。」
「……。」
一瞬だけ固まる。
しまった。
地下のことを考えていた。
「えっと……。」
悠は小さく息を吐く。
「座れ。」
「ご、ごめんなさい。」
リノは素直に頭を下げた。
教室の空気が少しだけ和らぐ。
誰かが小さく笑った気がした。
ほんの一瞬だけ。
昼休み。
リノは一人、窓から街を見下ろしていた。
高い壁。
監視塔。
灰色の建物。
「絶対に出る。」
小さく呟く。
「みんなで。」
その言葉は誰にも届かない。
◇◇◇
放課後。
帰ろうとしたリノを悠が呼び止めた。
「雨宮。」
「はい?」
「今日の授業中、集中していなかったな。」
「……ばれた?」
「教師だからな。」
リノは照れ笑いを浮かべる。
「ちょっと考え事!」
「考え事で命を落とす街だ。」
悠の声は静かだった。
「授業中は授業だけ考えろ。」
リノは少しだけ真剣な顔になる。
「うん。」
そしてすぐに笑った。
「でも先生。」
「なんだ。」
「考えたいことって、止められないよね。」
悠は答えなかった。
リノは軽く手を振る。
「また明日!」
元気よく走り去っていく。
その背中を見送りながら、悠は小さく呟いた。
「……考え事、か。」
あの少女は何かを隠している。
そんな気がした。
だが、その秘密を暴こうとは思わなかった。
まだ、その必要はない。
その夜。
消灯時間。
誰もが眠りにつく中、リノだけは静かに天井を見つめていた。
脳裏に浮かぶのは、地下で見た文字。
『特別実験区画』
「明日。」
布団の中で小さく拳を握る。
「続きを見つけよう。」
窓の外では、月明かりが第零学園都市を静かに照らしていた。
その光は、誰にも知られていない地下の扉にも、静かに降り注いでいた――。




