第九話 影
朝。
静かなチャイムが校舎に響く。
神代悠は教室へ向かいながら、昨夜のことを思い返していた。
地下へ続く壁。
そこに残されていた、小さな血痕。
そして、その場所へ何度も向かう少女。
雨宮リノ。
(偶然ではない……。)
教室へ入る。
「起立。」
静かな号令。
いつもと変わらない朝だった。
悠は教壇から教室を見渡す。
自然と視線はリノで止まる。
今日も静かに授業を受けている。
だが、どこか落ち着かない。
何かを考えているようだった。
(やはり気になる。)
教師として。
放っておけなかった。
◇◇◇
放課後。
生徒たちが教室を出ていく。
悠は職員室へ戻り、夜間巡回表を見つめていた。
「神代先生。」
隣の教師が声を掛ける。
「今日の夜間巡回、代わってもらえませんか?」
悠は静かに頷いた。
「構いません。」
「助かります。」
巡回表へ自分の名前を書き込む。
(ちょうどいい。)
今夜。
確かめよう。
雨宮リノが、毎晩何をしているのか。
◇◇◇
夜。
消灯の放送が流れる。
リノは大切な家族写真を胸ポケットにしまい、部屋を抜け出した。
(今日こそ……。)
地下へ続く壁の前に立つ。
周囲を確認する。
誰もいない。
そう思い、ゆっくり壁へ手を伸ばした。
しかし――。
ゾクリ……
背中に冷たい感覚が走る。
(……見られてる。)
誰かがいる。
姿は見えない。
でも確かに視線を感じる。
リノは何気ない様子で壁から離れた。
少し歩き、振り返る。
誰もいない。
(気のせい……?)
もう一度壁へ近付く。
恐る恐る手を伸ばす。
だが。
壁の手前で、ぴたりと止まった。
(ダメ。)
(このままじゃ……壁は開かない。)
小さく息を吐く。
「今日は諦めよう……。」
その時だった。
カツ……
小さな足音。
リノが振り返る。
廊下に、一人の少年が立っていた。
黒いフード。
黒い服。
首から小さなタブレットを提げている。
少年は静かにタブレットを操作する。
カタ……
カタカタ……
画面をリノへ向けた。
『ここで何をしている?』
リノは一瞬驚いた。
しかし、すぐににこっと笑う。
「んー?」
「夜のお散歩かな!」
「眠れなくて。」
そう言って、いたずらっぽく笑う。
「あなたこそ?」
「こんな時間に何してるの?」
少年は答えない。
静かに文字を打つ。
『帰れ。』
「え?」
リノは首をかしげる。
少年はもう一度タブレットへ指を走らせた。
『気をつけろ。』
「……?」
意味は分からない。
でも、その真剣な目だけは嘘じゃないと感じた。
リノは少し慌てたように頭を下げる。
「す、すみませんでした!」
その拍子に。
胸ポケットから家族写真が、ひらりと滑り落ちそうになる。
「あっ!」
慌てて両手で受け止める。
「危なかった……。」
そう呟き、胸ポケットへしまい直す。
「し、失礼します!」
ペコリと頭を下げ、そのまま走り去っていった。
廊下に静寂が戻る。
少年は動かない。
ただ、リノがしまった写真を見つめていた。
(今の写真……。)
ほんの一瞬だった。
それでも見間違えるはずがない。
家族全員で写った、あの写真。
少年の瞳が小さく揺れる。
(どうして……。)
(あの子が、あの写真を持っている?)
考えようとした、その時。
「君。」
後ろから声が響く。
少年は静かに振り返った。
悠は少年を見つめる。
(高校二年……くらいか。)
制服ではない。
だが、この街の子どもにも見える。
(生徒か?いや……。)
(この学園の生徒なら、一度は顔を見ているはずだ。)
記憶を探る。
しかし、思い当たらない。
悠は静かに口を開いた。
「君は誰だ。」
答えない。
悠は一歩近付く。
「こんな時間に何をしている。」
少年は何も答えず、一歩後ろへ下がる。
「待ちなさい。」
その言葉と同時に、少年は駆け出した。
「待て!」
悠も走る。
少年は角を曲がる。
悠もすぐ後を追う。
しかし。
そこには、誰もいなかった。
一本道。
隠れる場所もない。
悠は辺りを見回す。
「……どこへ行った。」
静かな廊下に、風だけが吹き抜ける。
悠はゆっくりと壁へ視線を向けた。
「雨宮……。」
「お前も、あの少年も……。」
「一体何者なんだ。」




