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一魂一体  作者: Kioh
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14/15

第14話 兄を名乗る悪魔

一魂一体――いっこんいったい。

ひとつの魂に、ひとつの身体。

 如月の思考が、一瞬だけ止まった。


 兄。


 その言葉だけが、頭の中で何度も響いた。


 ありえない。


 そんなはずがない。


 如月に家族と呼べる存在は、祖母だけだった。


 それ以外に、自分を知っている者などいるはずがない。


 ましてや、目の前に立つこの悪魔が。


「……何を言ってる」


 如月は低く問い返した。


「俺に兄なんていない」


「人間としては、そうかもな」


 ヴェルは悪びれもせずに言った。


「だが、お前は人間だけじゃないだろう?」


 その一言で、如月の胸の奥がざわついた。


 腕に刻まれた印。


 ヨウという名。


 天使の声。


 そして、あの本に書かれていたこと。


 すべてが、嫌な形で繋がっていく。


「目的は何だ」


 如月は声を低くした。


「桐谷くんを使って、俺を呼び出した理由を言え」


「怖い顔をするなよ」


 ヴェルは両手を軽く上げた。


「俺はお前を殺しに来たわけじゃない」


「なら、何だ」


「助けに来た」


 如月は答えなかった。


 悪魔が助けに来た。


 それほど信用できない言葉もない。


 如月の沈黙を見て、ヴェルは苦笑する。


「本当に警戒心が強いな。まあ、悪くない。生き残るには必要なことだ」


「ふざけるな。質問に答えろ」


「分かった、分かった」


 ヴェルは小さく息を吐いた。


「俺は、お前が背負わされた呪いを壊す手助けをしに来た」


「呪い?」


「ああ」


 ヴェルの声から、少しだけ軽さが消えた。


「ヨウとしての役目、なんて綺麗な言い方をする奴もいるだろうな。だが、正しく言えば呪いだ。お前と、堕ちた天使を縛るために作られた最悪の決まりだ」


 如月の表情が変わる。


「……お前、どこまで知っている」


「ほとんど全部だ」


 ヴェルはあっさりと言った。


「むしろ、お前が知らなすぎる」


 如月は何も言わなかった。


 ヴェルは続ける。


「十八歳になるまで、ヨウは堕ちた天使を守らなければならない。もし、その前に堕ちた天使が死ねば、ヨウの身体も炎に焼かれる」


 如月の拳が、わずかに強く握られた。


 ヴェルはその反応を見ても、言葉を止めなかった。


「そして二人が十八歳に至った時、法則は反転する」


「……」


「ヨウに与えられる時間は、たった一日。その一日のうちに、ヨウは自らの手で堕ちた天使を殺さなければならない」


 夜風が止まった。


 公園から、音が消えた。


「それが成されれば、ヨウは呪いから解放される。生きる世界に残ることを許される」


 ヴェルは静かに言った。


「だが、堕ちた天使の魂は永遠に消える」


 如月の目が、冷たく細められた。


「……もし、殺さなかったら」


「お前が焼かれる」


 ヴェルは即答した。


「堕ちた天使だけが生き残る」


 その言葉は、如月の胸の奥に深く沈んだ。


 美月の顔が浮かぶ。


 何も知らずに笑っていた顔。


 病院で、患者に優しく声をかけていた姿。


 体育祭で、楽しそうに拍手をしていた横顔。


 如月は奥歯を噛んだ。


「……あの本に書かれていたことと同じか」


「そうだ」


 ヴェルは頷いた。


「あの本に書かれていたことは、全部本当だ。そして今も、まだ有効だ」


「まだ……?」


「そう。まだ、だ」


 ヴェルは如月に近づき、少しだけ声を落とした。


「だが、変えられないわけじゃない」


 如月は動かなかった。


 ヴェルの言葉の続きを待っていた。


「俺一人では無理だ」


 ヴェルは言った。


「だが、お前となら可能性がある。ヨウとしてのお前の力は、お前が思っているよりずっと大きい。今のお前は、その力の使い方を知らないだけだ」


「俺に何をさせるつもりだ」


「いい質問だ」


 ヴェルは笑った。


 その笑みは優しい。


 けれど、牙のように鋭い。


「まずは、お前自身の中にある魔王の魂の欠片に触れられるようになってもらう」


 如月は眉をひそめた。


「俺の中の……」


「そう。魔王の魂の欠片」


 ヴェルは如月の胸元を指差した。


「お前の力は、悪魔を殺すためだけにあるわけじゃない。魂の境界に干渉できる。だから、お前は悪魔を殺せる。だから、お前は堕ちた天使と繋がっている。だから、この法則を壊せる可能性がある」


「可能性、か」


「ああ。絶対とは言わない」


 ヴェルは肩をすくめた。


「俺は優しい兄だが、嘘つきの兄ではないからな」


「兄じゃない」


「そこはまだ受け入れてくれないか」


「一生無理かもしれない」


「悲しいなぁ」


 ヴェルはわざとらしく胸を押さえた。


 如月はそれを無視した。


「お前は、俺を助けて何を得る」


「俺は、地獄を継ぎたくない」


「……は?」


 如月は思わず声を漏らした。


 ヴェルは真顔だった。


「父上が俺に王位を譲ろうとしている。地獄の支配者になれ、と。次の王になれ、と。毎日毎日、面倒くさいことを言ってくる」


「それが、俺と何の関係がある」


「大ありだ」


 ヴェルは顔をしかめた。


「地獄の王なんて、なった瞬間に終わりだぞ。自由はなくなる。書類は増える。儀式は増える。どうでもいい悪魔たちの争いを裁かなきゃいけない。父上みたいな古臭い連中の相手もしなきゃならない」


「……理由が軽すぎるだろ」


「軽くない。紙仕事は地獄だ」


「地獄の悪魔が言うな」


 ヴェルは少し嬉しそうに笑った。


「いいな。その返し。やっぱり俺の弟だ」


「勝手に決めるな」


「まあまあ」


 ヴェルは両手を広げた。


「俺は王位を継ぎたくない。お前は、美月を殺すか自分が燃えるかなんて馬鹿げた結末から抜け出したい。目的は違うが、必要なことは似ている」


「ルールを変えることか」


「そう」


 ヴェルの瞳が、わずかに赤く光った。


「一つの魂には、一つの身体。一つの身体には、一つの魂。その理から外れた存在がお前だ。そして、その歪みを正すために堕ちた天使が落とされた」


 ヴェルは静かに続けた。


「なら、壊すべきはお前でも、堕ちた天使でもない」


「……法則そのもの」


「正解」


 ヴェルは満足そうに笑った。


「天よりも古く、地獄よりも古い法則。そこに触れられるかもしれない存在。それがヨウだ」


 如月は息を呑んだ。


 あまりにも大きすぎる話だった。


 天。


 地獄。


 ヨウ。


 魔王の魂の欠片。


 堕ちた天使。


 そのどれもが、昨日までの如月には関係のないものだったはずだ。


 ただ学校に行き、夜に悪魔を狩り、祖母と暮らす。


 それだけの生活だったはずなのに。


 気づけば、逃げ場のない場所まで連れてこられている。


「俺が断ったら?」


 如月は静かに聞いた。


「その時は、その時だ」


 ヴェルは即答した。


「無理やり従わせるつもりはない。弟に嫌われるのは、さすがに傷つく」


「もう嫌ってる」


「早いな」


 ヴェルは肩を落とした。


 だが、すぐに口元を緩める。


「けど、お前は断れない」


「なぜそう言い切れる」


「お前は知ってしまったからだ」


 ヴェルの声が、ほんの少しだけ低くなった。


「あの本に書かれていたことが本当だと知った。ヨウという呪いが今も続いていると知った。そして、その決まりを変えられる可能性があると知った」


 ヴェルは如月の前で身を屈めた。


 片膝を曲げ、両手を膝に置き、如月と目線を合わせる。


 先ほどまで見下ろしていた地獄の王子が、今はまるで兄のように、如月の顔を覗き込んでいた。


「なあ、ヨウ」


 その呼び方に、如月の胸がざわつく。


「お前は、このままでいいのか?」


 ヴェルは静かに続けた。


「美月を守り続けて、最後には自分の手で殺す。拒めば、お前が燃える。そんな結末を、誰かが決めたからって受け入れるのか?」


 如月は答えられなかった。


 美月の顔が浮かぶ。


 天使の魂。


 守るべき存在。


 そして、いつか殺さなければならない存在。


 そんなものを運命と呼ぶのなら。


 それは、あまりにも残酷すぎる。


 如月は拳を握りしめた。


「……お前は、本当に俺を助けるつもりなのか」


「もちろん」


「信用できない」


「それでいい」


 ヴェルは笑った。


「悪魔を簡単に信用する弟だったら、兄として心配になる」


「兄じゃない」


「まだ認めてくれないか」


「認める理由がない」


「それは困るな。俺、結構兄貴らしいことをする予定なんだが」


 如月はため息をついた。


 目の前の悪魔は、危険だ。


 得体が知れない。


 強い。


 そして、腹の底が読めない。


 だが、一つだけ確かなことがあった。


 ヴェルは、自分が知らない答えを持っている。


 ヨウについて。


 美月について。


 地獄について。


 そして、如月自身について。


 それを無視することは、もうできなかった。


「最後に一つだけ聞く」


 如月は言った。


「桐谷くんは無事なんだろうな」


 ヴェルは一瞬だけ黙った。


 そして、少し柔らかい顔をした。


「ああ。眠っているだけだ。少し怖い思いはさせたが、魂には触れていない」


「本当だな」


「本当だ。お前を怒らせるのは、まだ早い」


「まだ?」


「いつかは怒らせるかもしれない」


「最悪だな、お前」


「よく言われる」


 ヴェルは楽しそうに笑った。


 それから、ゆっくりと右手を差し出した。


 悪魔の手。


 兄を名乗る者の手。


 地獄の王子の手。


 如月は、その手を見下ろした。


 握るべきではない。


 そう思った。


 けれど、背を向けることもできなかった。


 如月は目を伏せる。


 そして、もう一度ヴェルを見た。


「協力するとは言ってない」


「それでいい」


 ヴェルは笑った。


「今は、話を聞くだけで十分だ」


 如月は差し出された手を握らなかった。


 ただ、静かに問い返した。


「で、俺は何をすればいい」


 その言葉を聞いた瞬間、ヴェルの口元が満足げに上がった。


「まずは、お前の力の使い方を教える」


「ここでか」


「いや」


 ヴェルは空を見上げた。


 その身体が、少しずつ黒紅の煙に戻り始めていた。


 如月は眉をひそめる。


「おい」


「ああ、心配するな。消えるわけじゃない」


「地獄に帰るのか」


「帰るわけないだろ。帰ったら捕まる」


「捕まる?」


「父上に」


 ヴェルは真顔で言った。


「そして、王位継承の話し合いという名の地獄の会議に出される」


「……地獄の王子が会議から逃げてるのか」


「会議ほど恐ろしいものはない」


「お前、本当に悪魔か?」


「悪魔だからこそ分かる。あれは魂を削る」


 如月は呆れて言葉を失った。


 ヴェルの身体は、さらに煙へと変わっていく。


 その視線が、如月の手元へ向いた。


 黒いネックレス。


 紅く光る菱形の結晶。


「というわけで、しばらくそこに住む」


「……は?」


「そこだ。そのネックレス」


 ヴェルは当然のように言った。


「俺が用意した仮宿だ。生きる世界に長く留まるには、器がいる」


「器?」


「普通の悪魔なら、人間の身体が必要になる。しかも、欲望や罪で魂の隙間ができた人間だけだ。そういう人間の内側に入り込んで、魂を押し潰して、身体を奪う」


 ヴェルはつまらなそうに言った。


「だが、俺は違う」


 その声だけが、少し低くなる。


「人間の身体なんて借りなくてもいい。自分の力で作った器なら、物でも一時的な宿にできる。この結晶は、そのために用意したものだ」


 如月は手の中のネックレスを見下ろした。


 黒い菱形の結晶。


 ただの飾りだと思っていたものが、急に別の生き物のように見えた。


「桐谷の影は、一時的な入口に使っただけだ。長く留まるなら、この結晶の方が都合がいい」


「待て」


「待たない」


「俺は許可してない」


「兄弟なんだから、細かいことを言うな」


「兄弟じゃない」


「まだ照れてるのか」


「殺すぞ」


「怖いなぁ、反抗期か?」


 如月が本気でネックレスを地面に叩きつけようとした瞬間、ヴェルは慌てて声を上げた。


「待て待て待て! それを壊したら俺も困るし、お前も困る!」


「俺は困らない」


「困る。めちゃくちゃ困る。俺がいないと力の使い方が分からないだろ」


「……」


「ほら、困る顔をした」


「してない」


「した」


 ヴェルは満足そうに笑った。


 そして、黒紅の煙となった身体が、ゆっくりとネックレスの結晶へ吸い込まれていく。


 最後に残ったのは、紅い瞳と、楽しそうな声だけだった。


「では、今日からよろしく頼むぞ、ヨウ」


「やめろ」


「兄さんと呼んでもいいぞ」


「絶対に呼ばない」


「ヴェル兄でもいい」


「黙れ」


 煙が完全に消えた。


 黒い結晶の紅い光も、すっと弱まっていく。


 公園には、静けさが戻った。


 ベンチでは、桐谷が眠ったまま小さく寝息を立てている。


 如月はしばらく無言でネックレスを見下ろしていた。


 そして、深く息を吐く。


「……最悪だ」


 その瞬間。


 ネックレスの中から、くぐもった声が聞こえた。


『最悪とは失礼だな。兄が同居してやるんだぞ』


「同居じゃない。寄生だ」


『言い方が悪いなぁ』


「黙れ。今すぐ捨てるぞ」


『やめろ。せめて家の中に置いてくれ』


「ネックレスに家も外も関係ないだろ」


『気分の問題だ』


 如月は頭を抱えた。


 今日、この瞬間から。


 自分の日常は、もう二度と元には戻らない。


 そんな重い理解をした直後に。


 ポケットの中から、兄を名乗る悪魔の声が聞こえた。


『ところでヨウ。お前の家、風呂はあるか?』


「ネックレスが風呂に入るな」


『いや、気分だけでも』


「黙れ」


 如月はネックレスを乱暴にポケットへ押し込んだ。


 ポケットの中で、ヴェルが楽しそうに笑う。


 夜の公園に、如月の深いため息だけが残った。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、如月が背負わされている運命と、ヴェルという新しい存在が大きく関わってくる回でした。


次話もよろしくお願いします。

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