第十話 写真
朝。
カーテンの隙間から差し込む光で、リノはゆっくり目を覚ました。
「……朝か。」
昨日は結局、ほとんど調べることができなかった。
黒いフードの少年。
「帰れ。」
「気をつけろ。」
あの言葉が頭から離れない。
制服へ着替え、胸ポケットへ手を伸ばす。
そこには少し角の折れた家族写真。
「今日も一緒に行こう。」
優しく微笑み、胸ポケットへしまう。
(今日は地下へ行けないかな……。)
先生にも少し怪しまれ始めている。
焦って動くわけにはいかない。
◇◇◇
教室。
授業が始まる。
悠は教壇に立ちながら、ふとリノへ視線を向けた。
昨夜。
黒いフードの少年。
そして雨宮リノ。
(あの少年は、何のために雨宮へ近付いた……。)
偶然とは思えない。
だが証拠もない。
悠は静かに授業を続けた。
昼休み。
リノは図書室へ向かう。
地下へ行けないなら、学園について調べよう。
そう決めていた。
図書室へ入る。
静かな空間。
窓際では、一人の女子生徒が本を読んでいた。
同じクラスの少女。
小春。
教室でもほとんど誰とも話さない。
休み時間は決まって図書室。
窓の外をぼんやり眺めていることも多く、その横顔はどこか悲しそうだった。
小春は立ち上がる。
高い本棚へ向かい、一冊の本へ手を伸ばした。
届かない。
もう一度。
それでも届かない。
誰かを呼ぶこともなく、静かに背伸びを繰り返す。
「はい。」
リノが本を取って差し出した。
小春は少し驚いたように目を見開く。
「……ありがとう。」
その声はとても小さい。
笑顔もない。
リノはにこっと笑った。
「同じクラスなのに、ちゃんと話すの初めてだね!」
小春は少しだけ目を伏せる。
「……そう、だね。」
その返事はどこか遠くを見ているようだった。
本を探しながら、小春は無意識に小さく鼻歌を口ずさんだ。
優しく、どこか懐かしい旋律。
リノは思わず振り返る。
(この歌……。)
胸の奥が少しだけ温かくなる。
「その歌……。」
リノが声を掛けると、小春はハッとしたように歌うのをやめた。
「……ごめんなさい。」
「え?」
「気付いたら歌ってた。」
「忘れて。」
どこか苦しそうな表情だった。
リノは首を振る。
「ううん。」
「すごく優しい歌だね。」
小春はしばらく黙っていた。
やがて、小さく呟く。
「……大切な人が。」
「昔、よく歌ってくれた歌。」
それ以上は話さなかった。
リノも聞かなかった。
ただ胸の奥で、何かが引っ掛かった。
(お母さんも……。)
(歌ってくれてた気がする。)
そんな感覚だけが残った。
◇◇◇
リノは資料棚へ向かう。
《学園沿革》
ページを開く。
地下施設について書かれているページだけが切り取られていた。
別の本も。
また別の本も。
「また……。」
誰かが隠している。
そう確信した。
「何を探している。」
後ろから静かな声。
「ひゃっ!」
振り返る。
悠だった。
「せ、先生!」
リノは慌てて本を閉じる。
「歴史の勉強です!」
悠は並んだ本へ目を向けた。
《学園沿革》
《施設概要》
《学園記録》
(歴史だけじゃない。)
(何かを調べている。)
そう感じながらも、それ以上は追及しなかった。
「困ったことがあれば相談しなさい。」
「はい!」
悠は図書室を後にした。
◇◇◇
その頃。
屋上。
黒いフードの少年はフェンスへ寄りかかっていた
胸ポケットから、一枚の写真を取り出す。
幼い四人兄妹と両親。
色褪せ始めた、大切な家族写真。
昨夜。
少女の胸ポケットから見えた写真。
見間違えるはずがない。
(同じ写真だった。)
少年は静かに目を閉じる。
教師が呼んでいた名前。
雨宮リノ。
その名前が頭から離れない。
(リノ……。)
(でも、違う。)
(俺たちの苗字は、雨宮じゃない。)
一瞬だけ、鼓動が速くなる。
(なら、別人なのか。)
(……いや。)
胸ポケットの写真を見つめる。
(あの写真は、家族しか持っていない。)
(偶然とは思えない。)
父は言っていた。
「リノは死んだ。」
ならば。
あの少女は誰なのか。
なぜ家族写真を持っているのか。
答えはまだ出ない。
少年は写真を胸ポケットへ戻す。
(確かめるしかない。)
静かな風が、フードを揺らした。
◇◇◇
図書室。
帰ろうとしていた小春は窓の外を見つめていた。
誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……怖いな。」
そして目を閉じる。
幼い日の記憶。
泣いている自分。
隣で笑う少年。
「怖くなったら、俺を思い出せ。」
「必ず守るから。」
小春は胸元をぎゅっと握りしめる。
「あの日から……。」
「ずっと、その言葉だけを信じてるよ……。」
誰もいない図書室。
その言葉だけが、静かに消えていった――。




