第三話 地下の奥
重い鉄の扉が、ゆっくりと開いていく。
ギギギ……
長い年月、誰にも開けられることのなかった扉。
リノは息を呑んだ。
「……入れる。」
扉の向こうは真っ暗だった。
湿った空気が流れ出てくる。
どこか薬品のような匂い。
どこか懐かしいような匂い。
「ここ……。」
リノは小さく呟いた。
「知ってる気がする。」
もちろん、覚えているはずがない。
この街にいた頃、リノはまだ赤ちゃんだった。
それなのに。
胸の奥がざわつく。
◇◇◇
リノは懐中電灯を取り出した。
細い光が暗闇を照らす。
そこは長い通路だった。
左右には無数の扉。
一枚一枚に番号が書かれている。
001
002
003
……
数字は奥へ続いていた。
「研究室……?」
そっと一枚目の扉を開ける。
ギィ……
中には何もない。
壊れた机。
倒れた椅子。
散らばった紙。
それだけだった。
◇◇◇
二つ目。
三つ目。
どこも同じ。
何年も前に放棄された部屋ばかり。
「何もないなぁ。」
リノは頭をかいた。
その時。
カタン。
小さな音。
リノは振り返る。
誰もいない。
「……気のせい?」
そう言いながら歩き出す。
しかし。
また。
カタン。
今度は確かに聞こえた。
リノは音のした方へ懐中電灯を向ける。
何もない。
ただ、床に一冊の絵本が落ちていた。
◇◇◇
リノはしゃがみ込む。
表紙は破れている。
タイトルも読めない。
開いてみる。
最初のページ。
子どもの字で書かれていた。
『みんなで、おそとへいこう。』
リノは少し笑う。
「絵本に落書きしちゃダメなのに。」
ページをめくる。
次のページは破れていた。
その次も。
その次も。
最後のページだけ残っている。
そこには。
『ぜったい、あきらめない。』
たった一文。
リノはその文字を、しばらく見つめていた。
「……うん。」
誰に返事をしたのか。
自分でも分からなかった。
◇◇◇
さらに奥へ進む。
通路の突き当たり。
大きなガラス窓。
向こう側には広い部屋が見えた。
そこには、小さなベッドが何十台も並んでいる。
どれも子ども用だった。
リノは思わず息を呑む。
「ここ……。」
その時。
ガラスに自分の姿が映る。
いや。
違う。
一瞬だけ。
もう一人、小さな子どもが立っているように見えた。
振り返る。
誰もいない。
もう一度ガラスを見る。
「……見間違い?」
首を傾げる。
でも、不思議と怖くはなかった。
◇◇◇
帰ろう。
そう思った時だった。
壁が目に入る。
何もない灰色の壁。
リノはゆっくり近づいた。
「もしかして。」
指先を少しだけ傷つける。
赤い雫が壁へ落ちる。
すると。
壁の向こうが、ぼんやりと透けた。
「あった。」
小さな通路。
さらに奥へ続いている。
その先に。
鉄のプレート。
光が反射して文字は読めない。
リノは周囲を見渡す。
誰もいない。
そっと腕を壁へ入れる。
するり。
向こう側へ届く。
指先がプレートの汚れを払う。
そこに刻まれていた文字は――
『特別実験区画』
リノの笑顔が消えた。
「……実験。」
その言葉だけが、胸に重く響く。
その瞬間。
遠くから、鐘の音が鳴り響いた。
授業開始まで、あと五分。
「しまった!」
リノは慌てて壁から手を抜く。
「続きは……また今度!」
そう言って駆け出した。
誰もいない地下に、足音だけが響いていく。
そして。
リノが気づかなかった壁の向こう。
暗闇の奥で。
小さな赤いランプが、一つだけ静かに灯った。




