第2話 運命の印
一魂一体――いっこんいったい。
ひとつの魂に、ひとつの身体。
校長室の前に着いた如月は、軽く息を吐いてからノックをした。
「失礼します」
中に入ると、そこには校長と、見慣れない男がいた。
年齢は四十代後半くらいだろうか。
きっちりとしたスーツに身を包み、髪も髭も丁寧に整えられている。
いかにも“執事”という言葉が似合う男だった。
「玖条くん、こちらへ」
校長に促され、如月はその男の隣に座った。
その直後、校長は少し気まずそうに立ち上がる。
「すまない。少し席を外すよ」
そう言って、なぜか校長は校長室を出ていった。
たぶんトイレだ。
如月は隣の男をちらりと見る。
落ち着いた雰囲気。
柔らかい笑み。
敵意は感じない。
むしろ、かなり人当たりの良さそうな男に見えた。
――まあ、悪い人ではなさそうだな。
そう思った瞬間。
男は、小さく笑った。
「……ああ、よかった」
その声は低く、柔らかかった。
「ようやく、お会いできました」
如月の背筋に、冷たいものが走る。
「……どういう意味ですか」
問いかけようとした。
だが、その言葉が最後まで形になることはなかった。
男の手が、静かに如月の肩へ伸びる。
触れられた瞬間――
視界が、黒く塗りつぶされた。
音も消えた。
光も消えた。
床の感覚さえ、なくなった。
残されたのは、如月と、闇だけ。
静かで。
冷たくて。
どこまでも、ひとりだった。
まるで夢の中で、宇宙を漂っているようだった。
意識はぼんやりとしていて、自分の身体がどこにあるのかもわからない。
その時、声が聞こえた。
赤子の泣き声さえ止めてしまいそうなほど、柔らかく、美しい声だった。
『玖条如月』
その声は、暗闇の中で静かに響いた。
『魔王の欠片をその身に宿しながら、現世に在ることを許された、ただ一つの器』
『二つの魂を抱く者――“ヨウ”よ』
『今こそ、お前が役目を果たす時です』
『生ける天使の魂を守りなさい』
『十八の刻が満ちる、その日まで』
『たとえ、自らの命を捧げることになったとしても』
『彼女を失ってはなりません』
『彼女の魂は、この世界に落とされた均衡の欠片』
『お前と彼女は、同じ呪いに縛られている』
『その旅路は、決して容易なものではないでしょう』
『それでも、お前は果たさなければならない』
『それこそが、お前という存在に刻まれた役目なのです』
『彼女の居場所を見失わぬよう、我が印を授けます』
『再び会いましょう』
『お前が、我が領域で己の意思のまま動けるようになった時に』
如月には、その言葉の一つ一つがはっきりと聞こえていた。
聞こえていたのに、何一つ問い返すことができなかった。
声を出す力もない。
指一本動かすことすらできない。
やがて、身体に重さが戻ってくる。
どこか遠くへ漂っていた意識が、急に引き戻されるような感覚。
重力が強くなる。
闇が薄れていく。
そして次の瞬間――
如月は、現実に戻っていた。
目の前では、執事と、いつの間にか戻っていた校長が、何事もなかったかのように話を続けている。
いや、続けているように見えた。
だが如月には、その会話の内容がまったく頭に入ってこなかった。
さっきの暗闇。
あの声。
天使の魂。
魔王の欠片。
そして、ヨウという聞き慣れない言葉。
何もかもが意味不明だった。
しばらくして、執事は校長との話を終え、丁寧に一礼して校長室を出ていった。
如月もその場を離れ、教室へ戻る。
席に着いてからも、頭の中ではさっきの声が何度も反響していた。
――彼女を守りなさい。
――彼女を失ってはなりません。
――それこそが、お前という存在に刻まれた役目。
意味がわからない。
本当に、何一つわからない。
考え込んでいるうちに、如月は無意識に制服の袖をまくっていたらしい。
隣から蓮也の声が飛んできた。
「なあ、キサ」
「……何」
「お前さ、腕の内側に何かついてね?」
「腕?」
蓮也に言われ、如月は自分の腕に目を落とした。
そこには、見覚えのない紋章が浮かんでいた。
二枚の天使の翼。
その中央を貫く、一本の長い剣。
まるで最初からそこに刻まれていたかのように、黒い印が腕の内側に静かに存在していた。
如月は息を呑む。
――印。
あの声が言っていたものだ。
彼女の居場所を見失わぬよう、我が印を授けます。
その瞬間、紋章がかすかに熱を帯びた。
如月の視線は、自然と前の席へ向かう。
四宮美月は、何も知らない顔で窓の外を見ていた。
「……マジかよ」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
如月の腕に刻まれた印と、美月へ向けられた視線。
ここから物語が少しずつ動き出します。
次話もよろしくお願いします。




